俳優・映画人コラム
<検証>東出昌大は、(あらゆる意味で)人を引きつける天才か否か
<検証>東出昌大は、(あらゆる意味で)人を引きつける天才か否か
衝撃の話題作、観れば観るほど深みにハマる『寝ても覚めても』
東出昌大・唐田えりか主演『寝ても覚めても』(18)。例の、発端となった、映画ですね。言わずもがな。私はとても趣味が悪い人間なので、例の報道が出たその日の夜に鑑賞しました。
この映画、あの事実があったとしてもなかったとしても、終始気味が悪い。いい意味で。
舞台は大阪。道端で朝子(唐田えりか)と麦(東出昌大)は出会う。そして、突然のキス。
序盤から理解不能なのだが、その後も不可解なシーンは続く。
二人乗りのバイクで車に衝突し、地面に寝転がった朝子と麦は爆笑し、手をつなぎ、見つめ合い、そのまま路上で熱いキス。しかも朝子の方から。さすがに目が点になってしまった。
少女漫画原作の恋愛映画?と見受けられる部分もあるかもしれないが、実際のところはそんなかわいらしい映画ではないので安心してほしい。もはや、サイコホラー映画と言っても過言ではない。
東出昌大が”麦”として出ている時間は30分にも満たない。本作品で一人二役に挑戦しており、後々朝子の恋人となる”亮平”としての姿がメインだ。
猫のようにマイペースで蠱惑的(こわくてき)な麦と、驚くほどまっすぐで情に厚い亮平。対象的な二人だが、東出昌大の”目の光のなさ”が二人に共通する影を生み出しているように思う。
ラスト、麦としての東出昌大が本当に悍ましいので少し語らせてほしい。
長年行方をくらませていた麦が突然朝子の目の前に現れ、連れ去ってしまうシーン。いや、連れ去ったわけではなく、紛れもなく朝子が自分の意志で亮平ではなく麦を選んだ。二人でタクシーに乗り込み、麦の車がある品川まで向かう。
鳴り続ける麦のスマホ。「言いたいことがあるから、何度もかけてくるんやん」と言う朝子に、「俺の代わりはちゃんといるから、大丈夫」と言って、真顔でスマホを地面に叩きつける麦。
(え…ほんまに大丈夫なん…)
麦のお父さんの実家である空き家があるという北海道に向かう二人。朝子の大阪・東京の親友それぞれと連絡をとった後、窓からスマホを捨ててしまう。
(えええええ朝子まで捨てんでも)
隣には、鼻歌を歌いながらのんきに運転をする麦。
(待って…どういう感情なん…)
明け方、助手席で眠っていた朝子が目を覚ますと、そこは仙台だった。「私もうこれ以上行かれへん。帰らな…亮平のとこに」と言う朝子に、「そっか。」「謝んなくていいよ、送るよ」「じゃ、この車、いる?」「じゃあ、ばいばい」と言ってそそくさと車でどこかへ行ってしまう麦。一人、取り残される朝子。
(…え!?えええ!?!?どんなサイコパスなん!?!?)
…朝子の関西弁につられて関西出身の私の感情もダダ漏れになってしまい恐縮だが、このラストシーンがホラーすぎて突っ込まざるを得なかった。東出昌大の”サイコパス芝居”と、唐田えりかの本格演技デビュー作だからこその”大根役者感”が融合することで、再現性のない奇跡的な作品が生まれたと言える。
が、この映画には様々な考察がある。『寝ても覚めても』というタイトルを深読みした上で「あり得るかも」と思った2パターンを紹介する。
1.麦、すでに死んでる説
麦はすでに死んでしまっていて、来世から朝子のことを迎えに来た。明け方、仙台の海辺で堤防を越えようとした麦に「これ以上行かれへん」と言ったのは、「私はやっぱりそっち側にはまだ行きたくない、現世で亮平と生きていく」という決意の現れだったのかもしれない。
2.麦、亮平のドッペルゲンガー説
亮平の前にドッペルゲンガーとなって現れた麦。ドッペルゲンガーには「見たら死ぬ」という伝承があるので、朝子が亮平の元に戻った時点で亮平はすでに死んでいる。新居の窓から眺めた川は、三途の川だったのかもしれない。
他にも考察はあるだろうし、なにが正解なのかはわからない。が、映画の中でくらいはせめてハッピーエンドであってほしいし、そうでないとback numberも報われないので、2だけは避けてほしいと願う。
朝子が”寝ても覚めても”愛していたのは、どっちのことだったのだろうか。
麦との時間が現実で、亮平との時間は全部夢だったのか、はたまた、逆なのか。
直近の報道があった日にNetflixを開いたら、ファーストビューのレコメンドが『寝ても覚めても』で、「さすがNetflix様!」となぜか誇らしくなったのは内緒です。
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