大河ドラマ「青天を衝け」は、第32話より実業<算盤>編へと突入。いよいよ「論語と算盤」の話へと進んでいく最終章へ突入だ。
本記事では第33話以降の感想と解説をcinemas PLUSライターが記していく。
【関連記事】「青天を衝け」血洗島・青春編 感想集はこちら
【関連記事】「青天を衝け」一橋家臣編 感想集はこちら
【関連記事】「青天を衝け」パリ編 感想集はこちら
【関連記事】「青天を衝け」静岡編 感想集はこちら
【関連記事】「青天を衝け」明治政府編 感想集はこちら
第32話「栄一、銀行を作る」感想・解説集
第32話のあらすじ
栄一(吉沢 亮)は明治政府を辞め、第一国立銀行の総監役として、新たな道を歩み始める。開業後、駆けつけた五代友厚(ディーン・フジオカ)は、“商いは化け物”、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)していると栄一に助言する。
そのころ、三菱を率いる岩崎弥太郎(中村芝翫)は、大蔵卿に就任した大隈重信(大倉孝二)と結びつきを強め、海運業で急成長していた。そんな中、ゑい(和久井映見)が体調を崩し、東京の栄一のもとに身を寄せることに…。
第32話の感想
3年半勤めた大蔵省を辞め、政府を去った栄一。
幼い頃から旧知の仲である喜作(高良健吾)にも「お前の変わり身の早さにはついていけん」と言われているが、その通り、栄一には「これだ!」と思ったらすぐに行動に移すフットワークの軽さがある。
周囲の人間は振り回されることもあるだろうが、栄一の意思を継ぎ、政府に残る杉浦(志尊淳)などもいる。日本のため世のために行動しながらも、支えてくれる人間のことも忘れない思いやりが、栄一には備わっている。
官から民の世界へ腰を据えた栄一が「やりたい」と望むことは、合本銀行の設立、それによる身分格差の解消だ。
お役人が偉くて商人が卑しいーー日本を良くするためには、この構造から変えなければいけないんだと栄一は語る。お上だけが悪いのではなく、商人側の考え方も良くない。お役人の顔色ばかり窺うのではなく、目の前の仕事に志を持って向き合わなければいけないのだ、と。
栄一の熱い志は、明治4年の第一国立銀行開業によってスタートを切った。
西洋式の帳簿の付け方を学んだり、三井・小野組の小競り合いを仲裁したり、前途は多難である。しかし、ちょっとやそっとのことで心が折れる栄一ではない。人の手を結ばせる秘訣こそカンパニーの設立にあると信じ、自分の選んだ道を突き進んでいる。
しかし、そんな彼にも試練がやってきた。
父・市郎右衛門(小林薫)に続き、母のゑい(和久井映見)も命を引き取ったのだ。
「あんたが嬉しいだけじゃなく、みんなが嬉しいのが一番」
かつて栄一が幼い頃、そう諭してくれた母。自分の利益だけじゃなく、周囲の人たちにとってもメリットのあることをすべき。その教えが、「日本をより良くしたい」という栄一の思い、そして銀行設立に繋がっているのだと思うと、感慨深い。
栄一には確かに、無鉄砲で雑なところもある。しかし、優しさと愛でもって、大きな仕事を推し進める胆力もあるのだ。官から民へと活躍の場を変えた栄一。これからは、どんな姿を私たちに見せてくれるのだろうか。
–{第33話「論語と算盤」感想・解説集}–
第33話「論語と算盤」感想・解説集
第33話のあらすじ
第一国立銀行の大株主、小野組が放漫経営で倒産する。小野組に無担保で多額の貸しつけをしていた第一国立銀行も、連鎖倒産の危機に陥る。さらに、三野村利左衛門(イッセー尾形)率いる三井が、この機に乗じて第一国立銀行を乗っ取ろうとする。銀行を守るため、栄一(吉沢亮)は、三野村との一世一代の大勝負に出る。
一方、喜作(高良健吾)は、主要な輸出品である蚕卵紙(さんらんし)を値崩れさせようと、横浜の外国商館が口裏を合わせて買い控えをし始めたことに憤慨していた。
第33話の感想
倒産の危機に陥った第一国立銀行。小野組に貸し付けていた担保を返させたことでなんとか首の皮一枚つながったが、今度は三井組が第一国立銀行を乗っ取ろうと画策してきた。栄一は大蔵省に「西洋式銀行検査」を依頼。第一国立銀行と三井組、どちらがより銀行の在り方として正しいか判断してもらう大勝負に出る。
結果、栄一側の勝利! 三井組への特権は剥奪され、なんと栄一が三井組頭取に就任することに。
一方、輸出品である蚕卵紙(さんらんし)が買い控えられている問題が勃発。参議兼内務卿である大久保利通(石丸幹二)は「経済のことはまったくわからない、国を助けると思って味方になってくれないか」と栄一を頼る。
最初こそ渋っていた栄一だが、彼の脳裏にはおそらく、静岡にいる慶喜(草彅剛)や逝去した父母の姿が浮かんだに違いない。人のため世のためと思い尽くしたが、結果、民から誤解され報復を恐れる身となった慶喜。”自分よりも人のため”を常に体現した父と母。
「大事なのは、民だ」
慶喜や父母の姿を見ながら己の人生を歩んできた栄一にとって、行動原理はすべて民のためである。「おかしれえ、やってやりましょう」と請け負ったはいいものの、外国の蚕卵紙買い控えなど、どのように対処するのか……?
疑問に思ったが、なんと栄一は、政府に残っていた売上8万5000円で蚕卵紙を買い集め、貿易商がいる横浜で焼き捨ててみせた。
「10年越しの、俺たちの横浜焼き討ちだい!」
喜作(高良健吾)の叫びが響く。買い控えるのなら、その代わりに売り控えてやろうじゃないか。そんな作戦に出た栄一たち。数年越しに叶った間接的な”横浜焼き討ち”に、胸が熱くなった視聴者も多いのではないだろうか。思いは潰えることなどない。ここぞという時に、大きく実るものなのだ。
買い控え問題が解決するとともに、栄一にのしかかる頭取としての重荷。幼い頃から教えを得ていた「論語」を胸に、大海を進んでいく覚悟を静かに決める。
三井組は言った。「どんどん金中心の世になってきた。開けてはならない扉を開けたのかもしれない。どんな世になりますかねえ」と。
その答えは、現代にあらわれているのだろうか?
–{第34話「栄一と伝説の商人」感想・解説集}–
第34話「栄一と伝説の商人」感想・解説集
第34話のあらすじ
栄一(吉沢亮)は、伊藤博文(山崎育三郎)の依頼で、商人たちが業種を超えて手を組むための組織、東京商法会議所を作る。一方、はじめて養育院を訪れた千代(橋本愛)は、身寄りのない子供たちの寂しげな姿に心を打たれ、世話をしたいという思いを強くする。
そんな中、栄一は岩崎弥太郎(中村芝翫)から宴席に誘われる。栄一と弥太郎は、商業で国を豊かにしようと意気投合するが、その手法を巡って激論、意見は真っ向から対立し、会合は物別れに終わる。
第34話の感想
政府の税収の9割が戦費に投入された時代。成功した者はどんどん豊かになっていくが、貧しい者はどんどん貧しくなっていく。日本をより良い国にしたい一心で、外国に負けない一等国に育てることを目標に、合本銀行をつくった栄一。しかし、なかなか世の中は栄一の理想には近づかない。
国益のために銀行をつくったのと同じように、栄一は「東京養育院」の設立にも尽力した。大人・子ども問わず、貧しく身寄りのない者たちを引き受ける施設である。
「貧しい者が多いのは、政府のせいだ」
当時はきっと、現代よりも「貧乏人は貧乏人で頑張ったらいい」といった風潮が強かったのではないだろうか。お金や仕事がないのも、病気がちなのも、運が悪いのも、すべて当人の責任。自分のことは自分で面倒をみる、と己の意思を固めるのはいいが、それが他人からの強要だと途端に据わりが悪くなる。
栄一とともに、東京養育院へ様子を見にきたお千代。設立当初の荒んだ様子からは少しずつ快方に向かっているようだが、まだまだ手放しに喜べる実情とはいえない。破れた着物を繕うお千代と子どもたちの姿が、なんとも微笑ましく、いじらしくもある。
こういった「政府のせいで貧しくなった」者たちを救いあげるために、栄一は行動を起こしているのだ。合本銀行や東京養育院の設立、そして、商人の会議所(=東京商法会議所)もそれにあたる。即効薬ではないかもしれないが、長期的にみれば、必ずすべての民に浸透する特効薬になると信じて。
日本経済の発展のため、三菱の岩崎弥太郎に尽力を請おうとしていた栄一。しかし、合本銀行の在り方に疑問を呈する岩崎とは、仲違いに終わってしまう。「口説きがいのある男だ」と言っていた岩崎、今後も何らかのアプローチを仕掛けてくるのだろうか。
立場や時代が変わっても、栄一の行動原則は変わらない。
–{第35話「栄一、もてなす」感想・解説集}–
第35話「栄一、もてなす」感想・解説集
第35話のあらすじ
アメリカ前大統領・グラントの来日が決まり、栄一(吉沢亮)たちが民間を代表して接待することになった。栄一は、夫人同伴が当たり前の西洋流を採り入れようと、千代(橋本愛)やよし(成海璃子)にも協力を願い出る。
そこに、大隈綾子(朝倉あき)や井上武子(愛希れいか)ら政財界の婦人も加わり、西洋式マナーの習得に悪戦苦闘する。官民あげた歓迎は順調に進むが、数日後、グラントが“渋沢家に行きたい”と言い出す。渋沢家では、千代が中心になって、グラントを歓迎するための準備が始まった…。
第35話の感想
アメリカ合衆国前大統領のグラント将軍が、日本にやってくる。いかに日本が西洋に追いついているかを見せつけるための好機と捉え、もてなす準備に邁進する栄一たち。流鏑馬(やぶさめ)や歌舞伎、相撲……。日本には胸を張れる文化がたくさんあるのだと、改めて認識できる。
夫人同伴の夜会を催すことになり、西洋式のもてなしを学ぶお千代たち。
「笑う時には歯を見せること」
「挨拶をする時は手を取り合い、ハグをすること」
これまでの日本の風習から考えると、お千代たちにとっては「はしたない」とされる習慣だろう。現代から考えると、日本も西洋の文化を柔軟に受け入れたことにより、今の形になったのだと感慨深く思える。
「女も、変わらなきゃいけない」
これはお千代の言葉だ。男性の後ろでしずしずと黒子のように働くのではなく、国を代表する一員として責任を負うこと。彼女は、女も男も関係なく、一人の人間として生きる心構えをいち早く持っていた人なのかもしれない。
夜会を無事に終えたと思いきや、今度はグラント前大統領を渋沢邸に招くことに!
焦る栄一だが、お千代の肝はすでに座っていた。前大統領をもてなす準備をせっせと始めるお千代。「ああ、ぐるぐるします!」「ぐるぐる?」と掛け合う栄一とお千代が、微笑ましい。
子供たちの歌でお出迎えしたり、国技である相撲を披露したり。血洗島名物の煮ぼうとうを振る舞うシーンでは、見ているこちら側も空腹を覚えるほどだった。
現在は大統領ではない人物を盛大にもてなして何の意味があるのか、といった見方をする者もいるようだが、栄一にとっては「意味なんてどうでもいいんじゃないか」「お千代のあんな顔は初めて見た」と思える、大成功のもてなしだったようだ。
国同士の関係性は、どうしてもデリケートに見える。過去の遺産である戦争の記憶が、ふとよみがえる瞬間もあるかもしれない。しかし、今話を見ていたら、国籍などは度外視した個人間のやりとりを大切にしたいと思えるようになった。
歴史は重んじるべきだろう。それと同じように、”今”を積み重ねていく姿勢も重視する。現代を生きる私たちにとって、それが「歴史に敬意を払う」ことにもなるのではないだろうか。
–{第36話「栄一と千代」感想・解説集}–
第36話「栄一と千代」感想・解説集
第36話のあらすじ
栄一(吉沢 亮)は三菱の独占に対抗するために東京風帆船(とうきょうふうはんせん)会社を設立するが、岩崎弥太郎(中村芝翫)の新聞を使った巧みな攻撃に、開業前に敗北してしまう。また、養育院も東京府から事業縮小を迫られ、なかなか前に進めない栄一。その裏で弥太郎は着々と事業拡大を進める。そのころ、長女・うた(小野莉奈)と穂積陳重(ほづみ・のぶしげ/田村健太郎)の縁談が持ち上がり、意気投合した二人は結婚する。しかし、渋沢家が幸せな空気に包まれる中、千代(橋本 愛)が突然病に倒れてしまう。
第36話の感想
千代がコレラに感染し、亡くなってしまった。突然のことで、栄一をはじめ、家族全員が悲しみに暮れる。長女・うたの縁談が無事にまとまった矢先のことだった。「これでもう、思い残すことはありません」とホッとした様子で言っていた千代の表情が、切なく思い出される。病の力は強大だ。
新しく合本による船に会社を設立するも、岩崎弥太郎が主犯と思われる風評被害に苦しんでいた栄一。三菱に対抗しようにも上手くいかず、「今の俺は正しいことをしたいがために、正しいかもわからない方向へ向かう汚ねえ男になっちまった」と嘆いていた。そんな彼に、生前の千代は言ってくれたのだ。
「お父様もお母様も、よくやったと褒めてくださいますよ」
栄一の行動原理は、人のための世を作ること。その想いを奥底まで見ていくと、父や母、そして千代や子供たちの姿が見えてくる。近しい大切な人たちのために働いてきた栄一にとって、こんなにも早く千代を亡くしてしまったことは、喪失の一言では片付けられないのではないか。
長女・うたは言った。なぜ母さまのような素晴らしい人が、亡くならなければならないのか、と。栄一が院長を務める東京養育院のことも気にかけていた千代。貧しくつらい思いをしている人たちの助けになりたいと願っていたのに、時間は無常にも過ぎ去っていく。
それにしても、東京養育院の存続について話し合う場のシーンは、見ていられなかった。「助けてもらえると思わせるから、努力を怠らせる」。セリフと分かっていても「承伏できない」言葉だ。東京養育院の人たちがどれだけ努力を重ねているか、その目で見たことがないからこそ言えることだろう。
千代を失った栄一は、今後、何を見据え動いていくのか、
–{第37話「栄一、あがく」感想・解説集}–
第37話「栄一、あがく」感想・解説集
第37話のあらすじ
政府の命により、再び岩崎弥太郎(中村芝翫)に対抗するため、海運会社・共同運輸会社が設立された。しかし、栄一(吉沢 亮)は、千代(橋本 愛)を亡くして憔悴(しょうすい)していた。その様子を見かねた知人らの勧めで、栄一は伊藤兼子(大島優子)と再婚する。
共同と三菱が熾烈(しれつ)な競争を繰り広げ、両社消耗していく中、突然、弥太郎が病に倒れる。これ以上の争いは不毛と、五代友厚(ディーン・フジオカ)は、栄一と弥太郎の弟・岩崎弥之助(忍成修吾)との間を取り持とうとする。
第37話の感想
お千代が死去してからというもの、栄一の気持ちは不安定で、どうも様子がおかしい。岩崎弥太郎が率いる三菱との熾烈な競走争いにおいても、「刺し違えてでも勝負をつける」と言ってヒートアップしていく始末。伊藤博文(山崎育三郎)に「らしくない」と苦言を呈されるまで、栄一が正気を取り戻すことはなかった。
そんな栄一は、大島優子演じる兼子と再婚。お千代の逝去後まもなくのことで、長女・うた(小野莉奈)や長男・篤二(泉澤祐希)は複雑な思いを隠せない。兼子としても居心地が良いわけはなく、「きっと私は一生をかけても、奥様の代わりにはなれません」とやがて離縁の意を告げるが……。
その頃、岩崎弥太郎、そして五代友厚が死去。それをきっかけに、競走争いをやめた三菱と共同は合併することになった。そもそも「すべての商いはすべての民のために」をモットーに、人のため世のための行動を指針としてきた栄一にとって、ライバルとの不毛な争いを続けていたこと自体がおかしかったのだ。
手に手を取り合い、人のためにできることを考える。日本を良くするために、どんな商いができるのかを検討する。それが、視聴者の見てきた栄一の姿だろう。
一度は栄一へ離縁の意を告げた兼子だったが、栄一からの熱心な言葉かけによって留まることを決意した。これまでも、栄一はたくさんの人に支えられ、守られながら進んできた。「立派な人でもなんでもない、どうか自分のことを叱って、力を貸してください」と頭を下げた彼の姿に、ほだされる気持ちはわからなくもない。
存続の危機であった東京養育院も、兼子の働きかけで解散を免れた。「奥様の代わりにはなれない」と一度は心を折った兼子。しかし、お千代の思いは無事に受け継がれている。
次回にかけて気になるのは、栄一の長男・篤二の動向である。歴史的に見ても、彼は少々問題児だったようだ。物語ではどのように描かれるのだろうか。
–{第38話「栄一の嫡男」感想・解説集}–
第38話「栄一の嫡男」感想・解説集
第38話のあらすじ
栄一(吉沢 亮)や旧幕臣たちは、徳川家康の江戸入城三百年の節目を祝う「東京開市三百年祭」を開催。昭武(板垣李光人)らと再会し、旧交を温める。栄一の気がかりは、汚名を被ったまま静岡でひっそりと暮らす慶喜(草彅 剛)のことだった。一方、渋沢家では、息子・篤二(泉澤祐希)が、跡継ぎの重責から逃れるかのようにある過ちを犯してしまう。栄一は、篤二を退学させ謹慎を命じる。そして、明治27年夏、日清戦争が起こる。
第38話の感想
多くの産業に携わり、ついに議員にまでなった栄一。銀行業を中心に、製紙・紡績・金鉱・炭鉱・鉄道・建築などなど、その種類は多岐にわたる。日本の国際化を推進するため、女性育成の学校運営に勤しむとともに、病院や養育院などの福祉施設も積極的に建設していった。
そんな栄一を含め、渋沢家の悩みの種となりつつあるのが、長男・篤二(泉澤祐希)である。
決して品行方正とは言えない篤二。女性問題については何度も同じ過ちを繰り返しており、長女・うたにも度々、苦言を呈されている。
「この家は、あなたが継いでいくのですよ。お願いだから自覚を持ってちょうだい」と言われるも、遊び癖が抜けないまま熊本の寮付き学校へ進学することに。規則正しい生活環境で少しは矯正されると思いきや……女性を連れて大阪へ逃げてしまった、との知らせが。
ついに痺れを切らした栄一は、血洗島へ篤二を謹慎させることに。「よくよく謹慎し、お詫びします」と丁寧に請け合うあたり、そこまで遊び人には見えないのだけれど。
彼が遊びを繰り返してしまうのは、母・千代を失ってしまった悲しみから脱しきれないのも、理由のひとつとしてあるだろう。いつかは長男として渋沢家を継がなければいけない、その強いプレッシャーに耐えられないがあまり、現実から目を背けたくなってしまうのではないだろうか。
この篤二を演じる泉澤祐希、どこかで見たことがあると思ったら、朝ドラ「ひよっこ」で三男を演じていた子だ。有村架純演じる、みね子の友人役だった。出演作品が少しずつ増えていて、嬉しい。
第38話は、徳川の世を忘れないため、慶喜の伝記を残したいと願う栄一の思いで幕を閉じる。この時代、未だ「徳川慶喜」は「逃げた将軍」と同義語であった。彼が何を思い、何をし、何を残したのか。明確な言葉で記しておきたいと希望する栄一の意図を思うと、歴史の重厚さを感じる。
「世捨て人だと思われてもいい」と曖昧にはぐらかそうとする慶喜に対し、真っ直ぐな目で「諦めません」と返した栄一が凛としていた。彼との別れも、すぐそこに迫ってきている。
–{第39話「栄一と戦争」感想・解説集}–
第39話「栄一と戦争」感想・解説集
第39話のあらすじ
栄一(吉沢 亮)は、ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談。日本の軍事面のみが注目され、経済への評価がまだまだ低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。財界の代表として戦争への協力を求められた栄一は、公債購入を呼びかける演説をするが、その直後に倒れてしまう。栄一の見舞いに訪れた慶喜(草彅 剛)は、“生きてくれたら、自分のことは何でも話す”と、涙ながらに語りかける。栄一たちは、慶喜の功績を後世に伝えようと、伝記の編纂(へんさん)を始める。
第39話の感想
日清戦争に勝利したことにより、海外各国から注目を浴びる日本。商工業こそ褒めてほしい栄一の希望むなしく、賞賛されるのは軍事力ばかり。しかし、そんな逆境はますます栄一の活力に変換されるだけのようだ。栄一の活躍が世界に広まるにつれ、長男・篤二(泉澤祐希)も積極的に家業を手伝うようになる。
「悲憤慷慨」したあの時から、30年。喜作(高良健吾)、淳忠(田辺誠一)とともに、これまで辿ってきた歴史に思いを馳せる。あらためて慶喜(草彅剛)に会った二人は、つらさ、苦労を労ってくれた「かつての上様」に対し、純粋な感謝から涙を流した。どんな思いで、ここまで来たか。それを思うと、視聴者にとっても感極まる場面だ。
そんな矢先、どんどん強まっていくロシアの勢力。日露戦争が勃発し、国債購入を要望する責務を担った栄一は、やがて「売国奴」と野次を受ける立場になっていく。世論はこうも簡単に端から端へ意見が変わるのか……と現代に通じるものを感じてしまった。しかし、栄一は自分の進むべき道を見失わない。
病に冒され一旦は床に入る栄一。しかし、慶喜が「生きていてくれれば何でも話そう」と伝記の編纂に協力する意思を見せたことで、みるみる回復する胆力を見せる。
「人には、生まれついた役割がある」
慶喜が語ったこの言葉には、栄一、そして篤二の心をも打つ力を持っていた。この先、日本のために何ができるのか。何をすべきではないのか。各々の立場で考え、それぞれの答えが出たことだろう。その答えを、次回に見せてくれるのだろうか。
–{第40話「栄一、海を越えて」感想・解説集}–
第40話「栄一、海を越えて」感想・解説集
第40話のあらすじ
アメリカでは日増しに排日の機運が高まっていた。実業の第一線を退いた栄一(吉沢 亮)は、日米関係を改善しようと妻・兼子(大島優子)と渡米。特別列車で全米60の都市を巡り、民間外交に奔走する。しかし、その道中、長年の友、伊藤博文(山崎育三郎)暗殺の知らせが飛び込む。一方、渋沢家では、篤二(泉澤祐希)が再び問題を起こし、責任を感じた栄一は苦渋の決断を下す。そんななか、慶喜(草彅 剛)の伝記の編纂(へんさん)は大詰めを迎えていた。栄一は慶喜から意外な言葉を聞かされる。
第40話の感想
第一線を退いた栄一は、民間外交を推し進めるためにアメリカへ。明治42年(1909年)のアメリカは石油の時代を迎え、急激に発展を遂げている。西部を中心に日本排斥の潮流が高まりつつあるアメリカにおいて、親切に対応してくれるアメリカ人もいれば、そうではない人も……。
栄一の「親切な人もいれば、憎しみを持つ人もいる。どの社会もそうだ」の言葉が身に沁みる。時代や場所が変わっても、思いは伝わらないこともあると知っていなければならない。
当時の米大統領は「ピースフル・ウォー(平和の戦争)」といった言葉を使った。兼子(大島優子)も言っていたように、戦争という言葉は不穏な空気を伴う。国同士、切磋琢磨し合うことは社会発展には繋がるかもしれない。しかし、戦争という無益な営みに通じてしまう不毛さも同時に、私たちは感じてきた。
商業会議所でのスピーチで、栄一は言った。準備してきた紙を読み上げるのではなく、自身の言葉で。「相手をきちんと知る心があれば、無益な争いは避けられたはず」……。日本人は、敵ではない。今こそ「No war」であると。
栄一の思い虚しく、伊藤博文は暗殺され、日本は第一次世界大戦へと向かっていく。長男・篤二(泉澤祐希)は女遊びの癖が抜けず、その息子(栄一から見て孫)・敬三(笠松将)へ後継ぎを変える動きまで。
栄一の思いは消えずとも、世界は無常に回っていく。次回、最終回。栄一はどんなラストメッセージを残してくれるのだろうか。
–{第41話「青春はつづく」感想・解説集}–
第41話「青春はつづく」感想・解説集
第41話のあらすじ
老年になっても走り続ける栄一(吉沢 亮)は、ワシントンの軍縮会議に合わせて再び渡米し、移民問題など悪化した日米関係の改善に尽力する。一方、栄一の後を継ぐ決心をした孫の敬三(笠松 将)は、銀行員となり、経験を積むため渡英する。そんな折、関東大震災が発生。周囲の心配をはねのけ救援の最前線に立った栄一は、内外の実業家に寄付を呼びかけ資金を集める。また中国の水害に対しても、自宅からラジオを通じて募金への協力を呼びかけるが、満州事変が勃発。救援物資は受け取りを拒否されてしまう。それでも栄一はあきらめず、病床から自らの思いを伝えつづける。
第41話の感想
最期まで、栄一は栄一だった。
80歳、90歳になっても精力的に活動を続ける栄一。1919年に第一次世界大戦が終結し、米国での半日運動が盛んになりつつある情勢であっても、ともに手を取り合おうと呼びかけることをやめなかった。栄一の後継として東京帝国大学で勉強をする孫・敬三(笠松将)の視点から、晩年の栄一の様子が語られる最終回。
とりわけ、1923年の関東大震災において、互いの無事を喜び抱き合う栄一と篤二(泉澤祐希)のシーンや、中国で起きた水害を救うため寄付を呼びかける栄一の力強い様子には、胸を打たれる。
これまでも、栄一を演じる吉沢亮の表現力には目を惹きつけられてきた。しかし、それ以上に、この物語が終わるのが惜しく感じられるほどの熱演が、この最終回にはあった。
90歳を過ぎた栄一が、わざわざラジオ局へ出向いて中国への寄付を呼びかけるのは至難の業である。それを、家の中をラジオ局にしてしまうことで解決した。
「手を取り合いましょう」
「止まっている人がいれば助け合いましょう」
作中で栄一自身が言ったように、決して難しいことではない。ともに手を取り合うこと、助け合うこと。人として世を生き抜くために必要な営みが、昨今では少しずつ忘れられつつあるのかもしれない。そんなことを思いながら、敬三が涙するところでともに泣いた。
振り返ってみれば、長かった。
幼少期の栄一、青年時代の栄一。彼が貫いたのは「この世を良くすること」その思いだけ。父母の教えを全うしつつ「みんなが嬉しいのが一番」を信条に、自分勝手な態度を最も嫌った。
確かに、今の日本の姿は、恥ずかしくて彼には見せられない。今のこの世を、彼はどのように受け止め、嘆くだろうか。
いや、きっと、彼は下を向かない。後ろを振り返りもしない。「ただ励むだけだ」そう言い切って、今の自分にできることを探し、それに向かって一直線に進むだろう。ここまで物語を追ってきた視聴者の皆様も、彼のことをそう捉えているはずだ。
切り開いた道の先を歩いているのは、私たちなのだから。
(文:北村有)