映画コラム

REGULAR

2021年10月31日

「推し」とは無縁な人間が、「推し」について本気で考えてみた

「推し」とは無縁な人間が、「推し」について本気で考えてみた



編集部から毎月出されるお題をもとにコラムを書く「月刊シネマズ」。今月のテーマは「私の推す俳優・女優」だそうだ。

しかし困った。筆者には「推し」がわからぬ。筆者は村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た。このまま『走れメロス』を写経してコラムをなんとかしようと思ったのだが、なんとかなるわけがない。それほど追い込まれているのである。

さて困った。筆者は生まれてこの方いちども「推し」と声に発したことがないし、「推し」について考えたこともない。どうしたものか。このような場合、言葉の定義について調べてみると突破口が開けるケースが多い。

さっそく辞書を引いてみると、「推す」には「すぐれたものとして推薦する」という意味があるらしい。流石にこのくらいは知っているので馬鹿にするなと一瞬思ったが、定義は大事だ。つまり、「私の推す俳優・女優」は「私がすぐれたものとして推薦したい俳優・女優」と考えれば間違いないだろう。

だが、本テーマの「推し」は「すぐれたものとして推薦する」意味とはちょっと違う気がする。もっとなんかこう、興奮しながら「推しィッ!」みたいな感じがする。言葉がもつ意味やニュアンスは時代によって変異するのだから、もう少し現代的な意味で「推し」を用いたほうがいいだろう。いいんじゃないかな。

では、現代的な意味での推しとは何か。簡単に検索をかけてみたところ、「推し」の発祥には諸説あるものの、現在においてはアイドルファンの間で交わされる「ジャーゴン」だったものが、一般社会でも広く使用されるようになり、意味もより広義に発展し進化しているようだ。

「推し」とは単に「ファンであること」を公言するだけでなく、「推す」ことにより対象の認知度を上げるような、応援的なニュアンスもあるようだ。たとえばトンカツが好きな人が居たとして「私はトンカツが好きです」よりも「私はトンカツが好きですので、ぜひあなたにも食べていただきたいのです」といった、内よりも外に開かれた「好き」みたいな感じだろうか。これはかなり本コラムに求められている「推し」に近い気がする。

今では派生語も多いようだ。1人を一途に推す「単推し」、2番目の推しである「二推し」、激しく推す「激推し」、神を崇めるが如く推す「神推し」、推しを変える「推し変」、推しを増やす「推し増し」、団体全体を推す「箱推し」など。端的に言って非常に混乱している。

きっと他にも、少しだけ推す「チョイ推し」、いいところもあるけど悪いところもあるなぁと思いながら推す「半推し」、推してないと言いながら推すツンデレな「推すなよ推すなよ」、空手をこよなく推す「推っす空手部」、押尾学をとにかく推す「推し尾」なんてのもあるかもしれない。推しユニヴァースは今や指パッチンをして用例が半分になったとしても把握しきれないほど拡張を続けているはずだ。ってああああああもうぜんっぜんわかんねぇ!!!! 「推し」って何!? 犬と形状が違う!?

私が推したい俳優・女優は一体誰なんだろう?


(C)2013 KILLIFISH PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED

推す? わっかんねぇけど「そうですねぇ、私の推しはキーラ・ナイトレイです! 今、宇宙はキーラ・ナイトレイを中心に周回しているのは皆様ご承知の通り。現在、台詞がないアップに耐えられる女性はそうそういません。しかしですね『はじまりのうた』をご覧になればおわかりになると思うのですが、あの、マーク・ラファロとのかけあいのなかで、もう、この一瞬のショットが一生続けばいいのにという、好きだけど、キスとはちょっと違うの、みたいなあの、誰でも胸がキュンとなる瞬間。これこそが、古き良き時代からの『女優にキャメラを向ける』行為の、実に正統派な所作であり、これに耐えうるキーラ・ナイトレイは、まさしく推すに値する、否、推さねばならぬ女優なのであります」なんて書けばいいのか? これじゃ作品推しだ。ちょっと違う気がするぞ。

「そうですねぇ、他に推しといえば、やっぱりリリー・ジェームズですかね! キーラ・ナイトレイと同じく、彼女も宇宙の中心に存在していることは皆様ご存知だと思います。向こう1600年は登場しないであろう完全無欠なウェイトレスを演じた『ベイビー・ドライバー』も記憶に新しく、『高慢と偏見とゾンビ』で魅せた美しいお姿もさることながら、まるで韓国映画の傑作『暗殺』における京城三越店での銃撃戦にも迫ろうかというクオリティの美麗な格闘シーンは、そのまま『ベイビー・ドライバー』でバールのような物を持つ、あの瞬間のためにあったのだと思わんばかり。美しい役からバタ臭い役まで何をやってもキュートさが隠しきれないのが唯一の欠点ではありますが、それは加齢とキャリアによって抑制されていくものでしょう。我々人類は、リリー・ジェームズと同じ大気中に生きている僥倖を噛み締めつつ日々を送ることができる。これほどまでに素晴らしいことがありましょうか」ちょっと近づいたかもしれないが、やっぱり作品推しじゃねぇか!

「え? 他に推しがいますかって? そりゃあいっぱいいますよ。私は押し並べて推し、みたいなもんですから。もちろん異性にもいます。まずニコラス・ケイジですよ。ニコラス・ケイジが出演する作品は、冒頭が素晴らしいと後半失速するってのがお約束なんですけど、潔癖症の詐欺師を演じた『マッチスティック・メン』とか、武器商人の『ロード・オブ・ウォー』とかいろいろありますが、まぁ後半失速って言っても、オープニングが良すぎるだけで、もちろん及第点です。いずれも面白い映画なんですが、ニコラス・ケイジを出演させるうえで重要なのは、どれだけニコラス・ケイジを写すかっていう匙加減がキモなわけです。近年で最も素晴らしかったのは『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』で、こちらも冒頭が完璧。深い深い森が空撮で映し出され、赤文字でクレジットが入ります。この後ろで流れるはキング・クリムゾンの『スターレス』。もうこれだけで完璧なんですが、他の作品に類を見ない抑制の効いたニコラス・ケイジ使いは必見。まるでラッセンの絵に核爆弾を落としたような極彩色の世界のなかで、ケイジ自身のキマりまくった演技がハレーションを起こすように眩しく煌めくんですねぇ。ニコラス・ケイジはとかくネタにされやすい役者ではありますが、やっぱり凄いですよ。個人的には過小評価されている俳優ランキングでかなり上に入るんじゃないですかね」。悪くなってるじゃねぇか! 本コラムのお題は「私の推す俳優・女優」なんだよ!


(C) 写真:Everett Collection/アフロ

筆者は今、モニターの前で泣いている。筆者は推せないのだ。これほど推しが溢れる世の中で、純粋に、無邪気に、誰かを、何かを100%で推すことができない。メロスにシラクスの市の塔楼が見えたように、「推し」に到達するまであと少しであるのに!心のなかのフィロストラトスが並走しながら「もう、駄目でございます。無駄でございます。推すのはやめて下さい。もう、あなたに推すことは出来ません」と言っているのが聞こえる。

なぜ推せないのか。答えはわかっている。見栄も外聞も捨てて、素っ裸で友を助けに来たメロスのように、小難しい定義などでこねくりまわさず、勢いだけで書かず、ふざけず、恥ずかしがらずに、ただ、心からの「推し」を公言すればいい。それだけなのだろう。だが、金銭を頂戴して文章を書いている人間にとっては禁じ手のようなものだ。心の中にあるものを、そのまま書いたら物書きとして終わりである。しかし、今回だけはいいだろう。言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して筆者は推す。疾風のごとく刑場に突入し、推せる人々の前で、今まで隠していた本音を宣言せねばならない。小賢しいことは抜きだ。衒学ぶってもいけない。愛の告白はシンプルなほうがいいに決まっている。だから、今からたった9文字でキメる。

「深津絵里が推しです」

筆者はひどく赤面した。

(文:加藤広大)

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