『劇場版 呪術廻戦 0』が至極のラブストーリーだと思う理由
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「存分に呪い合おうじゃないか」
こんな不穏なセリフが流れる『劇場版 呪術廻戦 0』の予告編を観たとき、原作未読の筆者は「幸せムードで充満するクリスマスになんつー映画を上映するんじゃい」と思った。
しかし公開初日。劇場をあとにするなかで、「めちゃくちゃラブストーリーやんけ」と頭のなかで反芻した。
※以下、ネタバレしかありません。鑑賞予定の方は、鑑賞後にご覧になることをおすすめします。
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呪術廻戦の原点は、乙骨が「愛」を言葉にするまでの物語
「愛してるよ里香」「失礼だな、純愛だよ」
『劇場版 呪術廻戦 0』を至極のラブストーリーだと思った理由は、解説するまでもなく乙骨のこのセリフにある。もっと言うなら、このセリフを乙骨が終盤で口に出していなければ、同作はここまでのラブストーリーになっていなかったと思う。
このセリフに至るまでにも、「乙骨と里香が幼い頃に交わした婚約」というこの作品のキーとなる恋愛要素はあった。しかしこの出来事は、乙骨が里香に呪いをかけ特級過呪怨霊としてこの世に縛り付けた動機として、いまひとつ弱いように思えたのだ。
幼い頃の乙骨は「結婚するの」と指輪を渡してきた里香に対して、「いいよ」と答えている。この返答からはずっと一緒にいられることへの喜びは伝わってくるものの、乙骨のなんとも“受け身”な姿勢がうかがえた。
乙骨は呪術高専に編入して出会った同級生・禪院真希から、「受け身で生きてきた」と指摘されている。さらに呪霊からダメージを受けた真希に呪術高専に来た理由を問われた際も、「誰かに必要とされたい」「生きていていいって 自信が欲しい」と言っていた。
これらの描写から彼は、他人がなければ自分を認めるのも難しい自信のなさと、実は周囲へ配慮しているように見せかけて自分にしか興味のない内向的な性格の持ち主だと考えられる。幼い頃の朗らかなやりとりからは、まだこれらの性質は見えにくい。しかし結婚の申し出への返答を見る限り、乙骨には自信のなさや内向性の片鱗はあったと思われる。
里香からの結婚の申し出にOKを出したのもきっと、「誰かに必要とされた」喜びからくるものだったのではないだろうか。そのためこの段階での乙骨は、里香への恋愛感情を自覚していなかったのではないかというのが筆者の見解だ。
乙骨がはじめて恋愛感情という自分本位な感情を抱いたのは、里香との悲惨な別れと直面したときだろう。ずっと一緒にいられる未来が突然奪われてしまったことを受け入れられなかった結果、乙骨は里香に呪いをかけ、自分のそばに縛りつけた。ただこの呪いもまた、当初は「里香からの呪い」と認識していたほど無意識・無自覚のものだったため、恋愛感情と意識はしていないだろう。
そんな彼が里香に対する恋愛感情のカケラを自覚したのはおそらく、怨霊となった彼女を自ら呼び顕現させたときだ。このとき乙骨は、里香からのものだと思っていた呪いが実は自分がかけたものではないかと気づき、彼女にかけた呪いを解くという新たな決意を固めている。ただこの時もその呪いを「愛」と表現したのは、その場に居合わせた高専担任の五条悟だった。
このように物語の終盤まで乙骨は、里香に対する自分の想いを言葉にしていない。それが夏油傑の襲撃で傷ついた高専の仲間たちを目の当たりにしたとき、乙骨は彼らの未来を守りたいという願いを実現するため、愛の言葉とともに里香へ自分自身を生贄として差し出している。
人を傷つけたくないという理由で自分を守り続け、本音に蓋をし続けてきた乙骨は、この作品の中で実は最も「自己愛」が深い人物だと思う。そんな彼が愛の対象を、自分以外に向けたのだ。あたたかくもずっしりと重みを帯びた乙骨のセリフを聞いた瞬間、この映画は彼が「愛している」と言葉にする自信をつけるための2時間だったのだと思わずにいられなかった。
『劇場版 呪術廻戦 0』が描く純愛の定義は“むきだし”
恋愛において執着や嫉妬は見苦しい、醜い、できることなら隠しておきたい感情ではないだろうか。しかしそれらの感情は、純粋にその人しか見えていない、一途な想いの裏返しとも言える。乙骨が里香の死を拒みこの世に縛り付けるために呪いをかけたという事実も、究極の執着、醜い感情だ。
「“善人です”ってセルフプロデュースが顔に出ている」
乙骨は真希からこうも指摘されていた。これは意図せず人を傷つけないよう周囲と距離をとっていたことや、自分の意志を表に出さないことに対しても当てはまるだろうが、里香をこの世に縛り付けてしまうほど実は愛しているという執着にも該当すると思う。彼は無意識のうちに里香への執着に蓋をし、自分が彼女に呪いをかけていたと言われたときにようやく自分の中にある執着に気づいている。
このことから“善人”であろうとする彼は、執着心を持つことを無意識のうちに恐れていたのではないかと思う。しかし彼は里香を自分の意志で完全顕現させたことをきっかけに、自分の中にある執着に気づき、彼女を呪いから解放する努力を重ねていく。これはいわば、本当の、むきだしの自分と向き合う決意、覚悟とも言えよう。
誰かを愛するという行為は、お花畑のような美しさばかりに目がいきがちだ。しかしそれ以上に自分自身の未熟さや身勝手さと全力で向き合わなければならない、とても精神的にハードな行為ではないかと、『劇場版 呪術廻戦 0』は問いかけてきた気がする。
それらのドロドロとした自分本位な感情をも受け止めた先にある、「愛してる」。
乙骨が放ったむきだしの愛の言葉は、呪いなんかじゃない。人間そのものだった。だからこそガツンと胸にくる、完成度がめちゃくちゃ高いラブストーリーとなったのではないだろうか。
(文:クリス)
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