『真夜中乙女戦争』における永瀬廉「3つ」の魅力
3.繊細な少年の心情の変化に呼応する演技力
永瀬廉が演じる「私」は映画の中でほとんど笑顔を見せない。何度か笑みをこぼす場面はあるものの、何かを諦めたような表情で遠くを見つめるように微かに笑うだけである。一方で悪役めいた悪戯な笑みを浮かべ、主人公を誘うように次々と新しい計画を練る黒服は、笑っているのにどこか心のうちが読めずに底知れぬ恐怖を感じた場面もあった。もちろんそれこそが黒服のパーソナリティであり柄本佑がそれを完璧に形にしていた。
しかし、そんな黒服とは対照的に「私」は表情に乏しくも先輩に対しては真摯な愛情を持って彼女に接していく。先輩に対して愛嬌を振りまくわけでも、執拗に愛の言葉を繰り返すわけでもないのに、彼が先輩を大切に思う気持ちは不思議とひしひしとスクリーンから伝わってくるのだ。
ラブホテルの淡く、幻想的な窓の明かりを背景に、先輩と主人公が対峙する場面では、ぽつりぽつりと自分の本音を不器用ながらも紡いでいく姿に、切なくも彼の真摯さを感じた。そしてこの「陰があって暗い」だけの主人公に「大学生らしい人間っぽさ」が吹き込まれていく過程には、永瀬廉の演技力が完全に一枚噛んでいる。大学の教授に飲み物をかけられるシーンで意図的に演じられた、明らかに非常識な振る舞いや口調は、年相応のひとりの不器用な大学生の男の子の告白に驚くほど自然に移り変わっていた。
東京爆破について先輩に真実を話す頃には「あれ?主人公、ちょっといいかも」と完全に永瀬廉の虜になっている自分がいたのを否めない。かなり特異な状況に置かれたキャラクターの心情変化でさえも、違和感を持たせずに観客を引き込んでいく永瀬廉の演技力には脱帽せざるを得ないだろう。
「二宮健監督の最新作を観にいこう」と言う気持ちで劇場の扉を開けたはずだったのに、いつの間にか私は物語が終わるまでずっと永瀬廉の姿を目で追っていた。それは彼が本作の主人公だから、ではなく、永瀬廉と主人公が完全に融合しきっていたからこその結果であろう。
『真夜中乙女戦争』にはキラキラとしたジャニーズの看板を背負う、アイドルはいない。そこにいるのは、これからの映画界を背負う1人の役者としての永瀬廉の姿だ。
真夜中の乙女たちからの讃美を浴びたこれからの彼の活躍に、心から期待したい。
(文:すなくじら)
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