<考察>『麻希のいる世界』で観る“推しの沼”


運命に抗うファム・ファタール、日髙麻鈴



感情のジェットコースターを表現する新谷ゆづみに対して、モナ・リザのような謎めいた表情を貫く日髙麻鈴がいる。

麻希は、冒頭の追跡シーンにおいて由希がついてきていることに気づいているが、あからさまに彼女から逃げようとする。「あたしなんかに関わんなよ」と拒絶する一方で、由希が強引に誘うバンド活動には参加する。大幅に遅刻し他のメンバーを激怒させるものの、彼女がひとたび歌うと世の中の掃き溜めを吐露するような力強さで空間を制圧し、自ずとドラムがそのメロディと対話を始める。



日髙麻鈴の行動原理がよくわからない仕草には、ファム・ファタールとしてのカリスマ性がある。感情を剥き出しにして、自転車をなぎ払って迫る由希に対して日髙麻鈴の力強い拒絶の仕草には麻希のみぞ知る一貫性がある。

※「ファム・ファタール」とは

男性にとっての“運命の女”という意味から転じて、「男の運命を狂わせる魔性の女」という意味で使われる。

カリスマ性とは、当人が信じる理論を一貫して行うことで滲み出てくるものだ。麻希は自分がファム・ファタールであることを自覚している。家族も問題を抱えており、その血に抗えないことを悟った彼女は、自分の世界に対して越えてはいけない一線を引いている。しかし、ファム・ファタールの特性上、人を惹きつけ沼へと突き落としてしまう。



彼女は由希を拒絶することで、沼へ入ることを阻止しようとするが、由希は強引に入っていく。その結果、闇の中で悪い男たちに犯されてしまう。悲劇に見舞われても、由希は麻希を信じるのだ。

映画は、麻希が記憶喪失になることでファム・ファタール属性を洗い流そうとする。しかし言葉を失った由希が再び彼女に会った際の、まるで握手会でのアイドルの仕草のような神対応によって、消えることのないファム・ファタール属性を浮かび上がらせている。

突然訪ねて来た者から身に覚えの無い自分の声の録音を聞かされても、ドン引きすることなく「音源ちょうだい、この後用事があるから連絡先もちょうだい」と自然な会話のように振舞う日髙麻鈴。この消えることないファム・ファタールとしてのカリスマ性に観る者の心もかき乱されるであろう。

『麻希のいる世界』から観るアイドルと一般人の関係性



本作は、一見すると奇妙な映画に見える。しかし新谷ゆづみ、日髙麻鈴の演技を軸にすると『麻希のいる世界』は真のアイドル映画といえる。アイドルと一般人の関係性を捉えているのだ。

アイドルの握手会を例にする。アイドルは、どんな人であろうとも対等に癒しを与える。たとえファンが「また会いに来ました」と語り、前回の状況を覚えてなくても満面の笑みと温もりある返しで接する。ほとんどの場合、一般人とアイドルとの関係は縮まることは無い。一定の距離感が保たれたままである。

またアイドルはいつか卒業し、俳優やモデルになったり一般人に戻ったりする。その変化にもファンはついていき、世界が崩壊してもアイドルのことを信じ抜こうとするだろう。

『麻希のいる世界』は、自転車でひたすら追いかける由希と常に一歩先の世界を走る麻希の関係性を通じてこのような「推しの沼」を醸造させている。

そのため、本作のヒロインに新谷ゆづみ、日髙麻鈴が抜擢されたことは、単に塩田明彦監督『さよならくちびる』繋がりだけではないのだ。元アイドルグループ「さくら学院」のメンバーであることが重要な作品だったのである。

つまり『麻希のいる世界』はアイドルファンにとって、推しを愛する尊さに迫る映画といえるであろう。

(文:CHE BUNBUN )

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