映画コラム

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2022年04月02日

<考察>『やがて海へと届く』を紐解く“海”の表現|WIT STUDIOのアニメーションにも注目

<考察>『やがて海へと届く』を紐解く“海”の表現|WIT STUDIOのアニメーションにも注目


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2022年4月1日(金)に公開された『やがて海へと届く』

引っ込み思案だが内に秘めた強さがある主人公・真奈(岸井ゆきの)が、5年前に1人で旅に出たまま帰って来なくなった、ミステリアスな親友・すみれ(浜辺美波)を探しに行く物語である。

本作品は、タイトルにもある「海」が重要なテーマだ。「海」を訪れるカットが数回登場するうえ、実写映画でありながら「海」を描いたアニメーションを一部取り入れている。

本記事では、『やがて海へと届く』に登場する「海」が持つ意味について、WIT STUDIOが手掛けるアニメーションの「海」の描かれ方、タイトルの意味について、筆者の考察を綴っていきたい。

※本記事では、一部ネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

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本作品に登場する海1:傷心旅行で訪れた海



本作品は実写映画でありながらアニメーションを一部取り入れている。まずは、実写映画に出てくる「海」から紹介していきたい。

最初に海が登場するのは、真奈とすみれが大学時代の時である。当時付き合っていた恋人と別れた真奈を慰めるための傷心旅行として訪れた。

ここで描かれていた海は穏やかで優しく、傷ついた心を受け入れてくれるような寛容さがあった。その海の様子を、すみれは持参したビデオカメラで撮影する。

2人が楽しそうに海を眺めている様子を見ていると、未来はこれから先も当たり前のように続いていくと信じたくなる。

本作品に登場する海2:すみれが消えた海



次に海が登場するのは、すみれが旅に出たままいなくなってから5年後だ。

「(すみれを探しに行くのは)怖いけど、見つけて欲しいと思っているはずだ」と、真奈は同じ職場の国木田(中崎敏)をつれて、すみれが5年前に訪れた東北の海へと向かった。

2人を待っていたのは、広くて穏やかで、綺麗な海だ。ここですみれが消えたとは考えられなかった。

しばらく海を眺めていると、どこかで人々の声が聞こえてくる。



声の主は、東日本大震災の被災者たちだった。それぞれが2011年3月11日に体験したことを語っている。話者の中には、役ではなく、実際に被災した方もいた。

「自分にとって波の音や潮の匂いは生活の一部であり、当たり前だ」と話していた男性の言葉が印象的だ。今も、海と生活を共にしている。

被災者の体験を聞きながら、真奈はすみれのことを考えていたと思う。すみれが、海でどのように過ごしたか、どんなことを感じたのかを想像していたのかもしれない。

どんなにすみれのことを想っても、彼女は恐らく戻ってこないだろう。だが、彼女をいつまでも忘れず、誰かに話し続けることで、すみれはみんなの記憶の中で生き続けるのだ。

WIT STUDIOが手掛けた「海」のアニメーション



劇中には、WIT STUDIOが手掛けたアニメーションの「海」も登場する。アニメーションで、さまざまな海の表情を描いていたので紹介したい。

もともと、彩瀬まるによる同名小説「やがて海へと届く」(講談社文庫)は、壮大なスケールと幻想的な描写から「実写化困難」と言われていた。

そのような小説の実写映画化を試みた中川監督は「アニメーションで描くことができるのであれば映画化できるのではないか」という理由からアニメーションを劇中に取り入れたそう。

中川監督のコメントの通り、実写映画の中にアニメーションがあったため「現実世界と幻想的な世界のあいだ」で作品を観ているようだった。



最初にアニメーションの海が登場したのは、冒頭である。鮮やかな青い海が画面に広がっていて、1人の人間がベンチに座って何かを待っている。言葉を話しているようだが、よくわからなかった。

アニメーションの海はやわらかいタッチで描かていて、観ていると穏やかな気持ちになれた。「海は広い」「海は綺麗」「海は寛容である」と、キラキラと輝く海の魅力を伝えているかのよう。

音楽とアニメーションだけの描写は幻想的で美しく、いつの間にかその世界に没頭していた。



アニメーションから実写へと切り替わるタイミングも自然で、夢から覚めたような印象を受ける。冒頭にアニメーションがあったからか、実写を観ていても幻想的な世界にいるような、現実世界から離れた気分で鑑賞していた。

劇中でもう一度登場したアニメーションの「海」は、すみれが東北を旅した日である2011年3月11日の海を描いていた。

冒頭の鮮やかな海とは一変し、グレーで、荒れた様子の海が登場する。冒頭にも登場した1人の人間は、その海に飲み込まれてしまう。

やわらかいタッチで描かれている様子は変わりないのだが、「海は怖い」「海は悲しい」「海は孤独である」と、冒頭では感じなかった海の印象が伝わってきた。



実写で海を映したとしても、表現の幅には限界がある。穏やかな海を映しても、荒れた海を映しても、私たちは「海だ」としか認識できない。

海をアニメーションで描いたことによって、海の表情が伝わってくるようだった。優しい海も残酷な海もどちらも同じ海であり、さまざまな側面を持つ海と私たちは共存していかなけばならないのだ、と感じる。

また、実写だと「リアルすぎてしまう」ことも。思い出したくない記憶をどうしても思い出してしまうのが、実写映像だと思う。アニメーションで表現することにより、観客は「フィクションの世界」と認識して作品を観ることができる。そのため、自分の過去と作品を直接的に結びつけることなく作品の世界に没頭できる効果があると感じる。

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タイトル『やがて海へと届く』が指す「海」とは



「海」のほかに、本作品に登場する大事なアイテムが「ビデオテープ」だ。

真奈とすみれが出会った頃から、すみれはよくビデオテープを回していた。撮る意味を、「自分は世界の片側しか見れていないから」と述べていた。

そのビデオテープは、すみれがいなくなってから5年後のタイミングで、すみれのかつての恋人・遠野(杉野遥亮)から真奈に渡される。ビデオテープを再生し、彼女がビデオに残した世界を観て、真奈はすみれを探しに行くことを決心したのだった。

本作品のなかで、真奈が初めてビデオテープを回す場面がある。その映像では、すみれに優しい声で語りかけていた。

この真奈の姿を見たとき、タイトル『やがて海へと届く』は、真奈が「海」にいるすみれに、ビデオテープを通して自分の気持ちを届けようとしている様子を指しているのだと感じた。

ビデオテープを通して、「世界の片側しか見れていない」すみれに、「真奈の世界」を見せようとしているのだ。すみれが自分に残してくれたビデオテープのように。

さまざまな「海」が登場する『やがて海へと届く』



実写だけでなくアニメーションの「海」も作中で描かれている映画『やがて海へと届く』。実写映画やアニメーション映画とは違う映画体験ができるはずである。

特別な日に、大切な人を思い出しながら鑑賞したい作品だ。

(文:きどみ)

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(C)2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

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