(C)2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

『シン・ウルトラマン』面白い、だが賛否両論を呼ぶ「5つ」の理由



賛否両論ポイント1:ドラマを1本の映画にした大ボリューム/散漫な印象

元々のウルトラマンシリーズは、1話が30分に満たない連続ドラマだ。つまり、戦う怪獣ごとに一定の物語上の区切りがあるわけだが、映画にするとなればそれを1つの物語にまとめなければならない。この『シン・ウルトラマン』では大まかにドラマ3〜5話分の内容が展開している印象で、後述する「ウルトラマンが人間を守るドラマ」の物語として1本のスジも通っている。

だが、この3〜5つのドラマおよび禍威獣との戦いが連続する様から、やや散漫な印象、もしくはダイジェスト的な印象も持ってしまったというのも正直なところだ。それでいて『シン・ゴジラ』同様の早いテンポの作劇と編集もあって、それぞれの禍威獣に打ち勝つカタルシスがやや希薄、もっと言えば“タメ”が欠けているようにも思えてしまうのだ。



『シン・ゴジラ』は参照元となる作品も同じく映画であり、倒すべき怪獣も事実上一体だけであったのでそのような印象を持つはずがないし、矢継ぎ早な会話も緊急を要する作戦とシンクロしていたと思うのだが、今回の『シン・ウルトラマン』はドラマを映画に変換する難しさを、テンポの早さがヒーロー映画としての爽快感を損ねてしまったようにも感じてしまったのだ。

また、ネタバレになるので詳細は書けないが、クライマックスのサプライズ要素、および戦いおよび決着のつけ方も大いに賛否両論を呼ぶだろう。

とはいえ、初代にあった美味しい要素を詰め込むファンサービスは楽しいし、それを2時間に満たない映画で一気に体験させてくれるという贅沢さがあるというのも事実。これ以外のアプローチはそもそもない、最適解が打ち出されているのではないかとも思える。映画としての構成そのものがやや歪(いびつ)なものになっているのも否定はできないが、その歪さや詰め込んでいる印象も含め、十分に肯定的にみることはできるだろう。

賛否両論ポイント2:人間を守るヒューマニズム/その描写の不足

本作のキャッチコピーには「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」とある。他の外星人は人間に対してよからぬ企みをしているが、ウルトラマンはとある自責の念もあって、人間たちを守ることを信条として、初めは孤独に、後には“禍特対”のメンバーと協力して戦う。ヒロイックなウルトラマンの姿、かつ理屈を超えたヒューマニズムが、初代から受け継がれているのだ。



しかしながら、ウルトラマンがそこまで人間に、特に禍特対のメンバーに思い入れができる過程の描写が足りていないように思える。彼らは諸外国との軋轢や政府との対立などの状況を解説する役回りが多く、それはそれで面白いのだが、個人的にはウルトラマンが彼らを信じ守りたいと思えるだけの理由、はたまた禍特対のカッコいい活躍や、ウルトラマンとの共闘のほうをもっと描いて欲しかったのだ(クライマックスにはあるのだが、ややアッサリ、もしくはギャグめいた描写になっている)。



また、禍特対のメンバーそれぞれを演じる豪華俳優陣は、極端なキャラクターの印象にマッチしているものの、セリフや性格づけや一挙一動がややデフォルメされすぎている印象もあって、映画を観ている観客としても彼らのことを好きになりにくかった。樋口真嗣監督は『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』でも登場人物が度を超えて声を荒げて叫ぶ演出が酷評されたこともあり、今回はだいぶ改善されたとも思えるのだが、やはり賛否両論を呼ぶポイントではあるだろう。

とはいえ、人間を守るべき存在として、頑なにその信念を貫き通すウルトラマンの姿勢そのものにはグッと来たし、初代への最大のリスペクトを感じる要素だ。初めこそ冷徹で社交性がないように思えたそのウルトラマンを、斎藤工が圧倒的な説得力で演じ切っているということも大きい。また、禍特対のメンバーの方が、人間を守ろうとするウルトラマンの意志を知り、信じようとする様にも感動があった。

賛否両論ポイント3:斎藤工と長澤まさみの掛け合い/十分なバディ関係を築けているか?

大きな問題だと感じたのは、斎藤工演じるウルトラマンこと神永と、長澤まさみ演じる浅見が、互いに互いを「バディ」と呼び、相棒として努めるべきだと提言するシーンが多くあるのに関わらず、実際の本編ではほとんどバディ関係を築けていないように思えることだ。

強いて言えばお互いの窮地に駆けつける場面はあるものの、タッグで何かを成し遂げる場面がほとんどない、「単独行動ばかりでぜんぜんバディじゃない」という批判を覆すだけの展開が用意されているとは言い難いのだ。これは、劇中で何度もバディという言葉を使うから気になったのであって、言わなければ問題なかったと思うのだが……。



皮肉的なのは、その斎藤工演じる神永と、山本耕史演じるメフィラスのほうが、よっぽどバディらしく見えることだ。彼らが「一緒に飲みに行く」シーンはなんとも人間味があり、禍特対のメンバーよりも仲良くなっているようにさえ見えるのは、チグハグな印象がある。

とはいえ、初代およびウルトラマンシリーズにある、ウルトラマンと禍特対(過去では「科特隊」)の関係を描きたいという姿勢は支持したいし、クライマックスでは彼らの関係に一応の区切りにはついているので、それを持って彼らがバディやチームである(これからなっていく)と思わせるところもある。何より、斎藤工と長澤まさみの掛け合い、それ自体はとてもは魅力的だ。続編に期待といったところだろう。

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