映画コラム
<BiSHオムニバス映画>チッチ×行定勲:儚い2人を美しくも残酷に描いた文学的恋愛物語
<BiSHオムニバス映画>チッチ×行定勲:儚い2人を美しくも残酷に描いた文学的恋愛物語
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2022年6月10日(金)に公開される、BiSHメンバーそれぞれが主演を務めるオムニバス映画『BiSH presents PCR is PAiPAi CHiNCHiN ROCK’N’ROLL』。
本作品のラストを飾るのは、セントチヒロ・チッチ×行定勲監督作品『どこから来て、どこへ帰るの』。
行定勲が彩る世界観とセントチヒロ・チッチの女優としての魅力が見事マッチした、驚くべきほどにセンセーショナルな作品となっている。
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救いようのない、純粋で不純な恋模様
寂しさを埋めるために恋をして、またその寂しさを埋めるために恋をするーーこの感情は、どこから来て、どこへ帰っていくのだろうか。
『どこから来て、どこへ帰るの』は、今にも消え入りそうな危うげな存在感が印象的なヒロイン・チヨ(セントチヒロ・チッチ)と、純真さと不純さの対極でもがくアキオ(中島歩)による、小説の中の世界がそのまま浮き彫りになったような文学的恋愛物語だ。
白黒映像での描写が、2人の関係の曖昧さをより際立たせる。
“絶対に堕ちてはいけない恋”というものは、それはもう挙げきれないほどにたくさん存在する。
ここでいう“絶対に堕ちてはいけない恋”とは、どうあがいても幸せになれない関係性のことを指す。
この代表的な一例が、すでにみなさんの頭に浮かんでいるであろう、不倫である。
欲望の赴くままに、あってはならない領域に足を踏み入れることは容易だ。だが、その先に待ち受ける絶望や虚無からは逃れられない。
いい大人が、自制心を利かせられなかったことに対する宿命だ。
それでも、わかっていても、這い上がれない沼に堕ちていってしまう理由は“感情”にあるのだろう。
「寂しいっていう気持ちはね、人間に最初に与えられた感情なんだって。寂しいって思うのは、恋をしているからなんだよ。」
一度でも人の温もりを味わってしまうと、またその温もりが欲しくなる。
温もりを知りさえしなければ、寂しいという感情も沸き起こらないはずなのに。
その寂しさが恋愛感情に発展してしまうのだから、人間関係は厄介なのである。
■セントチヒロ・チッチ×行定勲のコラボで起きた化学反応
セントチヒロ・チッチと手を組んだのは、映画『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』『クローズド・ノート』『ナラタージュ』『窮鼠はチーズの夢を見る』などを手掛ける行定勲。
セントチヒロ・チッチが映画『劇場』にオフィシャルコメントを寄せていたことを思うと、このコラボレーションは非常に感慨深い。
行定監督の最たる特徴といえば、根底に切なさが潜む濃厚な恋模様。
セントチヒロ・チッチのアンニュイな雰囲気と行定勲が描く儚さが交わることで、美しくも歪な化学反応が生じている。
このコラボレーションだからこそ、セントチヒロ・チッチの魅力が凄まじく活きたと断言できる。
■女優としての可能性に目を見張る、セントチヒロ・チッチの憑依力
絡み合った糸のように複雑な心情の変遷を、セントチヒロ・チッチが見事体現してくれた。
屈託のない至極純粋な笑顔と掴みどころのない危うさ、ここに彼女の透き通った声が乗っかることで、唯一無二の“チヨ”が完成する。
まるでセントチヒロ・チッチ自身がチヨかのような、いや、チヨがセントチヒロ・チッチかのような驚くべき憑依力。
彼女の恋愛ドキュメンタリーを見ているのかと錯覚してしまうほどには自然体で、だからこそ感情移入してしまう。
心にぽっかり空いた穴をアキオという存在で埋めながらも、依存しすぎないように自身の気持ちをコントロールするチヨの心の負担は計り知れない。今すぐに、ギュッと抱き寄せたい。
スクリーンに映るセントチヒロ・チッチは、いちアイドルでもなくいちアーティストでもなく、確実に女優「セントチヒロ・チッチ」であった。
■ヒロインの魅力を押し上げるクズ男・中島歩の底しれぬ色気
セントチヒロ・チッチ演じるチヨの魅力を最大限に解き放ったのが、中島歩演じるアキオだ。
このアキオという男、クズ中のクズでもはや笑ってしまう。知れば知るほどに想像の範疇を越えてきて、もはや尊敬するレベル。
だが、チヨへの思いがあきれるほどに真っ直ぐだからなのか、なぜか憎めない。むしろ、少し哀れみまでも感じてしまう。
なによりも、このアキオという役に中島歩がハマりすぎていて、すべての事実を知っている第三者から見ても惚れてしまいそうなほどの威力を持つ。
そう、これこそが沼。こんなの、チヨが堕ちてしまうのも当然なのだ。
中島歩が放つ底しれぬ色気に、誰もがのたうち回ることだろう。
1ミリたりとも抜け目のない革命的なマリアージュに感服
芝居たるもの、個人の実力がどれほどあるとしても、共演者や監督との相性によってその魅力は半減することもあれば倍増することもある。本作品での革命的なマリアージュは、そう起こることではない。あらゆるご縁やタイミングによって左右されてしまうものだ。
このことを踏まえた上で、『どこから来て、どこへ帰るの』で起きた奇跡を、BiSHファンはもちろんのこと、そうでない方もぜひ、劇場で体感してほしい。
(文:桐本絵梨花)
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