映画をもっと好きになる『エンドロールのつづき』“5つ”の魅力


▶︎『エンドロールのつづき』画像を全て見る

1月20日(金)に公開された『エンドロールのつづき』

“少年が映写室に忍びこみ、映画を愛し、映画監督を目指す”というざっくりとしたストーリーと予告を観た時、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)を思い出した。

それから『ニュー・シネマ・パラダイス』が大好きな筆者にとって、見逃せない作品になった。同時に、正直不安な気持ちにもなった。『ニュー・シネマ・パラダイス』に寄せることはできても、超えることはできないだろう。だが、そんな考えは杞憂に終わる。結論として『エンドロールのつづき』は、『ニュー・シネマ・パラダイス』とは異なる、新しい作品であった。“映画の素晴らしさ”を描いている点では似ている一方で、観賞後に抱いた感情が少し違う。

本記事では、『ニュー・シネマ・パラダイス』好きの筆者が感じた『エンドロールのつづき』ならではの魅力について綴っていく。

※本記事では『エンドロールのつづき』のストーリーに触れています。未鑑賞の方はご注意ください。

>>>【関連】『ニュー・シネマ・パラダイス』は歳を重ねるたびに楽しみ方が変わる作品だった

>>>【関連記事】『モリコーネ 映画が恋した音楽家』天才マエストロが遺した名作“5選”

魅力1:“映画とは何か?”に注目し、答えを探す


インドの片田舎・グジャラート州出身のチャイ売りの少年・サマイが“ギャラクシー座”で映画と出会い、やがて自分も「映画を作りたい」という夢を抱く物語。監督であるパン・ナリン氏の半自伝映画である。

サマイは、父に連れて行ってもらって観たのをきっかけに、映画を好きになる。だがその時に注目したのは、目の前で上映されている物語ではなく、スクリーンへと伸びる一筋の“光”だった。そもそもサマイは、映画を観る前から緑のガラスビン越しに風景を見て、“緑色”に染まった世界を楽しんでいた子どもである。“光”に興味を持つのも、自然な流れだったのかもしれない。

それから映画にのめり込み母特製のお弁当を引き換えにして、映写技師ファザルに映写室で映画を覗き観させてもらったり、映画について教えてもらったりする。


自分でも映画を上映するため、仲間を巻き込んで勝手にフィルムを盗み、オリジナルの映写機を作ろうと試みた。失敗しつつも、ファザルに教えてもらったヒントを頼りに実験を繰り返した結果、見事に布(サリー)に映画を映すことに成功するのだった。

たった9歳の少年の映画の本質を模索する姿、諦めない姿、成功した時の喜んでいる姿から映画に対する情熱が伝わってきて、思わず涙が出てきた。何より、フィルムを盗んだことが発覚し警察に捕まった時、仲間を庇い1人で責任を負う姿から誰よりも強い意志や覚悟を感じた。

魅力2:仲間たちと“みんな”で上映する


ファザルは、映画に欠かせないのは「物語」と「光」だとサマイに教えるが、実際にはもう1つ大事な存在がある。

それは、映画を一緒に作る「仲間」だ。

サマイは、ファザルに教えられなくても、自然と仲間を映画の世界に引き込み、一緒に手掛けていく。サマイは自分で作った映写機で映画が映るように実験を繰り返す。結果的に成功したが、共に励んだ仲間がいなかったら頓挫していたかもしれない。

本作において印象に残っている場面の1つが、オバケ村での上映会だ。サマイが自作の映写機を回して映したフィルム映画に、友人が吹き替えしたり、鳴き声や効果音を重ねたりする。声や手製の楽器の音色など手作り感が満載で愛しかったし、みんな楽しそうな表情なのがよかった。

そして作り手だけでなく、肝心な「観客」も笑顔で鑑賞していたのが微笑ましかった。映画作りの“温もり”を感じた描写だった。

魅力3:家族や恩師との交流があたたかい


仲間だけでなく、家族や恩師との交流もとても丁寧に描かれていた。

父は「バラモン(カースト制度の最上位の司祭階級)にとって映画は低劣」だと、映画を下に見ていた。棍棒を振り回し、自分の言うことを聞かないサマイを追いかけたり、殴ったりする。そのため、一見すると怖い印象を受ける。だがサマイの覚悟を認め、彼の夢を後押ししたのは間違いなく父親だ。2人のやりとりを観て、胸を打たれた。


そんな父からサマイを庇い、毎日美味しいお弁当を作る母はとても優しくてあたたかい。母が手際良く料理を作る様子は、毎回俯瞰で映し出される。色鮮やかな野菜やチャパティをお弁当箱に詰めていく様子を観ていると、毎度こちらまでお腹が空いてくる。息子への愛情が存分に伝わった場面であった。

そしてサマイの恩師とは、映画の魅力を教えてくれたファザルと、映画を作るために「発て、学べ」と言った担任の先生だ。2人がいたから彼は夢を持ち、夢を叶えるにはどうするべきかを真剣に考えることができた。少年がどんな言葉をかけられ、どんな答えを出したのか。ずっと追うことができたため、彼の選択をより一層尊く感じるのだった。

家族・恩師・友達がサマイを送り出した最後の場面は、涙が止まらなかった。

魅力4:グジャラート州を知ることができる


グジャラート語映画としては日本初公開の本作。グジャラート州の文化を知ることができるのも、魅力の1つだろう。

サマイ役のバヴィン・ラバリや友達、そして父役のディペン・ラヴァルやファザル役のバヴェ-シュ・シュリマリも、グジャラート州出身だ。彼らの会話を聴くだけでも、文化を知ることにつながる。村に大きな存在感を放つ鉄道や、ライオンなどが生息する大自然、道路を走るチャッカル(グジャラート特有の三輪バイク)など。カメラに映る全てが、グジャラート州を知るためのヒントとなる。


サマイの母の手料理も、グジャラート地方独特の味付けとして公式サイトや劇場用パンフレットで紹介されている。

このように言語や風景、料理などグジャラート州の独特な文化を魅力的に切り取った『エンドロールのつづき』は、グジャラート州出身のパン・ナリン監督だからこそ実現した、故郷への愛が詰まった1本だ。

魅力5:フィルム映画終焉の描き方


『エンドロールのつづき』で最も衝撃を受けたのは、フィルム映画の終焉を描いた場面だ。

ファザルから緊急の連絡があり、みんなで急いで“ギャラクシー座”に駆けつけると、いつもと違った光景を目にする。入り口には機材を上から下ろしているクレーンがあり、中には悲しそうな表情のファザルが佇んでいた。

何があったのか。全ての原因は、映写室にあった。慣れ親しんだフィルムの映写機が置いてあったいつもの場所には赤や青、緑のランプが光るスタイリッシュなデジタルシネマの映写機が設置されていた。時代の変遷を一瞬で表現した場面である。

そしてデジタル化に伴って必要がなくなってしまったのは、大量のフィルムである。どこへ行ってしまうのか。サマイたちは一瞬たりとも見逃すまいと、映写機やフィルムを積んだトラックを、必死で追いかける。

たどり着いた先は、町工場だった。そこでサマイたちは、残酷な光景を目にする。

鉄でできた映写機は、熱を持った巨大な機械によって、どんどん小さく潰されていく。最終的には、スプーンになってしまった。フィルムも、溶かされてどんどん形が変わっていき、やがて女性たちを彩る鮮やかな色のチューリー(腕輪)へと変身を遂げた。

スプーンもチューリーも衣食住の衣と食にまつわる、生活に欠かせないアイテム。生き残れなかった映写機とフィルムを思うと、少しだけ寂しい。

そして映写機がデジタルに変わると、数字や英語が読めないファザルは、職を失ってしまった。映写技師の代わりとして紹介されたのが、駅の職員だった。貴重な技術を持つ1人が、現場から離れざるを得ない状況になってしまって、本当にいいのか?と思わずにはいられない。

だが私たちが見ていなかっただけで、このように世の中は回っていたのだ。思わず目を背けたくなる容赦ない描写もカメラはしっかりと捉え、否応なしに現実を突きつけてくる。消えてしまった技術や文化があったおかげで、今があるのだ。

“映画を映画館で観る”尊さを伝えてくれる作品


冒頭で『エンドロールのつづき』と『ニュー・シネマ・パラダイス』は違う作品と述べた。とはいえ作り手が作品を通して伝えたかったことはきっと2作とも同じで「映画を映画館で観る尊さ」だと思う。

どちらの作品にもあったのは、サマイ(トト)が映写室の小窓から映画を観る場面、満席になった客席で観客が映画を楽しんでいる場面、映画の途中でフィルムがカットされて(『ニュー・シネマ・パラダイス』の場合は検閲で引っかかって、『エンドロールのつづき』の場合はサマイたちが盗んだため)全力で怒る場面…。

どれもが愛しく、過去の作品へのリスペクトが感じられるのだ。


1/21(土)に行われた舞台挨拶でも、パン・ナリン監督は映画を観に来た観客に感謝を伝えていた。世界中の映画祭で数々の観客賞を受賞したり、アカデミー賞の国際長編映画賞にインド代表として選出されたりと、多くの評価を得ている本作だが、“映画館が観客でいっぱいになっている方がオスカーより重要”と笑顔で話していたのが印象的だ。

パン・ナリン監督の話の節々から、そして作中に散りばめられたオマージュから、映画への愛が伝わってきた。映画を愛するすべての人のための作品だと思う。

“エンドロールのつづき”にあるもの


映画には必ずエンドロールがあって、エンドロールが終わると私たちは現実世界に戻ってきてしまう。“エンドロールのつづき”が指すのは、まさに映画が終わった後に待っている現実世界である。サマイにとってのエンドロールのつづきは、今のパン・ナリン監督自身だ。

現実は映画のように上手くいかない。辛い時と幸せな時は抜群なタイミングで来ないし、失敗が成功につながるとも限らない。でも、監督も脚本も演出も自分たち。都合の良いように、自分自身で解釈することはできる。

さて映画が終わった今、どこへ行こうか。一度立ち止まって考える機会を与えてくれるのが、『エンドロールのつづき』なのである。

(文:きどみ)

※参考:『エンドロールのつづき』劇場用パンフレット

>>>【関連】『ニュー・シネマ・パラダイス』は歳を重ねるたびに楽しみ方が変わる作品だった

>>>【関連記事】『モリコーネ 映画が恋した音楽家』天才マエストロが遺した名作“5選”

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

ALL RIGHTS RESERVED ©2022. CHHELLO SHOW LLP

RANKING

SPONSORD

PICK UP!