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<考察>『生きる LIVING』を読み解く“3つ”の視点


2.カズオ・イシグロの小説から読み解く

■カズオ・イシグロ小説との共通点

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カズオ・イシグロはなぜ、リメイク版『生きる』の脚本を手がけたのか?

今回の執筆にあたって、何冊か彼の小説に触れてみた。すると、類似の物語が多いことに気付かされた。

「日の名残り」では、執事スティーブンスが新しい従業員として自分の父親ウィリアムと女中を雇う。父親は70歳を超えるベテラン執事である。ある日、女中がウィリアムの仕事ぶりを心配する。しかし、スティーブンスは彼女の心配を受け入れない。その結果、事故が発生してしまう。雇い主からウィリアムの仕事を減らすよう言われると、二つ返事で説得を試みる。組織の調和を優先するあまり、問題の本質に気づけず事故が起こってしまう様が描かれているのだ。

本作では、屋敷内で発生するこの問題を第二次世界大戦時にイギリスがドイツに対して行った宥和政策の失敗と重ね合わせている。

組織の流れに従順がゆえに盲目的になってしまう点は『生きる』と共通している。カズオ・イシグロの場合、システムの中で盲目的になってしまう人間を、組織(=ミクロ)/国家(=マクロ)の視点で描く傾向がある。

■「浮世の画家」との関係性

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今回のリメイク版『生きる』を分析する上で重要な作品がある。それが「浮世の画家」だ。

アトリエ武田工房は、外国人向けに日本画を制作している。短納期で大量に作品を納品できることを売りにしているせいで、従業員は睡眠時間2〜3時間の労働を強いられることとなる。外国人に「日本らしさ」は分からないと劣化していく品質。

そのような工房に中原が入社する。彼は職人としての質を貫こうとするので制作スピードは遅い。これが原因で「カメさん」と呼ばれイジメられる。この状況に疑問を持った小野は、中原に対するイジメを止めようとする。そして工房を去り名声を得るようになる。そんな彼も終戦とともに凋落していく。その原因が戦時中、国家に貢献できる絵画を提供しようとし、批判的視点を失ったからである。

デビュー作「遠い山なみの光」で、以下のように書いたカズオ・イシグロ。

いちばんいけないのは、自分の目で見、疑いをもつことを教えられなかったことです。日本は史上最大の不幸に突入してしまったのです
「遠い山なみの光」(早川書房、p208より引用)

そんな彼が、批判的な眼差しを持っていてもシステムに取り込まれ盲目的になってしまうケースを描いたものが「浮世の画家」なのである。

本作のエッセンスは『生きる LIVING』終盤のアレンジにて表現されている。第三幕、列車の中でウィリアムズの部下たちが彼の生き様を模範にする誓いを交わす。しかし、いざ案件が舞い込むと棚に仕舞われてしまう。「それは......」と声をかけるピーターに対しての眼差しは厳しいもので、部下たちがシステムに再び取り込まれてしまったことを示唆している。

まさしく、「浮世の画家」で描かれた《言うは易く行うは難し、継続するはさらに難しな世界観》をリメイクしているといえよう。

■舞台が1950年代イギリスなのはなぜか?

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ところで、『生きる LIVING』はなぜ1950年代イギリスを舞台にしているのだろうか?

本作の公式サイトによると、カズオ・イシグロは以下のように語っている。

「自分の人生において大切な作品である日本の名作『生きる』の英国版を誰か作ってくれないものかと、ずっと思っていました」とイシグロは言う。

(中略)

イシグロは以前からこのストーリーはイギリスでも通用するものだと感じていた。『生きる』は第二次世界大戦の敗戦国側を扱った作品だが、復興と再生という仕事は勝者にとっても同様であり、帝国の権利意識、禁欲主義、慎み深さなど、両国の間には類似性があった。
『生きる LIVING』公式サイトより引用

先述の通り、カズオ・イシグロの作品は国家と結びつけた作品が多い。今回の場合、システムに取り込まれていく上司像とイギリス史を結びつけることで、1950年代イギリスを舞台に映画化したことへの理解が深まることだろう。

1930年代、イギリスは宥和政策により、友好国であるチェコスロバキアを捨て、ナチス・ドイツによる制圧を許してしまう。その政策に反対する者がいた。チャーチルである。しかし、国の政策を非難する彼ですら流れに飲み込まれてしまう。多くの命を死にさらすと反対していたノルマンディー上陸作戦の敢行を許してしまうのだから。

イギリスは第一次世界大戦時にも、オスマン帝国に勝利した後の領土分割を巡ってアラブ、フランス、ユダヤ教徒それぞれに都合の良い協定を結ぶ三枚舌外交を行い、パレスチナ問題を複雑化した歴史がある。また1950年代のイギリスは、大きな政府により非効率な労働が蔓延していた。

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森川慎也は論文「カズオ・イシグロと理想主義」の中で、1960年代のイギリスは生活水準が向上し、「世界をより善くしていきたい」と考える理想主義の時代だったと語っている。その時代の影響を受けているカズオ・イシグロは70年代にホームレス支援を行っている。一方で彼の初期作品では、理想を過信するあまりに盲目的になってしまう人を描いている。それを一人称の語りによって気づかさせるギミックが用いられていると分析している。

森川慎也の論考を踏まえると、『生きる LIVING』クライマックスにおけるピーターの描写は理想主義を維持しようとする人物の危うさを描いているといえる。封殺されかけた案件に対して「それは......」と言うものの、周囲の空気に耐えきれず、手を引っ込めてしまったピーター。彼には「世界をより善くしていきたい」と思うあまりに周囲に合わせてしまう側面を持っているのだ。

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彼は恐らく、理想を持った状態で60年代を迎えるであろう。鈍化した労働環境も変えられるであろう。しかし、一歩間違えれば上司のように保守的な仕事をしてしまう。カズオ・イシグロはその危うさを、変容する時代の境界線である1950年代に立つピーターへ背負わせたのだ。

このように、カズオ・イシグロの小説は『生きる』と共通した人間心理を描いていることが分かる。だから、彼がリメイク版の脚本を手掛けることは必然であったといえる。そして黒澤明は「生きた時間とはなにか?」を問いかける物語を描いているのに対し、カズオ・イシグロは「世界をより善くとはなにか?」を問いかけている。

そのため、世界をより善くしようとする運動の影に潜む、社会システムに取り込まれてしまう人間の弱さが終盤であらわになるアレンジが施されているのだ。

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