<必見>『ザ・ホエール』鬼才ダーレン・アロノフスキーが描いた世界とは?

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先日開催された第95回アカデミー賞。アクションアドベンチャー『ハムナプトラ』シリーズを愛する映画ファンならば、『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーが主演男優賞に輝いた瞬間歓喜の声を上げたのではないだろうか。

『ハムナプトラ』シリーズや『センター・オブ・ジ・アース』のヒットで大きな注目を集めながらも、心身の不調により表舞台から遠ざかっていたフレイザー。大々的に復活の狼煙を上げた『ザ・ホエール』でのオスカー獲得は「納得」以外の何物でもなく、また作品そのものも「必見」に値する。

今回はそんな『ザ・ホエール』の魅力について、じっくり紹介していきたい。

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ダーレン・アロノフスキー節が炸裂した“密室劇”



そもそも『ザ・ホエール』とは、脚本を手掛けたサミュエル・D・ハンターの舞台を原作にした作品だ。『ブラック・スワン』や『マザー!』等で知られる鬼才ダーレン・アロノフスキーが舞台に感銘を受け、自らの手で映画化に着手した経緯がある。

物語の主人公は、恋人アランを失ったショックから暴食に走り、体重が272キロまで増加した男チャーリー。自身に残された命がわずかだと知った彼は疎遠になっている娘エリーを自宅アパートに招き、破綻した親子関係の修復を試みる。しかしかつて妻子を捨てたチャーリーにとって、エリーにその思いが簡単に届くはずもなく……。

まず本作の特徴のひとつとして、物語が閉じられた空間——チャーリーが暮らすアパート内で展開することが挙げられる。自宅内や玄関前のアプローチへの“横移動”があるため完全なワンシチュエーションではないにせよ、チャーリーが階下に降りるような“縦移動”は描かれていない。そのため、歩行器がなければ満足に歩けないチャーリーの閉塞的な生活を追体験できるはずだ。

またアランの部屋を生前のまま残しているチャーリーが、いかにアランの気配や匂いに囚われているかも伝わってくる。それほど『ザ・ホエール』がチャーリーという男のパーソナルな物語であることの証拠ともいえるだろう。

神懸かり的な演技を見せたブレンダン・フレイザー

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安易に「神懸かり」という表現を使うべきではないが、本作におけるフレイザーの演技に見合った言葉はそれしか見当たらない。スクリーンの中にいるのはブレンダン・フレイザーという俳優ではなく、同じ顔立ちをした体重272キロの中年男性チャーリーなのだから。

驚かされるのは、はっきりと映し出されるチャーリーの全身像だ。顔以上にたっぷりと全身を覆う贅肉は、もちろん本物ではない。エイドリアン・モロットの手によるファットスーツは肌の質感から色艶に至るまで実際の肌と見分けがつかず、完全にフレイザーの肉体の一部と化している。

そんなファットスーツに血を通わせたのが、他ならぬフレイザーの悲壮感を漂わせた演技だろう。筆者にはファットスーツがただ単純に肥満体を再現したものではなく、心から愛するアランを失った痛みがその肉体に現れているように見えた。そのリアリティが、フレイザーだけでなくモロットにアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞をもたらしたのではないか。

作品を支えるサブキャストたち

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本作はフレイザーだけでなく、共演者が見せる表情にも注目してほしい。たとえばチャーリーの生活を支えるリズは、看護師であると同時にアランの妹でもある。入院を頑なに拒むチャーリーにリズは厳しい言葉も投げかけるが、序盤で彼女がチャーリーを笑わせる場面で観客はチャーリーとリズを一気に身近な存在に感じられるはず。『ザ・メニュー』でどこか浮世離れした給仕長を演じたホン・チャウが、本作では一転して人間味あふれるリズを好演している。

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一方でセイディー・シンク演じるチャーリーの娘エリーは、父親に捨てられた影響なのかとにかく常識外の行動が目立つ。とくにチャーリーへ向けた言葉の数々は憎悪に満ちていて、研ぎ澄まされたナイフのように鋭く鈍器のように重い。だからこそ親子の再生物語とは観客の視線を引き寄せるものだが、忘れてはいけないのが本作がアロノフスキー作品だということ。生ぬるい再生物語を描くはずはなく、文字どおりエリーの存在が後半に向かうほど大きくなっていく。

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また物語の序盤で偶然チャーリーと知り合うことになる宣教師の青年トーマスも、本作におけるキーパーソンのひとり。トーマスはニューライフ教会に属しており、この教会の存在自体もチャーリーやリズにとって大きな意味を持つ。トーマスと向き合うことはその背景に広がる事実とも向き合うことになるため、トーマスの行動ひとつで物語が動くといっても過言ではない。

「白鯨」と作品に潜む宗教色

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本作ではチャーリーとエリーを結ぶ数少ないアイテムの中に、ハーマン・メルヴィルの小説白鯨がある。その片鱗がタイトルにも現れているが、それ以上に重要なモチーフになってくるのがたびたび暗示されるキリスト教要素だ。

そもそもニューライフ教会がキリスト教に属し、「白鯨」で言及される旧約聖書もキリスト教とユダヤ教の聖典にあたる。また“ある人物”の背景にまばゆい光が満ちる描写も、キリスト教美術における光背と重なるものがある。

チャーリーがどのような結末を迎えるかは別として、本作はチャーリーの「最期の5日間」を描いた作品だ。物語は月曜から始まることが明示されており、当然金曜日に幕を下ろすことになる。金曜日といえば、キリストの受難日。これは作品の本質とはズレるが、アカデミー賞発表後の日付の中から、もしも日本が“狙って”4月7日金曜日を公開日に設定したのならなんとも心憎い。

まとめ

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さて本稿でチャーリーの縦移動はないと明記したが、正確にいうとそれは誤りだ。巨体ゆえに横移動しかできないチャーリーが縦移動する瞬間は極めて重要な描写であり、その構図を深読みすると本作が“救済の始まり”を描いているのではないかと読み取れる。

それらの意味も含めて、映画の余韻に浸りながらじっくり考察をめぐらせてほしい。

(文:葦見川和哉)

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