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<考察>ワイスピにおける「ファミリー」は何を指し示すのか?

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5月19日(金)より『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』が日本公開となった。

この作品は、2001年に大ヒットした『ワイルド・スピード』のシリーズ10作目である。シリーズ最終章である本作は、MCUにおける『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』にあたるポジションとなっており、ドミニク・トレットをはじめとする屈強な面々がジェイソン・モモア演じるダンテによって窮地に立たされていく内容となっている。



実際に観ると、本シリーズが20年以上の歳月をかけて熟成させてきた「ファミリー」像についての物語にもなっていることに気づかされる。アメリカ映画において「家族」を物語の中心に置くケースは少なくない。

しかし、ワイルド・スピードシリーズにおける「ファミリー」は独特なものとなっている。今回は、本シリーズにおける「ファミリー」像について考察し、その上で『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』のテーマに迫っていく。

※本記事は『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』の細部に言及しているため、映画鑑賞後に読むことを推奨します。

【目次】


アメリカ映画における家族像

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アメリカ映画において「家族」は重要なテーマである。

第95回アカデミー賞にて作品賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ではマルチバースを用いたユニークな映画ではあるものの、テーマ自体は家族愛を扱っていた。

『ファイブルマンズ』を撮ったスティーヴン・スピルバーグのフィルモグラフィーを確認すると、「家族」が物語の主軸となっていることに気づかされる。これらの物語は、家族という小さな組織の安定が内外の要因で脅かされ、葛藤/対峙しながら折り合いをつけていこうとする。その中で愛や絆のあり方が模索されていく。

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一方で、アメリカ映画界が得意とするジャンルにビジネス映画がある。ビジネス映画と、AIR/エア』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のように、企業組織が利益や理想のためにチームワークを発揮していく物語が多い。このジャンルにおける企業組織はある意味「家族」のような役割を果たしている。

AIR/エア』に注目すると、マイケル・ジョーダンとの契約に情熱を注ぐソニーは上司と激しく対立していく。しかし物語終盤では、弱腰になるソニーに対して歩み寄りプロジェクト成功へと駒を進めていく。率直に本音をぶつけ合い、問題を乗り越えようとする様は家族との関係に近い親密さがある。つまり、家族映画とビジネス映画は「組織が直面する問題を乗り越えようとする点」で共通するものがある。

しかし、ビジネス映画における企業組織の関係が社員個人の家族と交わることは意外と少ない。『AIR/エア』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』において、家族サイドが描かれることは少なかった。また、家族映画において企業組織を捉えることも少ない。

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『ファイブルマンズ』を例にすると、主人公の父親であるバート・フェイブルマンはエンジニアとして成功していくが、その職場の様子はほとんど描かれない。激務の合間を縫って帰宅し「父親」としての責務を少し果たす程度の描写となっている。

類似作品として、ジェームズ・グレイ監督の『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』がある。監督の半自伝的作品であり、こちらも子ども目線で家族を捉えた作品であるが、父親の仕事は『フェイブルマンズ』以上に透明化されており、彼のサラリーマンとしての関係性は全く描かれない。

この特性は大場正明「サバービアの憂鬱」における、アメリカ郊外の成り立ちと50年代における父親の役割の変化に関する論考を踏まえると腑に落ちるものがある。

第二次世界大戦後、戦地から引き揚げて来た兵士や、工場労働者が新しい生活を始めようとする中で住居不足が発生する。この住居不足に追い討ちをかけるようにベビーブームが発生する。連邦政府の機関は、積極的に家を持つための資金を貸し出すことで、人々は郊外に家を持つようになった。子どもを授かった者は喧騒とし治安も悪い都市部から離れようとした。

郊外に住む父親の多くは、企業組織に忠誠を誓う者。かつてはフロンティア精神で、職種を変えることもいとわない価値観だった者が上司に忠実にあろうとする安定化思考へと変わっていく時代だった。また、家族において主役は母親と子どもであり父親の存在は希薄なものとなっていった。本著では、50年代に流行したテレビドラマ「パパは何でも知っている」を例に、仕事の話がほとんど出てこない父親像について指摘している。



もちろん、これは1950年代の話。『AIR/エア』のソニーがフロンティア精神で挑戦していく様とは異なる価値観である。しかしながら、映像作品における家庭と組織の分断のルーツであることが分かる。

これらを踏まえてワイルド・スピードシリーズを考えると、本作が語る「ファミリー」とは家族と組織が重なり合った概念であることが見えてくる。次項にて、詳しく掘り下げていく。

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ワイスピにおける「ファミリー」像とは?


2001年に公開されたワイルド・スピードは、おとり捜査官のブライアン・オコナー(ポール・ウォーカー)がストリート・レーサーのドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)と接触し、改造車による強盗事件の解明に励む物語であった。

『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』を除く5作目までは、警察官と犯罪者が呉越同舟して敵を追い詰めていく物語が軸となっていた。

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しかし、ブライアン・オコナーに妻子ができ、ドミニク・トレットも元警察官のエレナ・ネベス(エルサ・パタキー)が恋人になった6作目『ワイルド・スピード EURO MISSION』からは、「ファミリー」のドラマに重きが置かれるようになっていったように感じる。元々、本シリーズではレースを通じて親密な関係が生まれる傾向があり、1作目の時点から性別、人種が交わった関係性が描かれてきた。

またシリーズを重ねるごとに仲間も増えていくのだが、敵対する人物が仲間になる場合もある。例えば、『ワイルド・スピード SKY MISSION』で登場したデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)は次回作『ワイルド・スピード ICE BREAK』にて「ファミリー」に加わっている。この様子は、まるで家族ぐるみで付き合いがある企業組織を彷彿とさせる。

企業は、利益の最大化等の目的に合わせて、様々な背景や技術を持った人たちがチームワークを発揮していく。時には敵対勢力と交渉する必要が出てくる。交渉といえば、勝ち負けを考えがちである。しかし、交渉学の世界において交渉結果の評価は、賢明な合意ができているかどうかが重要視される。

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『ワイルド・スピード ICE BREAK』では、カート・ラッセル演じるミスター・ノーバディが犬猿の仲であるルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)とデッカード・ショウを繋げようとする。互いの目的の本質が同じであることと、その目的に辿り着くためにドミニクに会う必要がある共通項を提示することにより二人は合意にいたる。犬猿の仲であることは変わらないが、双方の意見を擦り合わせた上で共闘する様子は、企業組織的な人間関係といえる。

そのため、アクション大作でありながらも、交渉的対話により関係性が構築されていくビジネス映画のような側面を持っているシリーズと考えることが可能なのだ。

そして、映画の最後には決まって飲み会が開催されるのだが、その空間には妻子も参加し、時には今後どうありたいとかキャリアに関する報告が行われる。ここでは、仕事中には魅せることのない素の笑顔やフランクな関係性が垣間見える。


『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』では、ドミニクの子どもリトルB(レオ・アベロ・ペリー)との関係性に力を入れている。前半は親子の関係として描かれるが、後半ではリトルBがダンテとの闘いに参加し、ジェイコブ(ジョン・シナ)の車の弾詰まりを解消する。これは企業組織における個性の発揮に近い活躍をみせる場面。

つまり、ワイルド・スピードシリーズにおける「ファミリー」は家庭と組織、双方が重ね合わさった存在だといえるのではないだろうか。

※以降、『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』の細部に言及しています。未鑑賞の方はご注意ください。

ワイスピXの敵は「ファミリー」像を否定する存在だった


上記を踏まえ『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』の敵であるダンテに着目する。すると、「ファミリー」とは対極にある存在であることが分かる。

シリーズ5作目『ワイルド・スピード MEGA MAX』で死亡した麻薬王エルナン・レイエス(ジョアキム・デ・アルメイダ)の息子であるダンテは、仇を討つためにファミリーを追い詰めていく。彼は基本的に単独行動を好む。

群れを形成してファミリーを制圧する場面でも、群れの中の個人にフォーカスが当たることはほとんどない。ローマの場面では、ドミニクたちがそれぞれの強みを活用して作戦を成功へと導こうとしていた。画も個々にフォーカスが当たっていた。ダンテサイドと対照的な描写となっている。


そんな彼は、ファミリーの特性を的確に把握しながらドミニクに絶望を与えていく。

ドミニク一派は、ストリートレースから発展していったファミリーなので、レースを通じて対話をする傾向がある。レースの強さは、マシンに対する情熱やレーサーの思考に直結するものがあり、性別・人種関係なく対等な会話ができるからであろう。

この特性を利用し、ダンテはドミニクに勝負を仕掛ける。彼は爆弾を使い、ドミニクがトロッコ問題を解かざる得ない状況へと追い込む。絶望とは、生かさず殺さずの中で発生するものである。ダンテはファミリーを分断し、その上で仲間を血祭りに上げることで地獄を見せていく。

終盤では、激しいカーチェイスの末、ダムに到達する。対話が可能な状態になったかと思いきや「とあること」を行い絶望を与える。


これは、ドミニクたちの「ファミリー」が対話を通じて部分的な合意のもと仲間になる可能性を否定するものとなっており、シリーズの中で最も厄介な敵、まさしくラスボスに相応しい存在であることが分かる。

20年かけて培われた「ファミリー」像が本格的に崩しに来たシリーズ10作目。次回作では、どのような形でこの問題を解決し「ファミリー」像を再定義していくのかが注目である。

(文:CHE BUNBUN)

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