映画コラム

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2018年05月16日

映画の為に濡れ場があるのか?濡れ場の為に映画があるのか?

映画の為に濡れ場があるのか?濡れ場の為に映画があるのか?

■映画の濡れ場大好き芸人の濡れ話

濡れ場界の永遠の問題。

映画の為に濡れ場があるのか?濡れ場の為に映画があるのか?

これは永遠に考えなければならない問題である。

なぜこんな事を急に言うのか?

前々回書かせていただいた『娼年』。『娼年』を観て改めて思い出した。同監督の数年前の傑作『愛の渦』を。

当時そこまで有名ではなかった門脇麦を一気にスターダムに押し上げた、濡れ場界の正統派の成功例を叩き出した作品。

『愛の渦』


愛の渦


2006年・第50回岸田國士戯曲賞を受賞した、演劇ユニット「ポツドール」の同名舞台劇を映画化。ポツドール主宰の劇作家・三浦大輔が自ら映画用に脚本を書き下ろし、メガホンもとった。フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。主人公のニートの青年を「半分の月がのぼる空」「砂時計」の池松壮亮が演じ、ヒロインとなる女子大生を東京ガスやチョコラBBのCMで注目を集める新進女優の門脇麦が演じる。

絶妙に巧妙なストーリー。

一貫してエロの深さを描くと共にそこに関係する人間の馬鹿さを引き出す作品。

両作品ともにベースに「濡れ場」があってそこから展開していく。

「娼年」は娼夫、「愛の渦」は乱行パーティ。

ベースに非現実のエロさがあるから人間関係のちょっとした揺らぎがどんどん笑いになって、その笑いの反動が逆にエロさや悲しさになって返ってくる。

その巧妙さが絶妙。観客を飽きさせず18禁なのに、終始エンターテインメントにたけている。

舞台をずっとしてらっしゃった監督だからこそなのか?

ダレささない作りになっていてとても面白い。

そして問題の門脇麦さんの濡れ場。というか門脇さんだけでなく、すべての女優の濡れ場。

「娼年」に比べ、室内で展開される分エロいかと思いきや、ほぼずっと全員脱いでいる為に、後半はそこまでエロさと言うのを忘れてる。
それよりもこんな「乱行パーティ」なのにピュアな気持ちになるシーンや、しょうもない喧嘩やあけすけな女のひと言で笑ったり切なくなったりする。

濡れ場界に燦然と輝く名作。

これこそ、僕たち濡れ場界が思い描いていた作品ではないか?

濡れ場がふんだんに有り、そして濡れ場が多めの映画にありがちな陰鬱な重ったるい芸術的な空気がなく、ストーリーがずっと面白く、そしてエロい。

濡れ場の為に映画がある。

そして1番言いたいのは、この作品で確実に門脇麦が売れた事。

全ての人間が幸せ。

監督が門脇さんに切符を渡し、その切符で確実に羽ばたいた。

これこそ濡れ場界のクソ男どもが喜ぶ作品なのである。

『娼年』『愛の渦』両作品ともまだの方是非。

(文:南川聡史)

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