「日曜の夜ぐらいは...」最終話:日曜夜の不安は明日への祈り。今を生きる全ての戦士にケセラセラ!
主演に清野菜名、共演に岸井ゆきのと生見愛瑠が名を連ねる連続ドラマ「日曜の夜ぐらいは...」(ABCテレビ/テレビ朝日系)が2023年4月30日よりスタート。脚本家の岡田惠和が、あるラジオ番組がきっかけで出会った女性3人のハートフルな友情物語を紡ぐ。
本記事では、最終話をCINEMAS+のドラマライターが紐解いていく。
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「日曜の夜ぐらいは...」最終話レビュー
サチ(清野菜名)、翔子(岸井ゆきの)、若葉(生見愛瑠)が「絶対に幸せになろうね」と誓ったあの日から、祈るような気持ちで3人を見守ってきた。
「彼女たちが不幸になるようなことが、何も起きませんように」「彼女たちが誰かに傷つけられることなく、明日も笑顔に過ごせますように」と。
なぜ赤の他人である彼女たちの幸せを、ましてやドラマの中の出来事に過ぎないにもかかわらず、こんなにも強く願ってしまうのか不思議で堪らなかった。でも、全10話を観終えた今なら分かる。その願いは自分自身に向けたものでもあったのだ。
私たちはいつも日曜日の夜、同じようなことを願っている。また新たなスタートを切る明日からの自分が幸せであるよう。せめて不幸が訪れぬよう。色んな不安が頭をよぎり、眠れなくなることもある。本作は、そんな私たちのためのドラマだった。
カフェ「サンデイズ」のオープンを控えたサチたちは“日曜の夜”みたいな日々を過ごす。ここまで何もかも順調で、だからこそ人は不安になるもの。本当に上手くいくのか、お客さんは来てくれるのか。心配要素を挙げだしたらキリがない。
特にサチは“身の丈に合った人生”をつい考えて、それ以上の幸せを享受することに抵抗を覚えてしまう人だから。夢の実現を前にして、さらにご褒美である高いアイスを食べるなんていけないことのように思ってしまうけれど、「そんなことない」と翔子と若葉は否定する。
あの日、バスツアーで購入した3千万の当たりくじがサチに与えてくれたのは多分、土曜日と日曜日だった。裏を返せば、サチはずっと月曜日から金曜日を意図的に繰り返していたとも言える。そうでもしなきゃ、辛い現実を乗り越えることができなかったから。
日曜の夜が辛くなるのは、それだけ土日が幸せだったことの裏返しでもある。「いっそ土日なんてなければ、月曜日が憂鬱に感じることもないのに」と考えるのがこれまでのサチだ。だけど、翔子と若葉に出会ったことで、彼女に休日(=心の休息日)がもたらされた。だからこそ、日曜の夜が苦しくなる。
じゃあ出会わなければ良かったかと言われたら、決してそんなことはない。その苦しみは祈りに変わるから。翔子や若葉たちとの幸せな時間を経たことで、サチは苦しい日々がデフォルトではないことに気づけた。だからこそ、日曜の夜に明日の自分が幸せであることを願えるのだ。
それに、サチには同士が大勢できた。翔子や若葉はもちろん、みね(岡山天音)に賢太(川村壱馬)、そして邦子(和久井映見)や富士子(宮本信子)と、一緒に願うだけじゃない、明日の幸せを共に作っていける仲間が。不安になった時、隣で「ケセラセラ!(なるようになるさ!)」の呪文を唱えてくれる人がいるというのは何よりも心強いことだ。
実際に蓋を開けたらカフェは大盛況で、エレキコミックとそのリスナーたちも駆けつけてくれ、全ての不安は一気に吹き飛ばされる。そんな幸せ一杯のオープン初日を見届けても、あと残りの放送時間で何か良くないことが起きるんじゃないかと不安になる私たちは、やっぱり以前のサチと同じで“不幸の先取り”が癖になってしまっているのだろう。このドラマはそういう私たち視聴者の翔子や若葉になってくれて、ずっとケセラセラと唱えながら、不安を一つずつ潰していってくれた。
何か裏がありそうと勘ぐってしまった賢太は他人から貼られた“イケメンだから人生楽勝”のレッテルを剥がすべく努力し続けてきた、しかもラジオネーム「キャッチャープー」の面白いごく普通の青年で、みんなを守らなきゃという使命感で潰れてしまいそうなみねはそんなにヤワな男ではなく、結託して何かしでかしそうだった田所(橋本じゅん)と博嗣(尾美としのり)の間には妙な友情が芽生えた。
また富士子のスタンガンも、まどか(矢田亜希子)ではなく「サンデイズ」に現れた強盗に使われるというオチ。一方のまどかはカフェに現れ、若葉を鼓舞して颯爽と立ち去っていった。こうして私たちが勝手に立てたフラグというフラグを全てへし折っていったのである。
まったく、こんなドラマありなのか。いや大いに結構だ。だって日曜の夜なのだから。日曜の夜ぐらい、幸せな気分で眠りにつきたい。そんな願いにこのドラマは全力で応えたくれた。
翔子が血の繋がった家族と仲直りできず、サチの妄想の世界で母親と再会する展開はちょっとしたスパイス。何もかも上手くいけばいいけれど、現実はそうはいかない。だけど、人生何が起きるか分からないから。それこそ突然宝くじに当たるみたいに、翔子にいつか母親とタクシーでドライブする日が訪れることだってありうる。
大事なのは、そうやって都合の良い夢を描けること。日曜の夜、布団の中で幸せな明日を夢見て眠りにつけること。そのサポートを本作はこの数ヶ月間してくれていた。だからこそお別れが寂しいけれど、最後に“ケセラセラ”と思えるサチのモノローグで締めくくりたい。
「いま2023年、令和5年にこの世界に生きている人はみんな傷だらけで戦ってる戦士みたいなものだと私は思う。すべての戦士たちの心に休息を。せめて日曜の夜ぐらいはみんなが一度深呼吸できますように。でないと戦えないよ。どうかお願いします。戦士代表 岸田サチ」
(文:苫とり子)
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