映画コラム

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2023年08月15日

『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』は「映画が観たくなる」ドキュメンタリーだった

『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』は「映画が観たくなる」ドキュメンタリーだった

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「映画に愛された男」というよりは「映画を愛する男」や「映画に救われた男」とか「映画バカ一代」などと表現したほうが的のど真ん中をピストルで撃ち抜いているような気がするが、本ドキュメンタリーを観た人ならご理解いただけるだろう。いただけるような気がする。

無論、クエンティン・タランティーノは映画に愛された男だ。映画の神様みたいな存在が居るならば、ストリート上がりの悪童、タランティーノは間違いなく神にフックアップされ、ギフトを授かっている。



だが、どちらかというと映画が彼に抱く愛情よりも彼の愛のほうが強く、まるで初恋をした少年少女のように「愛してるよ」「私も愛してるわ」「僕のほうが愛してるよ」「あら、私のほうが愛してるわ」「そんなことないよ」「そんなことないわ」「俺のほうが愛してるって言ってんだろ!」「私のほうが愛してるわよ!」「All right, everybody be cool, this is a robbery!!!!!!」「Any of you fucking pricks move, and I'll execute every motherfucking last one of ya!!!!!!!!」みたいな感じで、勢いパンプキンとハニーバニーが登場したが、もう「好き」が止められないのはどの作品でも見てとれ、まるでオヤジギャグが出てしまうように(若い人に言いたい。オヤジギャグは出してるのではなく出てしまう。つまり止められない)主に冒頭、もしくはラストに表出する。

本作は「映画に愛し映画を愛した男」と、まるで特攻服に刺繍でもされそうなパンチラインが世界で最も似合う60歳、クエンティン・タランティーノのドキュメンタリーである。のだが、単なる彼の足跡を追ったドキュメンタリーではない。

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タランティーノが足らんてぃーの


若い人に言いたい。オヤジギャグは出してるのではなく出てしまう。つまり止められない。本作は、タランティーノが足らんてぃーので、タランティーノ本人が登場して、何かを語ることはない。

だが、本人不在においてもブルース・ダーン、ゾーイ・ベル、クリストフ・ヴァルツ、カート・ラッセル、サミュエル・L・ジャクソンなど、タランティーノ映画を彩る出演者が召喚され、タランティーノの人となりや撮影現場でのエピソードを惜しげもなく披露してくれる。

体感ではサミュエル・L・ジャクソンが3割くらい喋っていたような感じもしたが気のせいだろう。だが、彼一人で出演者全員分のフォーレターワードを繰り出していたのは気のせいではない。


ちなみに、1本の映画で「ファック」と発言した回数は、サミュエル・L・ジャクソンよりもジョナ・ヒルのほうが多い。ジョナ・ヒルは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のなかで107回、文字にして407文字もの卑語を放つ。だが、「マザファカ」ならサミュエル・L・ジャクソンのほうが多いだろう。

卑語の数はさておき、本作はタランティーノ不在のまま進む。正確には、タランティーノの言葉は引用され、撮影中に小躍りしたり爆笑したりする姿は映し出される。映画はタランティーノの周囲を埋めることで、中心の空間にタランティーノ像を表出させようと試みている。

これは非常に批評的なやり方で、タランティーノが自ら出てきて語るよりも、映画作家としての彼が立ち上がる仕組みになっている。

タランティーノが足らんくても、ここ十数年(数字適当)で最も「映画が観たくなる」ドキュメンタリー作品

『パルプ・フィクション』

若い人に言いたい。オヤジギャグは出してるのではなく出てしまう。つまり止められない。本作は、タランティーノが足らんてぃ……もういいですかね?タランティーノが登場しなくとも、ここ数十年で最も「作中に登場する映画が観たくなる」ドキュメンタリー作品だと思う。

ヴィンセントとジュールスが会話をしているシーンが流れれば『パルプ・フィクション』を、スタントマン・マイクの不敵な横顔を見れば『デス・プルーフ』を、ランダ大佐がラパディットを尋問する姿を目撃すれば、震え上がるような緊張感とともに『イングロリアス・バスターズ』が観たくなるだろう。


ちなみに、サミュエル・L・ジャクソンが喋っているシーンでは、サミュエル・L・ジャクソンが出演した全タラ作品を観たくなるだろう。時に、現在までの彼の作品は以下のとおりだ。

  • レザボア・ドッグス(Reservoir Dogs)
  • パルプ・フィクション(Pulp Fiction)
  • ジャッキー・ブラウン(Jackie Brown)
  • キル・ビル Vol.1(Kill Bill: Vol. 1)
  • キル・ビル Vol.2(Kill Bill: Vol. 2)
  • デス・プルーフ in グラインドハウス(Death Proof)
  • イングロリアス・バスターズ(Inglourious Basterds)
  • ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)
  • ヘイトフル・エイト(The Hateful Eight)
  • ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(Once Upon a Time in Hollywood)

観たことがある人であれば、誰しもが何らかのシーンを思い出せるだろう。ちなみに全くどうでもいいのだが、公開順に記した上記リストを筆者のタランティーノランキングに直すと以下のようになる。

  • 1位:デス・プルーフ in グラインドハウス(Death Proof)
  • 2位:イングロリアス・バスターズ(Inglourious Basterds)
  • 3位:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(Once Upon a Time in
  • Hollywood)
  • 殿堂入:レザボア・ドッグス(Reservoir Dogs)
  • 殿堂入:パルプ・フィクション(Pulp Fiction)
  • 殿堂入:ジャッキー・ブラウン(Jackie Brown)
  • 殿堂入:ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)
  • 殿堂入:キル・ビル Vol.1(Kill Bill: Vol. 1)
  • 殿堂入:ヘイトフル・エイト(The Hateful Eight)
  • 殿堂入:キル・ビル Vol.2(Kill Bill: Vol. 2)

(C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

途中で諦めて4位以下がすべて殿堂入りになってしまったが、1位は初めて観たときから揺るいでいない。『イングロリアス・バスターズ』は、クリストフ・ヴァルツの冒頭シーンだけで5億点なので安定の2位である。

飲みの席で話す「お前、タランティーノ何好きなんだよ」的無駄話はさておき、とにかく、かなりの高打率である9作(キル・ビルはニコイチ計算)のちょっとしたシーンが出るだけで、見直したくなってしまう力が、タランティーノ作品にあることを証明しただけでも、本ドキュメンタリーの存在価値がある。

この見直したくなる力は、個人的には「無駄話」にあると思うのだが、多分2万字くらいいくので本コラムでは詳述を避ける。


端的に言うなら、多くのタラ追随者がやろうとして失敗を続けているタラ印の無駄話は時間と場所を問わないからだ。

彼が「自分のフィルモグラフィーの中に『おいおい、こいつはまだ20年前のことを考えてんのか』と思われるような、下手で時代遅れのコメディは入れたくない」と語るように、緻密かつ鉄壁の知性をもってして、耐用年数のある(無駄ではない)無駄話を作り上げていることが理由のひとつで、さらにその無駄話はMCU(無駄話・シネマティック・ユニヴァース)のごとく作品を横断する。

時にタランティーノは、年々いつもの無駄話のように聞こえるが実は無駄ではない会話を入れ込んでくるようになっているが、それとて(以下2万字省略)

本作には、2人のタラちゃんが居る/触れなければいけない話題について



話は再びタランティーノが足らんてぃーの問題に戻るが、本作を試写で鑑賞したタランティーノは「この映画で面白いと思うのは、映画監督についてのドキュメントを撮る他の人たちとは対照的に、監督が僕にインタビューを求めなかったことだ。それはとてもクールだと思った。普通、それは誰もが自分の帽子をかけるフックなんだ」と語っている。ちなみに「帽子をかけるフックなんだ」は「hang one's hat on」で、頼るとか信じるとかいう意味がある。

タランティーノが褒め称えた監督の名は、タラ・ウッド。奇しくも2人ともタラちゃんである。そういえば、なぜタランティーノはタラちゃんと呼ばれていたのだろうか。疑問は尽きないが締め切りが迫っているのでそんなことを考えている余裕はない。


で、監督もタラちゃんである。彼女は『21 YEARS: RICHARD LINKLATER』という原題で、リチャード・リンクレイターのドキュメンタリーを撮っている。本作の現在はティム・バートンを題材にしているそうだ。さては映画監督映画職人であろう。

本作は当初、2016年にワインスタイン・カンパニーによって公開されようとしていた。しかし、2017年の後半にハーヴェイ・ワインスタインのスキャンダルが発覚した後、タラ・ウッドは本作の所有権を取り戻そうと奔走するがワインスタイン・カンパニーがこれを拒否。

しかしワインスタイン・カンパニーの倒産なども原因になり、作品は再び彼女の手に戻ることとなる。そして、作品はそのままにされず、再びインタビューを行い、再編集をして新たなドキュメンタリーとして完成させた経緯がある。

そのため本作を鑑賞するうえで「なんだか妙なタイミングでワインスタインネタが出てくる」「微妙にタランティーノ寄りで忖度を感じる」みたいな感想が出るだろうが、これはもう後付けなので仕方がない。実際に筆者も感じたが、既に完成した作品に別の要素を加えるとろくなことにならないのは当然だ。念のために書くが、映画自体はろくでもないわけがない。

タランティーノはワインスタインとの関係について、インタビューで「知っていたが何もしなかった(意訳)」と語り反省の念を述べたが、ギリギリで真摯だろう。筆者は彼のこの受け答えや態度を肯定も否定もできない。というか、できない。世の中は、彼が作り上げた映画のように様々なパッチワークで構成されていて、黒・白だけでなく様々なグラデーションがあるからだ。

だけど、そろそろハッキリさせなければと思う。世の中のありとあらゆる物事に対して「知っていたが何もしなかった」は「何もしない努力をひたむきに重ねていた」だけだ。

『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』はこれまでのタラ作品の副読本になるし、未だ観ぬ1本を予習できるチャンスでもある



最後に、タランティーノはいつだって、映画館の暗がりに隠れて鑑賞する者たちを信用して映画を撮っている。そして、少なくとも映画内では虐げられた者や弱者を救済し、権力を振りかざす強者を徹底的にこき下ろし、ナチスやKKK、マンソン・ファミリーなどを記号化してきた。

これは彼の映画を1本でも観たことがある人ならわかってもらえると思うし、本作を観ればより強化されるだろう。その点で、『クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男』はこれまでのタラ作品の副読本になるし、未だ観ぬ1本を予習できるチャンスでもあろう。

タランティーノは、兼ねてから10作撮ったら引退すると宣言している。キル・ビルはニコイチとしてカウントされるので、自作がちょうど10作目だ。映画を愛し映画に愛された60歳の映画作家は、果たして自身のキャリアに、クエンティン・タランティーノのフィルモグラフィに、どうケリをつけるのだろうか。

彼自身「監督の引退作(と間近の作品)には駄作が多い」と語っているが心配は要らないだろう。なにせタイトルは『The Movie Critic(直訳すると、映画評論家)』である。

(文:加藤広大)

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