<解説>映画『エイリアン』女性が主人公である「3つ」の意義
『エイリアン』が2024年2月28日(水)より、午後のロードショー(テレビ東京)で放送される。そのタイトルは映画に詳しくない方でも知っている、SFホラー映画の金字塔だ。
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前置き:姿を「ほとんど見せない」からこその恐ろしさ
『エイリアン』が名作と呼ばれる理由の筆頭は、アカデミー賞美術賞にノミネート、および視覚効果賞を受賞した、鮮烈かつ圧倒的なビジュアルにある。H・R・ギーガーによる造形、特にグロテスクで不気味なエイリアンのデザインは伝説的で、宇宙船のクルーたちが目の当たりにする「遺棄船」 や「スペースジョッキー(異星人の死体)」など、未知なる存在の説得力が半端なものではない。「フェイスハガー」の内蔵は新鮮な貝類、牡蠣4個、羊の腎臓で作られており、腐らないように迅速に撮影する必要があった、という裏話も面白い。
そしてそのエイリアンの姿を、この第1作では「ほとんど見せない」。今ではエイリアンがどんな姿であるかはよく知られているが、1979年の劇場公開当時に「まだ見たことがない」観客にとっては、そのことがより恐ろしく映ったのではないか。映画の大部分で「見せない」ことで、むしろ想像をかき立てられ恐怖につながるのは、1975年公開の『ジョーズ』にも通じているポイントだ。
そんな『エイリアン』の物語は「(閉鎖的な宇宙船の中で)ひとりまたひとりと殺されていく」というホラー映画の定番的なもので、終盤の見せ場も含めて後にたくさんのフォロワーも生んだ。
シンプルなエンターテインメント性があることも大きな美点というわけだが、それでも本作が他のSFホラーと一線を画するのは、「女性が主人公」であることに加えて「性的なメタファー」が多分に込められているからだろう。その理由を、本編のネタバレありで記していこう。
※以降、映画『エイリアン』のネタバレに触れています。また、性的な話題を多分に含んでいますのでご注意ください。
1:男性優位・支配的な社会で戦う女性の物語に
H・R・ギーガーによるエイリアンの造形は性器をモチーフにしているとよく知られている。エイリアンの成体の「ビッグチャップ」および幼体の「チェストバスター」の頭部は陰茎を、人間の顔に張り付く「フェイスハガー」の下の面は女性の外陰部を模している。エイリアンの「卵」の開口部もまた露骨なまでに女性器の形をしていたものの、こちらはさすがに却下され十字の切込みが入れられたものへ変更されている。さらに、アンドロイドのアッシュが、雑誌をリプリーの口に押し込もうとするのは性暴力のメタファーだ(その雑誌は日本の男性向け週刊誌「平凡パンチ」で、宇宙船が日系企業の所有物という設定を反映している)。そのアッシュが破壊されると、人工血液である白い液体を吹き出すというのも、男性性を意識したものだろう。
それらの直接的に(あるいは潜在的に)セクシュアリティーや性暴力を想起させる要素はただ露悪的なだけでなく、主人公・リプリーの置かれた抑圧的な状況を示している。本作のテーマは「男性優位・支配的な社会で戦い続ける女性」とも読み取れる。
たとえば、二等航海士のリプリーは、船長のダラスと副長のケインが船外にいる(または死亡した)時は指揮官の権限を持っており、フェイスハガーに襲われたケインが連れて来られた時も「感染の恐れがあるから24時間経ってからハッチを開ける決まり」だと強く主張するが、ダラスには聞き入れられず、アッシュは勝手にハッチを開けてしまう。
そのリプリーはアッシュを「検疫の規則も忘れたの?科学者のあなたが?」「全員が危険にさらされるわ。軽率だったわね」と責めるが、「私は忠実に任務を果たしているだけだ」「私の仕事には口出しをしないでくれないか」と反論される始末だった。
そのアッシュは、その言葉通り人工知能・マザーおよび会社の意向である「生体標本の採取を最優先」「乗組員は場合によっては放棄してよし」に従い続けていた。そのアッシュが実際はアンドロイドであることに加えて、他のクルーたちが下働きで給料が低いことなどに文句を言うことも相対的に、アッシュが「機械的に社会の歯車でただ居続ける」存在である印象を強めている。
さらに、前述した通りそのアッシュはリプリーに性暴力(のメタファー)まで振おうとするが、彼を機関士のパーカーと共に抑え込み、とどめを刺したのは女性乗組員のランバートだった。
そして、リプリーがクライマックスで下着姿になってもなおも襲い来る(男性器の姿をした)エイリアンを打ち倒すというのも、性暴力へのカウンターに思える。
こうした環境でリプリーがひとりで(猫のジョーンズも)生き残るというのも、やはり男性優位的な社会からの解放とも読み取れる。
はたまた、セクシャリティやジェンダーとは関係なく、支配的環境や、他者に勝手に決められた運命からの脱却とも解釈できるだろう。
2:リドリー・スコット監督の一貫した作家性の原点のひとつに
リドリー・スコット監督は、この『エイリアン』に限らず「機械的に構築された社会構造に置かれた者」を主人公とし、「襲いくる残酷な運命に翻弄される」物語を描く事が多い。特に女性が主人公の作品の場合、それはやはり「男性優位・支配的な社会でも戦い続ける(またはそこから逃れようとする)女性」の物語として提示されるということだろう。
たとえば、『エイリアン』後の1991年にリドリー・スコット監督が手がけた『テルマ&ルイーズ』(2024年2月16日よりリバイバル上映中)は、性暴力被害を受けた女性たちの刹那的な友情と自由の物語だった。
ジョナサン・デミ監督による、同じく1991年制作の映画『羊たちの沈黙』もそうだが、今よりもさらに女性への差別または抑圧的な環境がはびこる時代で、こうした作品が作られる意義は大きかったはずだ。
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さらに、リドリー・スコット監督は2021年の『最後の決闘裁判』でも史実をもとに性暴力と男性支配的な社会のおぞましさを描いており、2022年の『ハウス・オブ・グッチ』では表向きには悪女とされてしまいそうな女性の「それだけではない」半生の悲喜こもごもをつづっていた。
2023年の『ナポレオン』では表向きには英雄の男が女性を意のままにしようとする滑稽さを正面から見せていたりと、リドリー・スコット監督は80歳を超えてもなお、いやより強固に男性の問題を容赦なく描き、かつ女性の苦しみに真摯に向き合おうとする作家になっているように思える。
『エイリアン』はその作家性の原点のひとつともいえるだろう。
3:強い女性・リプリーが与えた影響の大きさ
『エイリアン』は俳優シガニー・ウィーバーの出世作であり、リプリー(エレン・リプリー)はその代表的な役だ。その「強い女性」というキャラクターは多くの女性たちに支持されただけでなく、後の作品や俳優にも影響を与えている。
たとえば、1986年に発売されたテレビゲーム『メトロイド』は、『エイリアン』の世界観や設定から影響を強く受けており、主人公のサムス・アランはまさにリプリーに近い「自らが戦う強い女性」だった。
また、俳優シャーリーズ・セロンは、20代前半に『エイリアン』を見て、「シガニー・ウィーバーが演じたリプリーは心の深くにいつもいてくれた」「世界が広がり、可能性を無限のように感じることができた」との思いを明かしたことがあった。
(C)2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED
そのシャーリーズ・セロンは、2015年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で演じたフュリオサというキャラクターについて、「リプリーが女優・女性としての私に与えたものに少しでも近づけたなら、私はとても誇りに思う」とも語っていた。
その後も、2017年の『アトミック・ブロンド』、2020年の『オールド・ガード』と、シャーリーズ・セロンは強い女性を演じ続けている。
その他にも、『エイリアン』という作品および、リプリーというキャラクターがなければ生まれなかった、はたまた別の内容になっていた作品はたくさんあるだろうし、リプリーから勇気や希望をもらったクリエイターや俳優や女性はもっとたくさんいるだろう。
『エイリアン』最新作にも大期待
そして、『エイリアン』シリーズの最新作『Alien:Romulus(原題)』が、アメリカでは2024年8月16日の公開予定(日本公開は未定)とアナウンスされている。その監督は、リメイク版『死霊のはらわた』や『ドント・ブリーズ』のフェデ・アルバレスだ。『エイリアン』シリーズは、たとえば『2』ではジェームズ・キャメロン監督らしいアクション要素がマシマシになり、『1』では主人公的な活躍自体は少なかったリプリーがさらに精神的にも肉体的にも強くなるなど、作品によって監督の作家性がはっきり表れ、作風がガラリと変わるのも大きな魅力。また、新たな魅力に溢れた『エイリアン』映画になっていることを期待したい。
(文:ヒナタカ)
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