その声も魅力的——井浦新を楽しむ映画“3選”<「光る君へ」の“癒し”>
今年度のNHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台は平安時代と聞いた時、少しホッとしたことを覚えている。
やっと殺伐とした殺し合いのない、雅で平和な物語になるのだなと。
ここ数年、戦国(『麒麟がくる』)→幕末(『青天を衝け』)→鎌倉(『鎌倉殿の13人』)→戦国(『どうする家康』)と、動乱の時代が続き、数多の推しキャラたちが死に、そのたびにメンタルをゴリゴリ削られた。
今度の大河は、紫式部(まひろ/吉高由里子)と藤原道長(柄本佑)の淡い恋心を描いたりしているらしい。雅で平和で絢爛豪華な、平安絵巻を1年間やるのだろう。たまにはそんな癒し系大河もいいかなと思っていたら、いきなり第1話でまひろの母・ちやは(国仲涼子)が殺された。平和な大河は来なかった。ちっとも“平安な”時代ではなかった。
その中でも数少ない癒し枠が、井浦新演じる右大臣家長男・藤原道隆だ。腹黒の父・兼家(段田安則)、屈折した次男・道兼(玉置玲央)、のんきな三男・道長と、なにかとクセの強い右大臣家にあって、数少ない頼れる人格者、それが道隆である。
後に関白となる藤原道隆には、道兼にも道長にも(今のところは)ないカリスマ性がある。そのカリスマ性の要因となっているのが、井浦新の“声”だと思われる。彼の声には、α波?マイナスイオン?とにかくメンタルに良さげな何かが出ている。
ここで「鬼滅の刃」におけるお館様・産屋敷耀哉の声についての説明を引用したい。
彼の声音・動作の律動は話す相手を心地良くさせる。現代の言葉ではそれを1/fゆらぎと言う。カリスマ性があり大衆を動かす力を持つ者はこの能力を備えている場合が多い
「鬼滅の刃」6巻より
井浦新の声にも、おそらく“1/fゆらぎ”の能力が備わっているような気がする。そんな井浦新の声にも注目しつつ、彼のオススメ映画作品を3本紹介したい。
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1:『空気人形』
2009年。是枝裕和監督。業田良家原作。
ある日、ラブドール(ダッチワイフ)に感情が生まれ、街に出た彼女は、ビデオ屋の店員と恋に落ちる。
ラブドール・のぞみを演じるのは、『リンダ リンダ リンダ』のぺ・ドゥナ。ビデオ屋店員・純一を演じるのが、井浦新(当時はARATA)である。
『ワンダフルライフ』(1999)、『DISTANCE ディスタンス』(2001)、そして今作と、彼は初期是枝作品の常連である。
この時期の彼の“憂いを帯びた純朴な透明感”は、唯一無二だ。その透明感・清潔感があったからこそ、「ラブドールと青年の恋」といういくらでもアブノーマルになりそうな題材を、こんなにも切なく美しい物語に昇華できたのだ。
のぞみは、純一のビデオ屋でアルバイトを始める。バイト中の不注意で彼女は小さなキズを作ってしまい、みるみる空気が抜けてしぼんでいく。純一がすかさずテープで穴をふさぎ、お腹の空気孔に息を吹き込んでいく。そのシーンが、感動的に官能的だ。
のぞみは、自らを「男性の性欲処理のためだけに生み出された人形」であることを自覚している。だから、持ち主である秀雄(板尾創路)やビデオ屋店長(岩松了)の性欲のはけ口として扱われている時は、完全に“人形”である。目を見開き、無表情で、姿勢も変えない。いわゆる“ダッチワイフ然”としている。
だが純一に息を吹き込まれている時、彼女は初めて、物言わぬ人形ではなく心のある人間として、愛されていることを感じる。だからこそ、そのシーンは感動的に官能的かつ、とてつもなくエロい。ただ性欲のみでのぞみを扱う秀雄や店長は、一切エロくない。ただ滑稽で薄汚いだけだ。同じ男性の目から見ても。
一方、ただ空気を吹き込んでいるだけの井浦新はなぜこんなにエロいのか。それはおそらく、100%の愛ゆえの行動だからだと思う。愛はエロい(極論)。
それにプラスして、1/fゆらぎを兼ね備えた彼の声のせいだ。あの声はズルい。
▶︎『空気人形』を観る
2:『蛇にピアス』
2008年。蜷川幸雄監督。金原ひとみ原作。
「スプリット・タンって知ってる?」
この作品は、アマを演じる高良健吾の第一声で、すっかり掴まれてしまう。舌ったらずでだらしないけれども、可愛げのあるあの声。
この作品の主要人物であるアウトサイダーたちは、みな声がいい。前述の高良健吾だけではなく、主人公・ルイを演じる吉高由里子も、同じく舌ったらずで滑舌が悪い。
余談だが、筆者が昔観た舞台で、ある舞台俳優がパンク・ロッカーの役を演じていた。その俳優は、くっきりはっきりした素晴らしい滑舌と、大劇場の最後列まで届く見事な発声で、それはそれは気持ち良さそうに演じていた。ただそれを観て思ったのは、「世をすねたアウトサイダーであるパンク・ロッカーは、そんなに滑舌良く腹式呼吸のいい声では喋らんだろう」という違和感だった。
その点、高良健吾と吉高由里子の声や滑舌は、どこからどう聴いてもアウトサイダーのそれだ。
一方、ふたりの兄貴分的存在であるシバを演じるのが井浦新である。刺青&ピアス専門店のオーナーであり、顔一面のピアス、眉毛は金髪、スキンヘッドで後頭部に龍の刺青、もちろん全身にも刺青と、初見のインパクトが強すぎる。
こんな街ですれ違ったら絶対に道を譲るようなビジュアルでありながら、声はやっぱり1/fゆらぎである。優しく穏やかで癒される声。だが、彼は強度のサディストであるため、発言はいちいち怖い。
「いいね、お前の苦しそうな顔」(ルイとのSEX中に首を絞めながら)
「(ルイに刺青を)彫ってるとき、お前のこと殺したくなったらどうしよう」
「もしお前が死にたくなったら、オレに殺させてくれ。屍姦してもいい?」
いちいち不穏だが、あくまで声音は優しい。そして、あくまでこれらの発言は、彼なりの“愛の言葉”なのである。その証拠に、彼はちゃんとルイにプロポーズをする。手作りの指輪も渡す。その指輪が、薬指ではなく人差し指を丸々覆うエイリアンの頭部みたいな形をしている。だがルイも普通に喜んでいるので、なんだかんだでお似合いである。
「ご両親に挨拶に行かないとな」なんてことまで言い出す。こんな『ヘル・レイザー』みたいな男が来たら、さすがにご両親も腰を抜かすと思うので、その辺は慎重にお願いしたい。
▶︎『蛇にピアス』を観る
3:『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』
2024年3月15日(金)から公開中。井上淳一監督。
前作『止められるか、俺たちを』(2018)に引き続き、井浦新は2012年に亡くなった映画監督・若松孝二を演じている。
今作の井浦新は、若松監督に寄せた東北訛りのダミ声だ。最大の武器である1/fゆらぎの声を封印してしまっている。だが、そこまでして演じた若松監督の姿は、本当に魅力的だ。撮影現場ではすぐに怒鳴るし口も悪い。しかしながら、そんな姿も東北訛りのおかげで可愛く見えてしまう。得なキャラである。
(C)若松プロダクション
この物語は、若松監督の下に集う若き映画人の姿を描いている。前作では、早世した女性助監督・吉積めぐみを、門脇麦が好演していた。今作の主人公は、若き日の井上淳一監督自身だ。杉田雷麟演じる井上青年は、若松監督の押しかけ弟子になる。
若松プロの電話番となった井上青年は、若松監督とふたりきりでいることが多くなる。自然、会話も増える。筆者が好きなシーンがある。アイドル映画で有名な、ある映画監督の悪口を言い合うシーンだ。
「○○(監督名。作中では実名)の何がいいんだよ!お前も好きか?」
「キライです」
「そうだよな!○○好きだったら若松プロ来ないわな!笑」
筆者も経験があるからわかる。憧れていた人物とこういった下世話な話が出来るようになった時は、本当に嬉しい。一気に距離が近くなったと感じる。仲間として、認めてもらったと感じる。
若松監督を演じる井浦新自身も、若松孝二の押しかけ弟子のような存在だった。若松孝二が連合赤軍の映画を撮ると聞いた井浦新は若松プロに電話をかけ、もう終わりかけだったオーディションに参加。あさま山荘事件の中心人物である坂口弘役を勝ち取る。その作品が、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008)である。
その後、晩年の若松作品の常連となり、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2012)においては、主人公・三島由紀夫を演じている。
“若松孝二の最後の弟子”のような存在の井浦新が、若松孝二自身を演じていることが感慨深い。映画だけにとどまらず、何かを創作している全ての人に、観てもらいたい作品だ。
そして、「光る君へ」
“癒し枠”と書いた藤原道隆だが、井浦新がこのまま“ただの人格者”で終わるわけがない。NHK公式ガイドのインタビューにおいて、彼は答えている。「序盤はよけいな芝居をせず、いいお兄さんとして道隆像を作り、家督継承後は、鎖を解き放った獣のような道隆をお見せしたいです」
獣になるそうだ。恐ろしいが、楽しみでならない。
▶︎「光る君へ」を観る
(文:ハシマトシヒロ)
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