若き松原千明の透明感が、乱歩を美しく危険にする――天知茂版『湖底の美女』が放つ昭和サスペンスの魔力

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昭和のテレビサスペンスには、今のドラマではなかなか味わえない“湿度”がある。

それは、単に古いということではない。
画面の奥から、じっとこちらを見つめ返してくるような妖しさ。
事件の背後に漂う、言葉にならない情念。
美しい人が現れた瞬間、物語そのものが少し危険な方向へ傾いていく感覚。

その魅力をもっとも濃密に味わえるシリーズのひとつが、天知茂主演の「江戸川乱歩の美女シリーズ」だ。

今回取り上げたいのは、1982年製作の『江戸川乱歩の美女シリーズ 湖底の美女 江戸川乱歩の「湖畔亭事件」』。
監督は井上梅次。
明智小五郎を演じるのは、もちろん天知茂。
そして本作の“美女”として印象を残すのが、若き日の松原千明である。

©松竹株式会社

湖畔の宿、水槽の死体、骸骨仮面――これぞ昭和サスペンスの贅沢な過剰さ

物語の舞台は、白樺湖畔の静かな宿。

明智小五郎は、助手の文代や小林少年らとともに休暇で信州を訪れる。
だが、名探偵に本当の休息など訪れない。
宿には、画壇の巨匠・河野陽水と、その後妻・忍、一人娘の陽子、モデルの梓ゆかり、顧問弁護士、弟子、友人たちが滞在している。

優雅な避暑地の空気。
芸術家一族をめぐる遺産相続の不穏。
そして、どこかに潜む悪意。

ある夜、ホテルの巨大な水槽の中で、陽子の死体が発見される。

水槽、死体、美女、湖畔の宿。
これだけでもう、昭和の土曜ワイド劇場が持っていた“見世物としての強さ”が画面いっぱいに広がる。
さらに本作には、殺人を予告するこけし人形、雪に覆われた霧ヶ岳、そして骸骨仮面の怪人まで登場する。

普通ならやりすぎだ。
だが、「江戸川乱歩の美女シリーズ」では、この過剰さこそが美学になる。

事件は陰惨でありながら、画面はどこか艶やかだ。
恐怖はある。
けれど、ただ怖がらせるための恐怖ではない。
美しいもののそばに死があり、優雅な場所に欲望が潜み、静かな湖畔に人間の業が沈んでいる。

そのアンバランスさが、たまらなく乱歩的なのだ。

松原千明が画面にもたらす“清潔な危うさ”

本作で松原千明が演じるのは、梓ゆかり。

彼女は、物語の中心に渦巻く欲望や疑念のただ中に置かれながらも、画面に現れた瞬間、空気をすっと澄ませるような存在感を放っている。

松原千明といえば、1980年にカネボウ化粧品のキャンペーンガールに選ばれ、清純派の美人女優として人気を博した人でもある。のちに『探偵!ナイトスクープ』初代秘書として記憶している人も多いだろう。

だが、本作での松原千明は、バラエティー番組で見せた親しみやすさとはまた違う。
もっと若く、もっと儚く、そしてどこか近寄りがたい。

野川由美子が放つ濃厚な女の情念。
天知茂の明智がまとわせるニヒルな色気。
荒井注演じる波越警部の軽妙さ。
それらの中で、松原千明の存在は、湖面に差し込む一筋の光のように見える。

ただし、その光は明るいだけではない。
透明であるがゆえに、傷つきやすくも見える。清楚であるがゆえに、周囲の欲望や悪意がいっそう濃く見えてしまう。

「美女シリーズ」における“美女”とは、単なるヒロインではない。
事件を引き寄せる存在であり、男たちの視線を集める存在であり、時に物語そのものを狂わせる装置でもある。

松原千明の梓ゆかりは、妖艶に迫るタイプの美女ではない。
むしろ、清潔で、涼しげで、どこか素直さを残している。だからこそ、この怪奇と欲望に満ちた世界の中で、ひときわ危うく見えるのだ。

天知茂の明智小五郎は、なぜこんなにも“夜”が似合うのか

「江戸川乱歩の美女シリーズ」を語るうえで、天知茂の明智小五郎を抜きにすることはできない。

彼の明智は、正義の探偵というより、闇の中を歩くことに慣れた紳士である。
事件を解決する知性がありながら、そこに単純な明るさはない。
人間の欲望や倒錯を見つめる目が、どこか冷たく、同時に哀しい。

本作でも、明智は休暇先で事件に巻き込まれる。
本来なら、湖畔の宿で静かな時間を過ごすはずだった。
だが、目の前に死が現れた瞬間、彼は再び“明智小五郎”へと戻っていく。

天知茂の魅力は、この切り替わりにある。

声の低さ。
視線の鋭さ。
余計な感情を表に出さない立ち姿。
だが、その奥には、事件によって傷つく人間への静かなまなざしがある。

怪人、美女、死体、仮面。
いかにも乱歩的な装置が次々と現れる中で、天知茂の明智だけは決して慌てない。
だからこそ、どれほど物語が過剰になっても、作品全体には一本の芯が通る。

このシリーズが単なる“エロティック・サスペンス”ではなく、どこか品のある娯楽として記憶されているのは、天知茂という俳優が中心にいたからだろう。

原作『湖畔亭事件』から、テレビドラマの“美女シリーズ”へ

本作の原作は、江戸川乱歩の『湖畔亭事件』。
1926年に「サンデー毎日」で発表された、乱歩初期の作品である。

原作の『湖畔亭事件』には、乱歩らしい“見ること”への執着がある。
人が人を見つめる。
隠れて見る。見てはいけないものを見てしまう。
そこには、探偵小説としての謎だけではなく、人間の欲望そのものを覗き込むような怖さがある。

一方、ドラマ版『湖底の美女』は、原作をそのまま映像化するのではなく、天知茂版「美女シリーズ」らしいサスペンスへと大胆に変換している。

舞台は湖畔のホテル。
物語の中心には画家一族の秘密と遺産相続のトラブル。
そして、視覚的なインパクトを持つ水槽の死体、こけし人形、骸骨仮面。

つまり本作は、乱歩の持つ倒錯的なまなざしを、昭和テレビドラマの娯楽性へと翻訳した一本なのだ。

この翻訳が、実に面白い。

文学としての乱歩をそのまま味わうのとは違う。
だが、テレビドラマだからこそできるケレン味がある。
照明、音楽、衣装、セット、俳優の芝居。そのすべてが、少し大げさで、少し妖しく、少し夢のようだ。

今観ると、その“作りもの感”すら魅力に変わる。
むしろ、そこにこそ昭和サスペンスの豊かさがある。

野川由美子、五十嵐めぐみ、荒井注――脇を固める顔ぶれの濃さ

本作は、松原千明の透明感を味わう作品であると同時に、周囲を固める俳優たちの濃さも楽しい。

野川由美子は、画家・河野陽水の後妻・忍を演じる。
その佇まいには、人生の経験を重ねた女性だけが持つ重みがある。
美しさの中に、警戒心や計算、諦めのようなものがにじむ。
松原千明の若さと並ぶことで、女性たちのコントラストが鮮やかに浮かび上がる。

五十嵐めぐみ演じる文代も、シリーズには欠かせない存在だ。
明智のそばにいることで、物語にほどよい明るさと生活感をもたらしてくれる。
乱歩的な世界がどれほど妖しくなっても、文代や小林少年がいることで、視聴者は明智小五郎の世界へ自然に入っていける。

そして荒井注の波越警部。
この人が出てくると、作品の空気がふっと緩む。
重くなりすぎない。
怖くなりすぎない。
昭和のテレビドラマが持っていた“お茶の間の娯楽”としての温度が戻ってくる。

怪奇と笑い。
美女と死体。
優雅さと俗っぽさ。

その混ざり具合こそが、「江戸川乱歩の美女シリーズ」の醍醐味なのだ。

今こそ観たい、“昭和の夜”に咲いた妖しい花

『湖底の美女』は、現代のミステリードラマのようにスマートな作品ではない。

むしろ、過剰である。
濃い。
妖しい。
そして、どこか堂々と古めかしい。

だが、その古めかしさの中に、今の作品では失われつつあるものがある。

事件を“雰囲気”で見せる力。
俳優の顔だけで画面を持たせる力。
美女という存在を、ただの飾りではなく、物語を揺らす中心に置く大胆さ。
そして、テレビドラマでありながら、観る者を少しだけ非日常の暗がりへ連れていくサービス精神。

若き松原千明の透明感は、その暗がりの中でこそ輝いている。
彼女は、乱歩的な妖しさに染まりきるのではない。
むしろ、染まりきらないからこそ美しい。
湖底に沈む秘密のように、触れようとすると遠ざかっていく。

水槽に漂う死。
白樺湖畔に忍び寄る殺意。
骸骨仮面の怪人。
そして、天知茂の明智小五郎。

『湖底の美女』は、昭和サスペンスがもっとも妖しく、もっとも贅沢だった時代の匂いを閉じ込めた一本だ。

松原千明という女優が持っていた、清楚で、涼やかで、少し哀しい光。
その光を追いかけるためだけでも、本作を観る価値はある。

「江戸川乱歩の美女シリーズ」は、単なる懐かしさでは終わらない。
そこには今なお、画面のこちら側を見つめ返してくる魔力がある。

『湖底の美女』は、そのことを静かに、そして妖しく教えてくれる。

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『江戸川乱歩の美女シリーズ 湖底の美女 江戸川乱歩の「湖畔亭事件」』
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