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実在した、福の神「仙臺四郎」とは?その謎に迫る sponsored by 永大ハウス工業

仙臺四郎 仙台四郎 福の神 色紙

坊主頭にふくよかな体型、腕を組み、ドテラに縞の半天を羽織り、まっすぐと笑顔をこちらに向ける。「仙臺四郎」(せんだいしろう)と呼ばれる彼は、全国の商売人の間で、新たな福の神として今注目を集めている。

まずは、こちらのCMを観ていただきたい。

宮城県でテレビをつけると、頻繁に流れてくるこちらの映像は、仙台市に本社を置く「永大ハウス工業」のTVCM。映像内に登場する、同社のイメージキャラクターも「仙臺四郎」だ。

仙臺四郎は、地元では老若男女問わず、「福の神」として知らない人はいないほどの有名な存在であり、そして仙台に実在した人物なのだ。

しかし、実在した人物であるにもかかわらず、仙臺四郎の多くは謎に包まれている。そこで、その謎に迫るべく、仙臺四郎が生まれ育った街、仙台市を訪れた。

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JR仙台駅の構内にある、仙臺四郎をモチーフにした「仙臺駅四郎」像

仙臺四郎は、江戸末期、鉄砲職人の芳賀家の子供として、宮城県仙台市に生を受ける。家の近くに「火の見櫓」があったことから、当初は彼のことを「櫓下四郎」と呼んでいたそうだ。

体型はとても発育が良いが、一方で知的障害を抱えており、発する言葉は「ばあやん」といった僅かな単語のみだった。そして、散歩が趣味であった彼は、いつでも笑顔を絶やさず、人々は彼のことを、愛着をもって「四郎馬鹿」と呼んでいたという。

では、なぜ彼が福の神として有名になったのか?

永大ハウス工業 仙台四郎 キャラクター

まずは、今回の記事のスポンサーである、仙臺四郎がイメージキャラクターの「永大ハウス工業」に伺い、情報を得ることにした。

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素敵な女性が笑顔で出迎えてくれた

永大ハウスは、仙台市を中心に宮城県の不動産仲介・販売を行う会社。

宮城県出身の人材を多く雇用し、県内に関する情報を網羅し。顧客からの住まいの相談に柔軟に応える、地元に根づいた営業を行っている。

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永大ハウス工業 営業部の細谷さん

同社の営業部・細谷さんも幼少期から、仙臺四郎は七福神のように、日本人なら知って当たり前ぐらいの存在だと思っていたそうだ。

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四郎が特徴的なのは、逝去してから有名になったのではなく、生前から「生きる福の神」として、宮城県で有名な人物であったこと。

四郎が福の神として崇められたのは、常々放浪して回り、その道程で立ち寄ったお店が、次々と繁盛したというのが、福の神として崇められるようになった理由なのだそう。

当時、噂を聞きつけた料亭や遊郭、旅館といった客商売は、こぞって四郎を店に招き入れ、手厚く接待をしたといわれている。しかし、一方で四郎が気に入らないお店にはどれだけ招き入れても立ち寄ることはなかったそうだ。

立ち寄ったお店は繁盛したというのは、単なる言い伝えではなく、当時の新聞でも記事として取り上げられたというから驚きだ。そして、メディアに取り上げられた四郎は、仙台で一躍有名人となった。

細谷さんは、仙臺四郎について調べるなら、四郎の大きな像が祀られている寺院に行くのがよいと案内してくれた。

三瀧山不動院 仙台 仙臺四郎 お祭り

仙台駅の西口から青葉地区にある「クリスロード商店街」のアーケードを、一番街に向かって突き進むと姿を表わすのが、四郎の像が祀られている「三瀧山不動院」だ。

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山門をくぐると、仲見世が軒を連ね、御札や護摩木などと共に、色紙をはじめとした「仙臺四郎」のグッズが並べられている。

仙台市内では、土産物店を中心に仙臺四郎グッズを取り扱っているところは数多くあるが、種類の豊富さでは随一だとのこと。

三瀧山不動院 仙台 仙臺四郎 本尊
三瀧山不動院の本尊

寺院の話では、明治の初期の話なので、四郎に実際会ったことがある人物は既に居ないだという。しかし、実際にこの付近を四郎が散歩し、子供たちと仲良く遊ぶ光景が繰り広げられていたのは、伝え聞いているとのこと。四郎に抱きかかえられた赤ん坊は、健康に育つと言われ、町の人々にとても愛されていた。

三瀧山不動院 仙台 仙臺四郎 像
寺院で、製作依頼し奉納した仙臺四郎の像

仙台で有名人となった四郎であったが、彼の最期に関しては謎に包まれている。一節では明治35年、福島県須賀川にて47歳で逝去したとされているが、彼の本当の最期を知る者はおらず、実際のところは良く分からないそうだ。

四郎に関して謎が多いのは、当時の彼に関する資料が、大正8年に青葉地区で起きた火事「南町大火」によってほとんど焼失してしまったのだからという。

そこで気になるのが、仙台四郎の姿を写した色紙だ。

三瀧山不動院 仙台 仙臺四郎 色紙 お土産

冒頭で紹介したように、福の神として様々なお店で飾られている四郎の写真は、多少加工がされているものの、全て同じ写真が使われている。

この写真を撮影したのは、青葉地区にあった千葉写真館。仙台大火によって被害を受けた写真館であったが、たまたま四郎を撮影したネガが別の場所に保管されており、火の手を免れたのだそう。そして、これが唯一の四郎の写真となった。

この写真のネガは現在どこにあるのだろうか?

寺院の話によると、現在は「こま屋」という日本料理屋が所有しており、仙臺四郎グッズの多くは、こちらが製造しているのだという。

そこで早速、我々は「こま屋」にアプローチを試みた。

宮城県 仙台 仙臺四郎 こま屋

仙台駅から車を走らせること約15分。教えてもらった「こま屋」に到着した。現地に着いて知ったのだが、こま屋は現在飲食事業から撤退している。現地取材を続けた結果、現在の主人という人物と連絡をとることができ、翌日の取材の約束を取り付け、この日の取材を終えた。

仙台市内のホテルに戻り、取材データを整理していた私たちは、そこであることに気づく。

永大ハウス工業 仙台四郎 仙臺四郎 不動産 売買

永大ハウス工業の細谷さんを取材した時の写真だ。注目したいのは、手前に置かれた仙臺四郎の置物だ。

永大ハウス工業 仙台四郎 仙臺四郎 置物

おわかりだろうか。

仙臺四郎 仙台四郎 由来 実在 歴史

この置物も「こま屋」製だったのだ。スタート地点に、答えがある。まるで推理小説のような話ではないか。

 

翌日、こま屋のとの約束の時間まで、もう少し四郎について調べてみることにした。

ずんだ餅 元祖 村上屋餅店 仙臺四郎 仙台
づんだ餅を初めて商品化した老舗「村上屋餅店」

三瀧山不動院のように、四郎が存命の頃から残る場所は、仙台市内に複数ある。創業明治10年、老舗の和菓子屋「村上屋餅店」もそのひとつだ。

ずんだ餅 元祖 村上屋餅店 感想

当時から続くお店とあって、四郎が訪れたことがあるのではないかと訪ねたが、店主に聞いても「それはわからない」と答えるのみだった。

ずんだ餅 元祖 村上屋餅店 仙臺四郎 仙台 写真
こちらの店内にも仙臺四郎の写真が飾られていた

しかし、不思議なものだ。よくわからないのであれば、訪れたことがあると答えても良さそうなものだ。その方が商売的にも良いのではないのか?

取材を続けていくうちに、四郎の遠縁にあたるのではないかという複数の家にも取材を試みたが、全て「よくわかりません。確かなことはわからないので」と取材を断られてしまった。

仙臺四郎は実在した人物であり、その足跡はところどころに残されていて当然のはず。しかし、縁がありそうな人たちは、一様にして「よくわからない」と取材を受けない。

ここで、あることに気がついた。

謎に包まれているものであるがゆえ、少しぐらい大げさに語る人がいてもおかしくないとはずなのに、むしろ誰も語りたがらない。これには何か理由があるのではないのだろうか?

そうこうしているうちに、こま屋の主人との約束時間がやってきた。

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現在営業をしていないため、店内は雑然としていたが、こま屋の店名の由来となった土鈴は、今もお店の棚に埋め尽くされていた。

そして、我々が探していたものと、遂に対面することができた。

永大ハウス工業 仙台四郎 仙臺四郎 写真

これが、オリジナルの「仙臺四郎」の写真だ。

現在のこま屋の社長・北村さんのお母様が、どこかからネガを譲り受けたものだという。入手した経緯は分からないとのことだが、北村さんのお母様は四郎について熱心に研究していたそうで、その過程で譲り受けたのではないかと北村さんは推測する。

こま屋では、写真をはじめ、様々な四郎グッズを取り扱っている。中でも仙臺四郎の置物は、こま屋が意匠権を取得し、初めて世に出したものなのだとのこと。

北村さんがここで、四郎に関する豆知識を教えてくれた。

四郎は非常に大きな男性器、つまりイチモツを所有していたそうで、それをそのまま露わにし、街を闊歩していたそうだ。四郎の写真をよく見ると、イチモツが着物から顔を覗かしているがわかる。こま屋では、できるだけ忠実に再現し、置物の土鈴では、下半身にそれを残しているのだそう。

永大ハウス工業 仙台四郎 置物
振るとカラカラと音が鳴る「土鈴」がこま屋謹製の証

ようやく、四郎の写真の現物までたどり着くことが出来たが、取材とは呼べないほどに情報が足りない。北村さんが知っている情報も、これまでの取材で得られたものとほぼ同じ内容であった。

取材している中で、多くの人が「わからない」と答えたと話すと、北村さんは「仙台人は正直者で、不確かなことは言わないんです。義理人情も大切にするし、ノリで適当なことは言わないのが仙台人の気質です」と教えてくれた。

四郎は、気に入らない店には、どれだけ招き入れても入らなかった。

訪れなかった店は最終的に、店を畳むことになったと言われているが、四郎は「福の神」であって「貧乏神」ではないはずだ。たとえ、四郎が訪れなかったとしても、流行る要素を持つ店であるなら、そのまま店は順調であっただろう。もしかして、四郎は人一倍「人の欲」に敏感だったのではないだろうか?

パナソニックの創業者、松下幸之助は「誠実に謙虚に、そして熱心にやること」と仕事の極意について語り、さらに「虫のいいことは、なるべく考えない方がいい」と言っている。つまりは、福の神さえ招き入れれば、商売が上手くいくという、虫の良い考え、そしてその欲が、一部の店を四郎が立ち寄らなかった理由なのではないだろうか。

それにしてもあまりの情報の少なさに取材としては、無残な結果となった。肩を落とす私たちを見て、こま屋の北村さんが口を開く。

分からなくていいんです。謎めいたままだからこそ、私たちは彼に神秘性を感じ、彼の中に希望を見出すんです」(こま屋・北村さん)

永大ハウス工業 仙台四郎 仙臺四郎 写真

仙臺四郎についての情報を、ほとんど得られないままに取材を終えることになったが、これが宮城県の「住まい」についての取材であったならな…と思う。

なぜなら、宮城県の「住まい」情報のエキスパートが揃う、永大ハウス工業に聞けば間違いないからだ。

もし仙台・宮城県の住まい情報について知りたいのなら、仙臺四郎が目印の永大ハウス工業をお尋ねあれ。

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永大ハウス工業は仙台市内および宮城県全域の不動産、住宅の情報を提供します。新築/中古一戸建て・中古マンション・土地・投資用不動産まで全て対応します。お住み替えや不動産の売却・査定もお任せください。

提供:永大ハウス工業

(取材・文/黒宮丈治)

※参考文献 大沢忍『不思議な福の神「仙台四郎」の解明』近代文藝社 1994年

    ライタープロフィール

    黒宮丈治

    黒宮丈治

    大手家電メーカー営業マン、デザイナー、映像ディレクター、鳶職、探偵、水商売、ライブハウスの店長など30種以上の職種を渡り歩き現在はフリーライターとして活動。好きな映画は恋愛映画。幼き頃に食べた映画館でのアイスモナカが今も忘れられずにいる。

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