『魔女の宅急便』、「4つ」の盲点!これは“仕事”と“才能”の物語だ!

(c)1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

本日1月5日、金曜ロードShow!にて『魔女の宅急便』が放送されます。主人公のキキや黒猫ジジの愛らしさ、その他の愛すべき登場人物たち、アニメーションによる豊かな表現、たくさんの元気がもらえる物語など、その魅力を挙げるとキリがないのは言うまでもありません。

このアニメ映画は、角野栄子の原作小説から大きく物語の構成が変わっており、特に“都会で急に暮らさなければならなくなった女の子”の心情に迫った内容になっています。このことについて、宮崎駿監督はインタビューでこのように語っていました。

「最初の出発点として考えたのは、思春期の女の子の話を作ろうということでした。しかもそれは日本の、僕らのまわりにいるような、地方から上京して生活している、ごく普通の女性たち。彼女たちに象徴されている、現代の社会で女の子が遭遇するであろう物語を描くんだ、と」

そう、宮崎駿は本作を“田舎から都会に出てきて暮らす女性の(同時に思春期の女の子でもある)普遍的な物語”と捉えているのです。この言葉を踏まえて、『魔女の宅急便』で訴えられているテーマやメッセージがいかなるものであるのか、読み説いてみます。

※以下からは本編のネタバレに触れています。まだ映画を観たことがない、という方は鑑賞後に読むことをおすすめします。

『魔女の宅急便』、「4つ」の盲点!
1:こんなにも“現実的な問題”や“仕事”が描かれていた!

(c)1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

物語の序盤、キキは明るい未来に満ちた世界に期待していたようでした。しかし、そのキキの理想に相対するような“現実的な問題”や“仕事”も、劇中ではたくさん登場しています。

たとえば、キキはラジオの天気予報を聞いて、今夜すぐに旅立つことを決めるのですが……せっかく借りてきたキャンプ道具はムダになってしまい、お父さんはこの後すぐに近所の人たちに「今夜キキが発つことになりまして……」と電話をしています。この時に、良く言えば天真爛漫で思い切りが良いけど、悪く言えば“大人の事情など顧みない”キキの幼さが表れているのです。

街に着いた時、キキは「第一印象が大事よ!」と街の人たちの前で笑顔を見せようとしますが、あわや交通事故を起こしてしまいそうになり、警官からは「魔女でも交通規則は守らねばいかん!」と怒られてしまいます。しかも、ホテルのフロントでは保護者はいないのかと聞かれ、身分証の提示も求められてしまいます。ファンタジー作品であるのにも関わらず、「13歳の子どもが旅立ったらそうなるよなあ……」と誰もが思える、現実的な問題がしっかり描かれているのです。

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そんなことがあって落ち込んでいてキキでしたが……彼女を救ってくれたのは、他ならぬ“仕事”でした。赤ちゃんにおしゃぶりを届けてあげたことで、おソノさんのパン屋の2階に居候できるようになったのです。(この翌日の朝、漁船が海を渡っていたり、パン屋の亭主が仕事の前に伸びをしたりすることが、トイレのためにしぶしぶベッドから起きる幼いキキとの対比のように描かれています)

その後、キキは張り切って配達の仕事をするものの、なかなか上手くいかなかったり、期待はずれの結果に終わることばかりです。突風にあおられて配達する品物を落としてしまったり、せっかく雨の中を飛んでいっても、おばあさんの孫に「私このパイ嫌いなのよね」とも言われてしまうのですから……。現実の配達の仕事をされている方も、キキと似たような経験をしているのかもしれませんよね。

(c)1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

このように、魔法が登場するファンタジー世界であるのにも関わらず、現実的に起こり得る仕事の問題や、大人の事情がたくさん描かれているということが、『魔女の宅急便』の一番の特徴と言っても過言ではないでしょう。

『魔女の宅急便』、「4つ」の盲点!
2:魔法とは“才能”そのもののことだった!

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キキは魔女ですが、魔法は“空を飛ぶこと”と“黒猫のジジと話すこと”しか使えません。彼女自身「私、飛ぶしか能がないでしょ。お届け屋さんはどうかなって」や「魔法がなくなったら、何の取り柄もなくなっちゃう」などとも口にしており、魔法を誰かの役に立つための“唯一の才能(特技)”であると思っているふしがありました。(序盤に登場した占いができる先輩の魔女も、キキはうらやましく思っていたようでしたね)

実は宮崎駿監督も「この映画の魔法を、いわゆる魔法ものの伝統から切り離して、キキの持っているある種の才能というふうに限定して考えました」と語っています。つまり、ほうきで空を飛ぶという現実ではあり得ない魔法を描いていながらも、その意味するところは現実の世界にある普遍的な“才能”そのものなのです。

そして、才能というものは、得てして(生きていくために必要な)仕事に直結するものです。キキは空を飛べるという才能を宅配の仕事に活かすことができましたが、だからと言って何の苦労もなしに成功することなんてできない、むしろ始めてすぐは失敗ばかり……これも、普遍的に世の中にある才能と仕事の関係ですよね。

また、本人が「これしか取り柄がない」と思っていても、それ以外の特技を持っていることも良くあるものです。キキもまた、おばあさんの家の薪のオーブンでパイを焼くことを手伝って、「お母さまのお仕込みがいいのね」と段取りの良さを褒められていました。これは才能と言うよりも、その人生で培った“経験”が役に立ったシーンですね。

『魔女の宅急便』、「4つ」の盲点!
3:見た目を気にする必要なんかなかった!

(c)1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

キキは思春期の女の子らしく“見た目”をとても気にしていたようです。出発前には鏡に映った自分の姿を見て「黒猫に黒服で真っ黒黒だわ」とガッカリしていましたし、楽しく話をしている女の子たちとすれ違って「もっとステキな服ならよかった」とつぶやいていたり、雨の中パン屋に戻ってきた時も「こんななりじゃ……」と言ってパーティには行きませんでした。

ところが、キキの周りの人は、見た目にナイーブになっている彼女とはまったく正反対。おソノさんは「黒は女を美しく見せるのよ」とパーティに招待されたキキに助言していましたし、ラフな格好をしている絵描きのウルスラはヒッチハイクをして男に間違えられた時に「この脚線美がわからないとはねぇ」と冗談めかしたことを言っていましたし、トンボは男友だちに「本当に(キキが)黒い服を着ているだろ?」と大きな声で話していました(これはキキを傷つけてしまいましたが)。

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そんなキキは飛行船から落ちかけたトンボを助け出し、街は大歓声に湧きます。その時にキキはほうきではなくデッキブラシで飛んでいたのですが、その姿は(エンドロール中に登場した)パン屋の新しい看板にも採り入れられ、小さな女の子はキキの黒い服だけでなくそのデッキブラシをもマネしたりもしていました。

キキが気にしていた見た目なんか些細なこと、いや、むしろキキのお母さんが「昔から魔女の服はこう決まっているのよ」と言っていたように、その魔女の伝統的な見た目(デッキブラシもありますが)も含めて人々に認められた、魅力的に映っていたと言っても良いでしょう。現実においても、本人の悩みが大したことではなく、周りの人の意見を聞くと簡単に解決できてしまったり、むしろ“良いこと”として認識できるということも、珍しくはないですよね。

『魔女の宅急便』、「4つ」の盲点!
4:なぜキキは魔法の力を失ったのか?

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キキとトンボはプロペラのついた自転車で海岸までたどり着き、2人は笑いあって仲良くなることができましたが……トンボの女友だちを見て嫉妬してしまったためか、キキは家に勝手に帰ってしまいます。この時から、キキはジジの声が聞こえなくなり、空を飛ぶ力もほとんどなくなってしまいました。

なぜキキの魔法がなくなったのでしょうか。結論から言えば、これは無意識的に使えていた才能が突然失われたという“スランプ”であり、そもそも「なぜなくなったのか」と問うことにはあまり意味がないのだと思います。

大切なのは、絵描きの少女のウルスラの言葉の数々です。彼女は「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神さまか誰かがくれた力なんだよね」と、様々な仕事における“才能”について口にしていました。

(c)1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

“血”とだけ聞くと、ただ生まれながらに持っていたものにも思えますが、ウルスラは「今まで描いてきたものが誰かのマネだと気づいて、ぜんぜん描けなくなっちゃった」「自分の絵を描かなきゃって……でも、絵を描くってこと、わかったみたい」とも語っています。つまり、才能とは無意識的に平気で使っていたころから脱却して、意識して自分の力にしていく過程が必要である、とも訴えているのです。

キキが今まで使えてきた魔法が消えたのも、(嫉妬という感情をきっかけとした)才能を意識的に自分の力にするための次の段階の“準備”であると捉えられます。そして、キキに(空を飛ぶという)才能が蘇ったのは、他ならぬトンボがピンチになった時……“誰かのために一生懸命になる”という気持ちでいっぱいになった時だったのです。その気持ちもまた、キキが魔法の他に持っていた、素晴らしい才能と言えるのではないでしょうか。

まとめ:自分の才能に自信がなくなった時は、こうしよう。

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総じて、『魔女の宅急便』における“仕事”と“才能”は、とても現実的かつ誠実な描かれ方がされています。この記事の最初に掲げた宮崎駿の言葉にあるように、それは“田舎から都会に出てきた者”が通過儀礼のように経験することでもあるのです。

キキの才能が蘇ったのは、前述した通り“誰かのために一生懸命になる”ビッグイベントが起きたおかげですが……現実でスランプに陥った時、そんなことにはなかなかなりません。

では、現実において、自分の才能に自信がなくなってしまった、または才能を本当に自分の力にするにはどうすれば良いか?ということは、劇中のウルスラがこう教えてくれています。

「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる!」

(キキ「でも、やっぱり飛べなかったら?」)

「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

才能を自分のものにするには、とことんがむしゃらになればいい。それでもダメだったら、思いっきり休んじゃえばいい……ウルスラのこの豪快な考え方は、世の中のどんな才能はもちろん、仕事にも当てはまることなのでないのでしょうか。

そして、キキはそんなウルスラに対して「今日あなたが来てくれてうれしかった。私一人じゃジタバタしていただけだわ」と答えています。確かに、才能や仕事に対しての悩みは、“誰かに話してみるのが一番良い”のかもしれませんね。

参考図書:ジブリの教科書5 魔女の宅急便 (文春ジブリ文庫)

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(文:ヒナタカ)

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