『崖の上のポニョ』徹底解説!なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?

(c) 2008 Studio Ghibli・NDHDMT

本日9月22日、金曜ロードShow!にて『崖の上のポニョ』が放送されます。

さかなの子のポニョのかわいらしさ、不思議な出来事の数々、大きな波と一緒に疾走する画など、アニメーション映画としての楽しさがいっぱいの本作には、「あれはどういうことだったの?」とモヤモヤしたり、「ひょっとすると、こういうことかも!」と想像が膨らむシーンもたくさんあります。

ここでは、そのモヤモヤをちょっとだけでも解消できるかもしれない、さらに作品を奥深く知ることができるポイントについて、解説してみます。

※以下からは『崖の上のポニョ』のネタバレに触れています。まだ映画を観たことがない、という方は鑑賞後に読むことをおすすめします。

1.なぜ宗介は両親を呼び捨てにしているの?

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多くの方が違和感を覚えるであろうことは、5歳の男の子の宗介が、両親を「リサ」「耕一」と呼び捨てにしていること。劇中では、そのことを疑問に思ったり、指摘する人はいません。

このことについて、鈴木敏夫プロデューサーは「(宮崎駿監督の設定としては)おそらく母であるリサがそう呼ぶように宗介を育てている」「(呼び捨てにさせるのは)家族間であっても、一個人として自立すべきだということの象徴なのだと思います」「もしかすると、今後の日本の家族のあり方なのかもしれない」と答えていました。

なるほど。両親を名前で呼び捨てにしたほうが、お父さんやお母さんという普遍的な立場への依存度が低くなり、子どもの自立を促しやすいのではないか、というのはわかる気もします(もちろん、両親を呼び捨てにするなんてとんでもない!と思う人のほうが多いでしょうが)。

筆者個人の見解ですが、宮崎駿作品では“名前を呼ぶ(呼ばれる)”こと自体にも、大きな意味があるのだと思います。例えば『千と千尋の神隠し』では主人公の千尋が名前を勝手に奪われてしまう恐ろしいシーンがありましたし、『崖の上のポニョ』のポニョは宗介に付けてもらったその名前をいたく気に入っていたようでした。その他の宮崎駿作品でも、登場人物が自分の名前や素性を話すシーンは特に重要なものとして描かれているようでした。

宗介が母親のリサを探しに行った先でクルマを見つけ、何度も何度も「リサ」と叫ぶシーンは痛切な印象を残します。5歳の男の子が、母親という肩書もない、ただただ大切に想う一個人を呼び続けるこのシーンのために、この両親を呼び捨てにするという設定があったのではないか、とも思えるのです。

ちなみに、『崖の上のポニョ』のBlu-rayには英語音声の北米版が収録されていますが、こちらでは宗介はリサを呼び捨てにせず、「Mom」または「Mommy」と呼んでいます。耕一という父親の名前も「Dad」に代えられていた箇所がありました。英語圏では友だち同士でなくともフランクに呼び捨てをするという印象がありますが、それでも親を名前だけで呼ぶというのは、ギョッとしてしまうところがあるのでしょうね。

2.母親のリサは無責任?

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前述した“子どもに呼び捨てにさせる”以外でも、リサという母親は「無責任だ」などと批判の対象になりがちのようです。確かに大津波という事態ならともかく、リサは大して緊急でない時も危ないクルマの運転をしすぎですよね。

ただし、リサの“子どもを家に置き去りにすることが母親としてあり得ない”という点に関しては、ちょっと異議を唱えたいです。

リサは正体のわからない光(おそらく老人ホームのおばあさんたちからもの)を見て、そこに向かおうとするのですが……波が静まったとはいえ、暗い夜に、どこが水没しているかもわからない道を進むのは明らかに危険です。リサが「この家は嵐の中の灯台。誰かがいなきゃ」「ここにいてくれたほうがリサの助けになるの」と宗介を説得したのも、危険を冒してでも誰かを助けたいと願う宗介の正義感と優しさを知っていたからでしょう。リサは人の命を救おうとしているのはもちろん、息子のことをとても大切に想っています。

また、あれだけ乱暴な運転をしていたリサでしたが、宗介が「女の子が海に落ちた!」と言った時、すぐにクルマを止めています。嵐が起きて道が水没していった後も老人ホームのおばあさんたちを真っ先に心配していましたし、リサが決して無責任な人間ではない、大切な人の命に関しては人一倍気にかけていることは、明白ではないでしょうか。

余談ですが、リサが夫の耕一に帰れないと電話で告げられ、「家で(ご飯を)食べたい」と宗介に言われると、冷蔵庫を開けてビールをすぐさま飲もうとする、というシーンがあります。宮崎駿いわく、これは「もともと自分が飲もうと思っていたビールではなく、夫が帰ってきたら出そうと思っていたんだと思います」ということなので、無責任というよりも、気分屋で猪突猛進なリサの性格を表しているのでしょうね。

3.後半は死後の世界が描かれていた?

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『崖の上のポニョ』は、よく都市伝説のように「後半は死後の世界が描かれているのではないか?」と語られています。確かに、海の上にたくさん船が寄り集まった“船の墓場”が登場したり、老人ホームのおばあちゃんたちが海の中で「あの世もいいわねえ」「ここってあの世なの?」と話していたり、そもそも知っている町が海に沈んでしまうというとんでもない状況でもあるため、死後の世界になっているという説の根拠はたくさんありますよね。

ここで、物語の大筋を振り返ってみましょう。ポニョは人間になって宗介に会いたいと願うあまり、“生命の泉”を爆発させてしまいました。世界には“大穴”が開いてしまい、人工衛星が落ち始めるほどに重力が崩壊し、月が地球に急接近するほどの大事態になってしまいます。そこで宗介にはポニョを人間にすることと引き換えに魔法を失わせる“試練”が与えられます。宗介は試練に成功し、世界は救われ、ポニョは人間になることができました……。

このように単純に物語を追うと、世界が滅亡しかけるほどの大事態が起こっていて、それらが解決したハッピーエンドであること自体には、異論はないでしょう。そもそも明確に誰かが死んだという描写はないですし、「後半は死語の世界」「登場人物はみんな死んでいる」という説は極端すぎるように思えます。

しかし、宗介が出会ったばかりのポニョに対して何度も「死んじゃったかな?」と言っていたり、前述の船の墓場や、リサが乗り捨てていたクルマなどで、それとなく“登場人物が死ぬ(死んだ)かもしれない不安”が描かれていることも事実です。『崖の上のポニョ』に潜在的な怖さを感じる人が多いのも、そのためでしょう。死が明確に描かれていなくても、「死(の世界)がすぐ側まで来ていた」ということは、あるのかもしれません。

余談ですが、劇中に登場する“満月”も、映画の初めは水彩画のような見た目だったのに、中盤からはクレーターがはっきり見える写実的な描き方がされ、しかも地球に接近してくるためにどんどんどんどん大きくなっていくので、やはりゾッとさせられます。しかも、満月は人の精神を変調させたり、自殺者を増やすという説もあるのだとか……。

また、ポニョの本名である“ブリュンヒルデ”は、北欧神話における、戦死者を天国へ導く半神・ワルキューレの1人の名前です(しかも、宮崎駿が本作の構想を練っている時にBGMとして聞いていたのはワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の全曲盤であったのだとか)。ワルキューレには世の終わりまで闘っている勇士をもてなすという務めもあるので、このブリュンヒルデという名前は“世界が破滅する”という予兆を示していた、とも言えるのかもしれません。

※次のページではもっと深い謎を解説! 「ポニョはなぜトンネルをキライだと言った?」

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