『ハウルの動く城』を深く読み解く「8つ」のポイント



宮崎駿監督作品『ハウルの動く城』は、興行収入196億円を超えるという特大ヒットを記録しました。しかしながら、作品評価そのものは宮崎駿監督作の中でも突出して賛否両論を呼んでおり、「モヤモヤする」「良くわからなかった」という声もよく聞きます。

ここでは、『ハウルの動く城』のモヤモヤをちょっとだけでも解消できるかもしれない、さらに作品を奥深く読み解けるポイントを紹介すると共に、「なぜこのような内容になっているのか」ということも解説します。

※以下からは『ハウルの動く城』本編のネタバレに触れています。まだ観たことがないという方は、鑑賞後に読むことをオススメします。

もくじ

1:なぜソフィーは時々もとの若い姿に戻るのか?

2:“老い”を肯定している物語だった

3:荒地の魔女の老いた姿が証明しているものとは?

4:“スプーンを選ぶ”ことでわかるソフィーの性格とは?

5:ハウルは実はダメ男だったのかも?

6:カカシのカブ=王子である必然性があった?

7:終盤の展開のめちゃくちゃさは宮崎駿監督も認めていた?

8:細田守監督の作品に『ハウルの動く城』の経験が反映されていた?

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1:なぜソフィーは時々もとの若い姿に戻るのか?



本作で最も多くの方が気になるであろうことは「荒地の魔女に呪いをかけられて90歳の老婆になったはずのソフィーが、なぜか時々もとの18歳の姿に戻っている」ということでしょう。劇中ではそのことを直接的に説明したセリフはなく、明確に “呪いが解けた”という描写もありませんでした。

結論から言えば、ソフィーが時々若返るのは「ソフィーの精神状態、または自己評価がそのまま年齢に反映されているから」で間違いありません。



ソフィーが元の若々しい姿に戻った最もわかりやすいシーンは、ハウルの身代わりとして魔法使いのサリマンに会いに来た時のことです。ハウルの意思も顧みずに王国(戦争)の為にその力を使おうとしているサリマンに対して「ハウルは来ません。魔王にもなりません。悪魔とのことは、きっと自分で何とかします。私はそう信じます!」とソフィーが高らかに宣言すると、その髪の色も含めて彼女は元の姿に戻っていました。

この時、「ハウルを愛する」という“若々しい恋心”がソフィーを元の姿に戻したことは言うまでもありません。その後に戦争の火種がソフィーたちの眼前に迫ってからは、ずっと(ハウルのことを心から想っている)ソフィーは元の姿に戻っていますしね。



一方で、“自信がなくなった時”にソフィーは老婆の姿になっています。最もわかりやすいのは、ハウルに花が咲き乱れる美しい草原に招待してもらった時のこと。草原に降り立った時にソフィーは若い姿に戻っていましたが、「私きれいでもないし、掃除くらいしか出来ないから」と言った途端に老婆の姿に変わったうえ、「年寄りのいいとこは無くすものが少ないことね」と自虐的な物言いをしていました。

また、ソフィーは若いときの自分の容姿にも、そもそも自信を持っていませんでした。姉を心配する妹のソフィーに対して「大丈夫よハウルは美人しか狙わないもの」と返していますし、「美しくなきゃ意味がない」と絶望したハウルに対して「私なんて美しかったことなんて一度もないわ」と叫ぶのですから(その直後に外に出て涙を流しているソフィーは少しだけ若返っているようにも見えました)。ソフィーのそうした自己評価の低さこそが、荒地の魔女の老いてしまう(見た目がもっと醜くなる)呪いにかかってしまった理由なのかもしれません。



大切なのは、気の持ちようなのでしょう。自分が歳をとっていると思えば歳をとる、若いと思えば若い姿になる……これはファンタジーでしかあり得ないことのようでいて、現実でも実年齢よりも“心の年齢”のほうが大切になってくるのではないかという、普遍的にある“老い”の本質を突いているとも言えます(次の項でも詳しく解説します)。

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