『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』/ティム・バートンと奇妙なファンタジー

■「〜幻影は映画に乗って旅をする〜」

『チャーリーとチョコレート工場』、『アリス・イン・ワンダーランド』のメガヒット作を手がけ、ハリウッドでは随一のファンタジー作家であるバートンが、『ダーク・シャドウ』以来となるファンタジー映画を作り出したのだ。

それが、3日から全国公開された『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』。「ティム・バートン史上、最も奇妙」というキャッチコピーに負けないほど、想像力にあふれ、期待したものがすべて画面に登場する。これは彼のフィルモグラフィの中でも上位に挙げるべき傑作だ。

〜幻影は映画に乗って旅をする〜vol.17:『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』/ティム・バートンと奇妙なファンタジー>

(C)2016 Twentieth Century Fox Film Corporation.

友達のいない孤独な少年ジェイクは、ある日ひとりで暮らしていた祖父の死を目撃する。幼い頃から聞かされていた、かつて祖父が過ごしたある島の話を思い出したジェイクは、その島を訪れる。森の奥にひっそりと佇む廃墟と化した屋敷に辿り着いたジェイク。そこは戦争中に爆撃を受けて子供たちが亡くなった場所であり、その直前まで祖父が過ごした場所だった。ジェイクは、何十年も前に死んだはずの子供たちと遭遇し、少しずつ心を通わせるのであった。

もうすでに、あらすじの時点で魅力的な要素が詰まりに詰まっているにも関わらず、それ以上のものがあるというのはさすがティム・バートンである。子供の頃に聞かされていたおとぎ話を、成長とともに信じなくなった主人公が、話し手の死をきっかけに再び向き合う、というプロットはどこかで聞いたことがある。
そう、バートン自身が2003年に監督した最高のファンタジー映画『ビッグ・フィッシュ』と同じなのだ。おそらくバートンのイマジネーションの原点は、どんな映画よりも先に、彼が子供の頃に親や祖父母から聞かされた多くの物語にあったのではないだろうか。

ビッグ・フィッシュ (字幕版)

仲違いの続いていた父が病に倒れたと報せを受けた主人公ウィルは、父のもとを訪ねる。子供の頃から父の体験した不思議な出来事の話を楽しんで聞いていたウィルだったが、それが作り話なのだと思うようになり、次第に父から心が離れていったのだ。しかし、父の死を目前にして父の過去を調べ始めたウィルは、父が語り続けた物語の真実を知ることになる。

ファンタジー映画というものは、完全にファンタジックな空間に飛躍させなくても作り出せるものだということを、バートンはこの映画で証明したのである。現代のリアリティの中から、少し視点を変えるだけで、世界はこんなにも夢で溢れているのだ、と教えてくれる。もしかすると、それが本来のファンタジーのあるべき姿なのかもしれない。

もちろん、今回の映画でも、「映画は夢を見るための機械」であることを、ティム・バートンは教えてくれる。しかも劇中に登場するオシャレな少年ホレースの能力でそれを象徴させることまでしてしまうのだ。このホレースは、見た夢を投射するという、何の役に立つかわからない能力を持っているのである。これまでバートンが手がけてきた作品は、広義でとらえればほとんどがファンタジーではないだろうか。それこそ、「映画=ファンタジー」という捉え方を持ってすれば、『エド・ウッド』もそれに含むことができよう。

『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』と『ビッグ・フィッシュ』の共通点は、ジャンルや導入部のプロット以外にももうひとつある。本作の劇中で、エラ・パーネル(『わたしを離さないで』でキーラ・ナイトレイの子供時代を演じていた子じゃないか!)が演じるエマの出立ちは、完全に『ビッグ・フィッシュ』でのアリソン・ローマンそのもの。髪型といい、水色のドレスといい、狙って作り上げたキャラクターのようだ。

しかも、独自の世界観があまりにも印象強いバートンであっても、所々に過去の映画へのオマージュを感じさせる部分が表出するのがにくいところ。何といっても、クライマックスで登場する、レイ・ハリーハウゼンの『アルゴ探検隊の大冒険』を想起せずにはいられない場面は、バートンの思いの丈がすべて露わになった忘れ難い瞬間である。何せバートンの映画人生は、ハリーハウゼンから始まったのだから。

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(文:久保田和馬)

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