不遇の名作『ありがとう、トニ・エルドマン』が描く、父親の愛情とユーモアの意味

■「〜幻影は映画に乗って旅をする〜」

(C)Komplizen Film

昨年のカンヌ国際映画祭、大御所ケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』がパルムドールを受賞してめでたく幕を閉じた一方で、その受賞結果に世界中から反発の声があがっていた。

その理由は、ドイツの新鋭女性監督マーレン・アデが発表した『ありがとう、トニ・エルドマン』が過去に類を見ないほどの大絶賛を集めながら、公式部門での受賞は皆無であったため。結果的に独立部門の国際批評家連盟賞の受賞のみに留まったのである。

本作の不運はこれだけではない。昨年末にはアメリカの批評家協会賞で外国語映画賞をほぼ総なめ。近年有力視されている作品が横綱相撲を見せるアカデミー外国語映画賞での受賞がほぼ確実と思われた矢先、トランプ政権の誕生と、それによるイスラム諸国への入国禁止措置、その反発によってたちまち対抗株だった『セールスマン』との形勢が逆転してしまったのである。
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そんな二度の不運に見舞われた、話題の作品がついに6月24日から全国順次公開となる。

<〜幻影は映画に乗って旅をする〜vol.37:不遇の名作『ありがとう、トニ・エルドマン』が描く、父親の愛情とユーモアの意味>

ドイツに暮らすヴィンフリートは悪ふざけが好きで、正反対の性格の娘イネスとは今ひとつ関係がうまくいっていない。仕事に追われるイネスを心配したヴィンフリートは、彼女が働くルーマニアのブカレストまではるばるやってくるのだが、忙しいイネスにはヴィンフリートの相手などしている余裕もない。そこでヴィンフリートは、変装をしてトニ・エルドマンという別の人間のふりをしてイネスの前に現れるのである。

すごく不思議な映画だった。これだけ大きな話題を集める本作が、果たしてどのような作品なのかという、ここ数年でも珍しいほど好奇心を持って臨んだわけだが、感情の機微だけで紡ぎ出される162分間の物語は、映画らしい抑揚もアクションも、お涙頂戴も存在しない。ただただ二人の父娘と共に時間を重ねていき、「映画を見る」という感覚とは少し違った多幸感に包まれる。

劇中で、主人公が油田の視察に訪れる場面、トイレを貸してくれた老人に彼が言うセリフが印象的だ。「ユーモアを忘れるな」。存在しない別の人間に成り替わり、娘を支え、周囲の人を驚かせ、笑わせようとする彼の心の奥にあるのはユーモアという最も人間らしい娯楽の存在。
このときふと、18年前に世界中を感動させたイタリアのヒューマンコメディ映画を思い出した。現代イタリアを代表する喜劇王ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』だ。

ライフ・イズ・ビューティフル(字幕版)

第二次大戦下のイタリア。ユダヤ系イタリア人の家族は強制収容所に連行されてしまう。母と引き離された幼いジョズエに父は、これはゲームであり、1000点取ったら戦車に乗って家に帰れると嘘をつく。それを信じてジョズエは、絶望的な収容所での生活の中で、生きていく希望を失わずにナチスの撤退を迎えるのである。

奇しくもこちらはカンヌ国際映画祭で第二席であるグランプリに輝き、アカデミー賞外国語映画賞も受賞した。同作はすでに90年代を代表するヨーロッパ映画の名作として語り継がれていることを考えると、この『ありがとう、トニ・エルドマン』もいずれその位置に君臨することはほぼ間違いない。

同作を通して、父親を演じ自ら監督も務めたロベルト・ベニーニは、戦争という最も悲惨な状況でも、ユーモアは生きていく希望になるのだと教えてくれる。それは、『ありがとう、トニ・エルドマン』で仕事に追い込まれていく娘をユーモアで救おうとするペーター・ジモニシェック演じる父と重なる部分がある。

子供がいくつになっても、子供を守ろうとする父の気持ちというものは変わらないものである。ちょうど18日の日曜日は父の日。本作の公開はその1週間後と、ちょっと遅れてしまうのだけれど、父子のドラマを観るには最もふさわしい時期なのではないだろうか。

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(文:久保田和馬)

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