『トイ・ストーリー4』完結の“その先”を描けた「5つ」の理由

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本日2019年7月12日より、『トイ・ストーリー4』が公開されます。1作目『トイ・ストーリー』が公開された1995年(日本では1996年公開)から24年という時を経ての第4作となる本作は、現在IMDbでは8.3点、Rotten Tomatoesでは98%という驚異的な評価を獲得し、全米では2週連続No.1の大ヒットを記録しています。

最初に結論を申し上げておきましょう。この『トイ・ストーリー4』は、極限にまで完成度を高められた、その超高評価と大ヒットにも納得するしかない、新たなる大傑作であると!ディズニーおよびピクサーの恐るべき進化と飽くなき研鑽は、もう他の制作スタジオおよび作品には追いつけないのではないかと思うほど、もう「参りました」とひれ伏すしかないほどの、とんでもない領域に行き着いていたのです。

なお、『トイ・ストーリー4』は物語としては過去作から独立しているので、ここから観ても十分に楽しめるでしょう。しかし、可能であれば『トイ・ストーリー』から『トイ・ストーリー3』までの過去3作を、1度だけでも良いので全て観てから劇場に足を運んだほうが良いでしょう。その理由は「キャラクターに思い入れがあるほうが楽しめる」ということのみならず、「過去作で提示された様々な価値観に新たなるアンサーを投げかけている」内容でもあったからです(詳しくは後述します)。

以下からは、この『トイ・ストーリー4』がなぜここまでの作品に仕上がったのか、本編の明確なネタバレに触れない範囲で解説していきましょう。過去3作の内容には少しだけ触れていますので、そちらを観たことがないという方はご注意を!

1:いなくなった“ボー・ピープ”を活躍させることに意義があった!

『トイ・ストーリー4』の制作発表のニュースを聞いた時、こう疑問に思った方も多いのではないでしょうか。「前作で見事に完結したじゃないか」「続きを作る必要があるのか?」「蛇足になるのではないか?」と。それほどに『トイ・ストーリー3』は“終わり”を思わせる内容であり、そのラストカットは1作目の冒頭とつながるという“円環”の構造にもなっていて、物語としても映像表現としても「これ以上は語る必要がない」と思える着地であったからです。

しかしながら、その『トイ・ストーリー3』には解決されていない問題も残されていました。それは“ボー・ピープ”という、電気スタンドの陶器製人形のキャラクターの存在です。彼女はこれまで主人公のウッディの恋人のポジションとして登場していたのですが、“制作上の都合”により『トイ・ストーリー3』では活躍ができなかったのです。ここに後味の悪さを覚えたという方も少なくはないでしょう。

※『トイ・ストーリー3』についてはこちらの記事も参照してください(ネタバレ注意)↓
□『トイ・ストーリー3』の結末等に納得できない方へ

そのボー・ピープがウッディの人生に再び現れるというアイデアが、今回の『トイ・ストーリー4』の企画の発端になっています。シリーズの全ての脚本を手がけているアンドリュー・スタントンは、『トイ・ストーリー3』のプロジェクトのすぐ後にそのアイデアを探索する短いプロットを書き、そのアイデアがシリーズを続けるに値するものであるかどうか、1作目『トイ・ストーリー』に関わったスタッフも集結し、検討を重ねていたのだそうです。

つまりは、「前作で完結したのにまた続編を作る必要があるのか」というファンが感じている疑問は作り手側も当然承知のことであり、その疑問を覆すほどの、誰もが納得できる、そして感動できる物語を完成させることを目標にしていたのです。ピクサーでは物語の大部分からディテールまで議論や意見交換を何度も行い、極限までブラッシュアップしていくという作品作りをしているのですが、今回は「完璧だった前作の続編を作る意義」を最初にしっかり問い直していたと言っていいでしょう。とにかく、『トイ・ストーリー4』は商業的な目的優先の粗製乱造されている続編やスピンオフとは違う、ピクサーのスタッフたちの信念と情熱により世に送り出されているということを、まずは知ってほしいのです。

ちなみに、『トイ・ストーリー4』の制作が発表された当時では「ウッディとボー・ピープのラブストーリーになる」との報道がされており、実際に当初の脚本はその2人のロマンティック・コメディに近い内容だったそうです。しかし、「ボー・ピープというキャラクターをきちんと掘り下げるべきだ」「ウッディとの関係にも決着をつけるべきだ」という発想が生まれ、時間をかけてその物語は大幅に書き換えられることになりました。

その結果、2人の関係は単純な恋愛にとどまらず、ボー・ピープはウッディに“広い世界を見せる存在”へと変わって行ったのだそうです。制作には4年の歳月がかけられたのですが、実際の本編のようにウッディが物語の中心になったのはなんと2年前のことだったのだとか……ピクサーやディズニーでは作品を根幹からひっくり返して作り直すこともよくあるのですが、今回の『トイ・ストーリー4』は企画の当初から検討が重ねられた上に、その後に大部分を見つめ直して再構築するという、ほぼほぼ“ちゃぶ台返し”と言える経緯があったとも言えるでしょう。

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2:映像表現もここにきて3DCGアニメできる頂点に!
それは物語とも不可分の要素だ!

『トイ・ストーリー4』は映像表現としての進化も特筆に値します。続編が作られるごとに技術が発達し、それに伴って新たな表現が可能になっているため、『トイ・ストーリー』シリーズはそのまま3DCG技術の進歩を示していると言っても過言ではないでしょう。1作目から24年の時を経た今回は、もはやアニメーションという媒体でできる表現の、最高レベルまで到達していました。

例えば、1作目では画面に映る“液体”、“激しい爆発”、“人間の長い髪”の表現はありませんでした。ロケットから出る排気ガスはかろうじて表現できたものの、当時の技術で描写できなかったことは極力避けられていたのです。4年後の『トイ・ストーリー2』ではさらにスケールの大きくなったアクションが展開した上に人間の描写のリアルさも増し、それから11年後の『トイ・ストーリー3』ではぬいぐるみのモサモサした毛並みや、それが“雨に濡れた時の質感”までもを表現しきっていました。

それからさらに9年後の今回の『トイ・ストーリー4』でまず圧巻なのは、“豪雨”のシーンから始まるということでしょう。その大量の水滴の1つ1つが圧倒的なリアリティを持って描かれているだけでも驚異的なのに、おもちゃたちが濡れた時の質感の“本物”ぶりには鳥肌が立つほど圧倒されました。その映像表現は、雨によってできた濁流に“飲み込まれてしまうかもしれない”という恐怖にもつながっているのです。

そして中盤からは、何万点のもアイテムが並ぶアンティークショップと、昼には多数のカラフルな遊具施設を一目で見渡すことができ夜には煌びやかなライト(その数なんと3万個!)があちこちに点灯する移動遊園地という、2つの舞台が中心となり展開していきます。どちらも細かな部品や、床や壁の材質の質感まで、あらゆる方向から尋常ではないこだわりを感じさせるでしょう。

重要なのは、こうした技術の進歩により可能になった、しかもディテールをとことん突き詰めた映像表現が、物語とも不可分であるということです。冒頭の豪雨のシーンはおもちゃたちの途轍もない悲しみと恐怖を表現するために不可欠でしたし(映画における雨は登場人物の“涙”を指していることが多くあります)、今ままでのシリーズになかった移動遊園地の楽しさ、アンティークショップの美しさは、世界の広がりや、別の価値観や可能性という、物語でもっとも重要なことも映像として提示していたのですから(これについては後述します)。

そもそも、1作目『トイ・ストーリー』の時点で“世界初の長編フル3DCGアニメ映画”ということが、“おもちゃが見ていないところで生きて動いている”物語を語る上で重要でした。もしも、これが2Dで描かれた平面のキャラだったとすると、彼らが現実にあるおもちゃと同一だとは納得しにくかったでしょう。日ごろから触れているおもちゃが、3Dのそのままの見た目で、まさに生きて動いている(これこそ“アニメーション”)ように見えるということ……『トイ・ストーリー』シリーズはそれぞれで目指すべき表現と技術が一致しており、続編が作られるごとに技術の発達を踏まえた表現に挑戦し、その全てが物語上と不可分になっているという……アニメおよび映画史を塗り替えたと断言できる偉大な功績が、このシリーズにはあると断言していいでしょう。

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3:新キャラクター“フォーキー”が示唆しているものとは?
1作目と”対”になる訴えとは?

今回の『トイ・ストーリー4』では新たなキャラクターとして“フォーキー”が登場します。彼はもともとは“先割れスプーン”だったのですが、ウッディたちの新しい持ち主となった女の子のボニーが目や腕をつけることで“作られた”存在です。ウッディは彼を快くおもちゃの仲間として迎え入れようとするのですが、当のフォーキーは「僕はおもちゃなんかじゃない!食事に使ったらすぐに捨てられるゴミだ!」と言い放ち、ゴミ箱に自らダイブして捨てられようとするのです。

重要なのは、このフォーキーが1作目のバズ・ライトイヤーとの“対”になっているということでしょう。おもちゃの“新入り”だったバズは自身を「私はスペースレンジャーだ」と信じ込んでおり、ウッディは何度も彼に「お前はただのおもちゃなんだ!」と真実を訴えていました。一方で、今回のフォーキーは「僕はどうせゴミ」と言い放ち、そんな彼にウッディは「君はゴミじゃないよ!ボニーに愛されているおもちゃなんだ!」と訴えるのですから。

これは、個人に「どうせ○○だから」というレッテル貼りを良しとはしなくなった、その者の可能性を献身的に見るようになった……そんなウッディの成長とも捉えられます。そう考えると、フォーキーという存在はあらゆる“自己否定をしてしまう人”のメタファーとも言えるでしょう。「どうせ○○だから」「ここに自分がいるのは場違いだ」などと短絡的に卑下してしまい、可能性を狭めてしまうのはもったいない、その人ができることもあるはずだから、身近な誰かがそれを教えてあげるべきなのではないか……そんな普遍的な問題を扱っているとも言えるのです。

なお、『トイ・ストーリー3』では「激しいアクションに陶器製の彼女は耐えられないだろうから」という理由で活躍できず、それ以前も“見守る”立場でもあったボー・ピープですが、今回は動きやすそうな衣装にチェンジし、思いっきり飛んだり跳ねたりのアクションを披露しています。それでいて、「陶器で割れやすいので危なかっしい」ことも踏まえた言及も、劇中では用意されていました。こうした“キャラクターの可能性を広げる”ことは、本作で最終的に提示される“決断”(これについても後述します)も密接に絡んでおり、そこにも大きな感動があったのです。

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4:過去作で提示されたことに尊い”アンサー”が投げかけられていた!

前項で書いたように、ウッディは『トイ・ストーリー4』では1作目とは正反対のことを、新キャラのフォーキーに訴えているように思えるのですが……よくよく考えてみれば今回も「君はおもちゃなんだ!」という言及そのものは変わっていません。ともすれば、本人の考えよりもウッディは自分とっての幸せ、それこそ「おもちゃとして子供に大切にしてもらえるのが一番」という、画一的な考えを押し付けているのではないか……そんな危険もはらんでいるようにも思えるのです。事実、そのウッディが一番大切にしている価値観は、今回はある事態を招くことになってしまうのです。

しかしながら、この『トイ・ストーリー4』では、過去作でも提示された、はっきり言って欺瞞にも感じてしまったその価値観にも、新しいアンサーを投げかけていました。ここにこそ、最高の完結編だった『トイ・ストーリー3』の“その先”を描いた意義があったと言っていいでしょう。

具体的には、『トイ・ストーリー2』における悪役は、日本の博物館にもらわれることを切望しており、その価値観をウッディやその妹分のジェシーに一方的に押し付けようとしていました。それだけならまだしも、ウッディを救いに来たバズははっきりと「おもちゃは子供に愛されてこそ生きる喜びがある(それをウッディに教えてもらった)」という画一的な考えを口にしてしまうのです。まるで、おもちゃにとっての“大切に飾られる”という価値観が否定されてしまっているような、居心地の悪さを感じるところがありました。

しかしながら、今回の『トイ・ストーリー4』では、それこそおもちゃが飾られる場所、アンティークショップが言葉にできないほどの美しさで(さらにボー・ピープが今いる遊園地も楽しそうに)描かれています。博物館とアンティークショップという違いはありますが、『トイ・ストーリー2』で半ば否定的に提示されてしまったように思えた、“大切に飾られる”という価値観も悪くはないと、映像で肯定されたかのような感動があったのです。(もっとも、ボー・ピープをはじめとした今回のおもちゃたちは、そのアンティークショップ以外の場所で生きることを望んでいますが)

さらに、『トイ・ストーリー3』における悪役は哀しい過去を持っており、「おもちゃなんてどうせゴミ」という画一的な価値観をもって独裁者となってしまいました。その悪役が辿る結末は「納得できない」「可哀想だ」などと否定的な声も少なくはなかったのですが、今回の『トイ・ストーリー4』はそれとは全く異なる形で、素晴らしいアンサーを投げかけていたのです。(ネタバレになるのでそれ以上のことは書けません!)

さらにさらに、今回は『トイ・ストーリー』シリーズに根付く、どうしても抱いてしまう“罪悪感”にまでアンサーを投げかけていました。その劇中では捨てられてしまったおもちゃの哀しさや、大人になりおもちゃから卒業してしまった人間の姿が描かれており、「おもちゃを捨られなくなっちゃうよ!」「おもちゃを必要としなくなった自分が最低に思えてくるよ!」などと困った方も多いのではないでしょうか。

それについての1つのアンサーは『トイ・ストーリー3』ですでにあったのですが、今回の『トイ・ストーリー4』は“その先”の新たな可能性、これまでのシリーズで抱いていた観客の罪悪感を解消するかのような、これまた尊い価値観が描かれていたのです。(これもネタバレになるのでそれ以上のことは書けません!)

『トイ・ストーリー4』のキャッチコピーにある「あなたはまだ本当の『トイ・ストーリー』を知らない」「この結末は想像を超える」は伊達ではありませんでした。これまでのシリーズのテーマやメッセージを踏まえつつ、これまでは納得しにくかった、または欺瞞にも感じてしまった価値観にも真摯に向き合った尊いアンサーを投げかけ、これまでにはなかった“その先”を描き、”意外でありながら大納得もできる”、しかも“今回だけでなくこれまでのシリーズで積み重なった様々な要素”がこの1点に集中した、全身が骨から震えるほどの感動を覚えるクライマックスが待ち受けているのですから! 

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5:「誰かから必要とされる幸せ」を描いていた!

かのマザー・テレサは、「この世の最大の不幸は、貧しさや病気ではありません。誰からも自分が必要とされていないと感じることです」という言葉を残していました。『トイ・ストーリー』シリーズが素晴らしいのは、おもちゃが生きて動き出すというファンタジーでありながら(だからこそ)、普遍的かつ現実に即した、その「誰かから必要とされる幸せ」を一貫して描いていることにもあるでしょう。

今回の『トイ・ストーリー4』では、ウッディはある大きな決断をすることになります。それはウッディが自分に必要なこと、そして大切なことを、改めて問い直した結果として提示されました。同時にそれは、あらゆる人生における、重大な決断のメタファーであり寓話でもあるのです。この方法(アニメとしての表現および物語)でしか描けないであろう、これまでのシリーズにもあった「誰かから必要とされる幸せ」を改めて、しかもこれまでと違う形で訴えるメッセージの、なんと尊いことでしょうか!それが全く説教くさくないというのも素晴らしい!

その他も褒めても褒め足りないことばかりです。新キャラの“ダッキー”と“バニー”はコメディーリリーフとしても重要で、「1作目で破ってしまった人間の前では動けないというルール」を“逆手に取った”ギャグで大いに笑わせてくれましたし、さらなる新キャラである“デューク・カブーン”(字幕版ではキアヌ・リーブス、吹き替え版では森川智之が声を担当)はその一挙一動の全てに可笑しみがあるほど。ギャグは物語がセンチメンタルになりすぎないように上手く作用しており、ギミックの凝ったアクションもたくさん展開していくため、とにかく「楽しい!」に満ち満ちているのです。

もうこれ以上は言うことはありません。子供から大人まで観る人を選ばず、現実に即したメッセージに涙でき、これまでシリーズを追ってきた人の“特権”としてさらなる感動も約束されていると……これほどまでに「完結の“その先”を描けた最高の映画」は他にはないでしょう!ぜひぜひ、映画館でフィナーレを見届けてください!

(文:ヒナタカ)

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    ヒナタカ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」運営中のフリーライター。All Aboutでも映画ガイドとして執筆中。なぜか中高生向けの恋愛映画もよく観ています。

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