ゾンビ映画を血みどろに彩る、可愛く、美しい女性たち

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「ゾンビブームである」と、ここ数年は良く見聞きする。なるほど、『ウォーキング・デッド』をシーズン6まで観て楽しそうに話す人に、「シーズン7冒頭で誰が死ぬか」をネタバレしようものなら態度が豹変して釘バットで撲殺されそうな世の中である。確かにここ数年は「ゾンビ」という単語が目や耳に入る機会が増えた。関連書籍も多数発刊されているし、私も実際に何冊か読んでいる。そうそう、本コラムを書いているのはハロウィン真っ最中なので、繁華街には相当数のゾンビがうろうろしていることだろう。

普段はゾンビに縁の無い人たちが、「ハロウィン何やる?ゾンビいっちゃう?」と打ち合わせをしたかどうかは想像の域を出ないが、さしたる動機無くゾンビに扮する行為はかなりゾンビ的であり、世の中にゾンビという存在が充分に浸透し、一般化した証左であろう。また、「面倒くさいから今年もゾンビでいっか」という人も一定数はいるだろう。こちらも思考停止という面では、ある意味ゾンビらしい発想である。

この状況に苦々しい顔をしているゾンビ好きも居るはずだ。だがもし、ゾンビに扮するのが女の子であれば、クソ寒い中、ボロボロの薄着で出かけてくれて眼福なのだからゾンビが流行るというのも悪くない。可愛ければ問題ない。どころか可愛くなくても問題ない。「傷メイク、どうしよっかな」と悩んだり、「このタイツ、ちょっと破いちゃってもいいかな」と逡巡したり、楽しんで準備をしている姿を妄想するとそれだけで萌える。なんとも可愛いではないか。

これは映画に共通するポイントでもある。もっと言えば、映画内におけるレベルの高いお姉ちゃん(顔面のことだけを言っているのではない。念のため)の登場は、超駄作をちょっと駄作に、平凡な作品をちょっと心に残る作品に、それなりの作品を良作に変えてくれる位の力を持っている。要は「あの映画、全然ダメだったけど出てくる女の子が超可愛いかったよなあ」というやつである。例えが男性目線で申し訳ない。女子の方は適宜、超絶イケメンや、激渋ナイスミドルなどに変更して欲しい。

と、ここまで書いて、本コラムのタイトルは「ゾンビ映画を血みどろに彩る、可愛く、美しい女性たち」である

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断っておくが、ここでゾンビ映画から垣間見えるフェミニズムとか、現代に対する警鐘がなどという話をするつもりは全くなく、端的に言って「この映画に出たあの子が可愛い」といった、飲み屋の会話だとしても下の下の話に終始するのをご了承いただきたい。また、原初のゾンビ映画やそもそも論、B級ホラー映画におけるヒロイン云々からやる暇はないので、原則として読んだ方が容易に鑑賞可能な2010年代以降のゾンビ映画に絞って話を進めていくこととする。

2010年代以降と書いておきながら、いきなり2000年代の話になるが、00年代はその後のゾンビブームに向けての助走期間であり、『ショーン・オブ・ザ・デッド(2004年)』、そして『ドーン・オブ・ザ・デッド(2004年)』、『ゾンビランド(2010年)』など、功罪は抜きにして後年の土台を作ったウェルメイドな作品が多く製作された。あくまで個人的な見立てであるが、2010年代のゾンビ映画群は上記作品たちにインスパイアされた作品が多いように思える。もちろん、初期ゾンビ映画からの出汁はひかれているが、あくまで薄味程度である。

ゾンビランド (字幕版)

そして、上記三作で最も可愛い女優が登場する作品は何かというと、これは『ゾンビランド』である。したたかな詐欺師ウィチタを演じたエマ・ストーンが、余りの可愛さと確かな演技力に『ゾンビランド』から『ラ・ラ・ランド(2017年)』まで辿り着いてしまったのは記憶に新しい。間に『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(2015年)』だって挟んでいる。とんでもない。もうゾンビの話なんぞはやめて、「エマ・ストーンがどれだけ可愛いか」や「今、世界はエマ・ストーンとキーラ・ナイトレイを中心に回っている」という持論を展開していきたいのだがそうもいかないので泣く泣く本題に入る。

エマ・ストーンからウ・ドイムまで、ゾンビ映画を血みどろに彩るヒロイン/脇役たち

※『ベイビー・ドライバー』はゾンビ映画ではありません。

エマ・ストーンのようにゾンビ映画に出ており、メジャー作品でもキュートを発散させた女優と言えば、最近では『ベイビー・ドライバー(2017)』でヒロインのデボラを演じたリリー・ジェームズが挙げられる。おそらく2010年代の映画において、これ以上可愛いウェイトレスは登場することがないであろう。未見の方はぜひ。ちなみに『ベイビー・ドライバー』の監督であるエドガー・ライトは『ショーン・オブ・ザ・デッド』でもメガホンを取っている。つまり、監督と主演女優、双方がゾンビ映画経験者なのである。「だから何だというのか」という声が聞こえてきそうだが、それは私も知りたい。

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リリー・ジェームズはセス・グレアム=スミスが著した『高慢と偏見とゾンビ(2009年)』を原作としたバー・スティアーズ監督の同名映画『高慢と偏見とゾンビ(2016)』で、日々カンフーの修行とゾンビ退治に明け暮れる5人姉妹の次女、エリザベス・ベネットを演じている。本作は言わずもがな、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見(1813年)』を下敷きにしており、フィッツウィリアム・ダーシー(サム・ライリー)の高慢さと、エリザベス・ベネットが抱く偏見が重要な鍵を握っている。

意外に良く出来た歴史物としてのストーリー、意外に練られた『進撃の巨人』的な設定、意外に動ける格闘シーンなどは重厚ではないものの、映画として一定レベルに達している佳作である。弱点としては、「別にゾンビ映画でなくとも良かった」くらいであろう。

リリー・ジェームズは『ベイビー・ドライバー』でも、しぶとさではゾンビ・ミーツ・菅原文太レベルのバディ(ジョン・ハム)と対峙したベイビー(アンセル・エルゴート)の危機にバールのような物を手に取り助太刀する。一介のウェイトレスに過ぎない割には随分と慣れた手つきだったが、これは『高慢と偏見とゾンビ』で培ったスキルがうっかり出てしまったのだと考えて間違いないだろう。

ゾンビーワールドへようこそ(字幕版)

脇役の位置にありながらヒロイン的存在の女優を完全に食ってしまっている役者も存在する。それが『ゾンビワールドへようこそ(2015年)』で、主人公の一人、カーター(ローガン・ミラー)の姉役を演じたハルストン・セイジである。

ボーイスカウトの凸凹3人組と、ストリップバーのウェイトレスが繰り広げる笑いあり、恋あり、そして何よりちょっぴり泣ける青春時代の友情を描いたストーリーは、全編を通して良い仕事が施されており、制作陣のゾンビ映画愛を感じられる。唯一残念な点は、『高慢と偏見とゾンビ』と同じく、物語からゾンビの要素を抜いた場合、とんでもない傑作青春映画になっていた可能性が高い。ということで、つまりそれほど良作ということである。

その丁寧な作りの中に、「スクール・カーストも下位である三人組からは、どう考えても高嶺の花である、セクシーな先輩」が登場し、かつ「そのセクシーパイセンは滅茶苦茶良い子」という、アメリカ童貞感覚が濃縮されて入っているものだから、その強度は凄い。

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さて、ゾンビ映画には「悪い女」も欠かせない。それが美人ならば尚更である。『カジノ・ゾンビ(2011年)』に登場するとてつもない悪女、トーリー(エヴァレナ・マリー)はその好例だろう。タイトルの通り、物語はリオのカジノを舞台として、グランドホテル形式で進んで行く。

とにかく嫌な女として描かれるトーリーは、「一体誰が得をするのか」と問い質したくなるくらいのクズっぷりである。どう考えても監督、もしくは脚本家が過去に女絡みで一悶着あり、一悶着ならまだ良いが、単に女性と縁が無かった、挨拶をしたら目を逸らされたなどの、下手すれば言いがかり寸前な恨みを持っていたとしか思えない。百歩譲って好意的に考えるならば、イキってる学生グループは冒頭で殺されるというような監督自身のトラウマに端を発する、一種のホラー映画マナーに忠実だとも言える。

本作ではゾンビが寝たり、共食いをしたり、時が経つと進化したりなど、新境地を開拓しようとしている意気込みは評価できるが、総じて片手落ちな感は否めない。とは言え、トーリーの悪女っぷりと、ラストのカタルシスで何とか持たせるので、ゾンビ映画好きは観ておいても損は無いだろう。

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また、先日映画評を書いた『新感染 ファイナル・エクスプレス(2017)』では、幸が薄そうなソンギョン(チョン・ユミ)や野球部のマドンナ的存在である(ジニアン・ソヒ)も悪くはなかったが、劇中、最も可愛かったのは開始間もなく犠牲になる客室乗務員(ウ・ドイム)であるのは見逃せない。かなり可愛い/セクシーであり、いかにも童貞から目の敵にされそうな美人が一瞬で物語から退場する、というホラー映画のクリシェを『カジノ・ゾンビ』と同じく利用しているが、こちらは効果的であり、何より硬派である。監督のヨン・サンホには、改めて拍手を送りたい。

功罪の「罪」の面を眺めつつ、ゾンビオタクはただ終末を待つのみ

可愛い/綺麗な女の子を眺めつつ、ゾンビ・クライシスを楽しむのは良いものだ。が、もちろん功の部分のみならず罪な部分も存在する。

例えば、せっかく魅力的な俳優を登場させているのにも関わらず、監督の童貞感覚ゆえなのか、意識的/無意識的に関わらずホラー映画のマナーに則ってしまってのものなのかは判断がつかないが、「女性」を描けていない作品が多い。無論、「男性」のケースもあるし、キャラ設定でも同じである。

また、単純に「出してみました」という、カレーに付属された福神漬の如き扱いをされているものも多く、福神漬ならばまだしも、なぜかイチゴショートや、場合によっては爪や釘などの異物が混入している場合すらある。

もちろんこれはゾンビ映画だけに当てはまるわけではないが、付属物は美味いのはもちろん、メインの味を引き立ててこその付属物なのである。念のため書くが、そういった作品を駆逐しろと言っているわけではない、有った方が良いに決まっている。むしろたまに食いたくなる。

そのような異物混入・マッシュアップの方向性に走ってしまった制作陣が「ゾンビ映画撮る?じゃあ可愛い女の子必要だよね?」と打ち合わせをしたかどうかは想像の域を出ないが、さしたる動機無く可愛い女優を出す行為はかなりゾンビ的であり、また、「ホラーだからセクシーな女出しといた方がベタで本格的だろ」という人もいるだろう。こちらも思考停止という面では、ある意味ゾンビらしい発想である。

そもそも、ゾンビ映画におけるヒロインや端役の女優について語るのもなんだか変な話なのだが、こんな話ができるのも世の中にゾンビという存在が充分に浸透し、一般化した証左であるのかもしれない。

この現象を眺めつつ、「そもそもゾンビというのは」とか「こんなものゾンビ映画ではない」とか言うつもりは毛頭ない。そんなことを言う奴は、「俺は死なないぜ」と得意になって粋がるも束の間、真っ先に臓物を食い散らかされると相場が決まっている。ゾンビオタクはゾンビという概念が薄まっていく/変化していく現状にただ絶望し、街の灯がひとつ、またひとつと消えるのを見ながら終末を待つのが正しいスタンスなのである。もちろん、私もその一人だ。

(文:加藤広大)

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