「らんまん」語り:宮崎あおいの正体とは<第126回>


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2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。

「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。

ライター・木俣冬が送る「続・朝ドライフ」。今回は、第126回を紐解いていく。

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園ちゃんの植物園

いよいよ最終週「スエコザサ」。関東大震災で焼け出された万太郎(神木隆之介)でしたが、寿恵子(浜辺美波)が練馬に土地をどーんっと買います。

「すごいな すえちゃん ほんまにすごいすえちゃんじゃ」と万太郎は讃え、
「私もこんな冒険びっくりですよ」と寿恵子。
「万太郎さん わたし、やり遂げました」

万太郎のそばにいて駆け抜けたからこそできたという寿恵子。
寿恵子の何がすごいというと、最初の望みを成し遂げたことです。

第34回で「私、草むらになりたい。草むらになって、2人(八犬士・犬塚信乃、犬飼現八)を見ていたい」と寿恵子は言っていました。

「壁」ならぬ「草むら」。それにしても「草むら」なかなかユニークなたとえとそのときは笑いどころと思われたこの言葉ですが、重要でした。寿恵子は、万太郎を見ていられる草むらを作ったーーということは、草むらになったも同じです。

寿恵子は「草むらじゃ置いてかれる。いっそ八犬士になりたい」とも言いました。草むらを作ったうえ、万太郎と共に駆け抜けた犬士、いや、草士(?)になったも同然です。

正確にいえば、寿恵子にとって、この土地は、亡くなった第一子・園子の「園」です。娘は亡くなっても、四季折々折すてきな花を咲かせる「園」として永遠に生きるのです。

万太郎もまわりが変わっても、信念を貫き通しましたが、寿恵子もまた、初志貫徹したのです。ほんまにすごいお話です。

そして、時間は一気に進み、昭和33年(1958年)。

練馬の万太郎宅に、藤平紀子(宮崎あおい:さきはたつさき)がやって来ます。彼女は、万太郎の娘・千鶴(松坂慶子)が募った万太郎の遺品整理に区役所の紹介で応募してきたのです。

語りで「私は」と言っているので、ドラマの語りは、この紀子という人物だったようです。語り、ナレーションを担当したかたがドラマに登場することは
朝ドラあるあるのひとつです(朝ドラ辞典、ナレーション参照)

40年間集めたものを震災でほぼゼロになり。その後、また40年に満たず、40万点も採集したなんて、万太郎は偉業を行いました。

だからこそ40万点もの標本の整理はあまりにも膨大で大変そうで、紀子はおそれをなしていったん帰ります。

が、途中、風と、庭に咲いたスエコザサに導かれるようにして、考え直します。

関東大震災、空襲を経て、守り続けてきた植物の標本。

「私も戦争を生き抜きました。次のかたに渡すお手伝い、私も しなくちゃ」と言う藤平紀子のやるべきことは、先人の残したものを次世代に渡すこと。

「地獄のなか」「炎のなか」と語る紀子。突然出てきて、戦争の話をさらっと一言二言で語っただけでもなんだか伝わってくるのは、宮崎さんが朝ドラ「純情きらり」で戦争の炎をかいくぐったヒロインを演じた経験があるからではないでしょうか。

宮崎あおいさんも俳優として、戦下、生き抜いた人の心を朝ドラを通して手渡す仕事をしてきたのです。朝ドラというものがそもそも、日本のいつかどこかで生きてきた人のことを伝えるお仕事だと思うのです。

風は「らんまん」では、効果的に使われていました。風が人々の進むべき道を導いていました。薬師丸ひろ子主演の映画「里見八犬伝」では「星よ、導きたまえ」というキャッチコピーがありましたが、「らんまん」では風が金色の道に導いてくれるのです。

末っ子の千鶴が、祖母・タキを演じた松坂慶子さんになっていたところもサプライズでした。ネットでは大河ドラマ「篤姫」の篤姫(宮崎)幾島(松坂)の再共演と話題になっていました。

(文:木俣冬)

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