戦後70年の今、戦争を改めて考える―半藤一利&原田眞人監督フォーラム全文
岡田啓介というのは、二・二六事件の時に総理大臣をやっておりまして、殺されないで済んだ方なんですが、海軍の大将で、これが鈴木貫太郎さんを総理大臣に昭和20年の4月に無理やり担ぎだしてきた張本人なんですね。
で、岡田圭右さんと迫水さんというのがこれまた親戚なんです。この系図が女房の本に書いてあるんですね。詳しく知りたかったら買ってみてください(笑)ということは、要するに夏目漱石も岡田啓介と親戚になりますし、迫水さんとも遠い親戚です。ということは鈴木貫太郎も実は岡田啓介と親戚になるんです。
これも難しいから僕は言いませんけど、つまり終戦の時の鈴木貫太郎、迫水久常というのは親戚同士で、後ろに岡田啓介という親戚であり海軍大将がおりまして、この連中が変な話なんですが、一緒になってやったんですね。そういう意味では私も鈴木貫太郎、迫水久常、岡田啓介と全部親戚なんです(笑)
この鈴木貫太郎はという人は実は大変な人なんです。日清・日露戦争の時のすごい勇者なんです。「鬼貫太郎」と呼ばれたくらいにものすごく戦った人。
そういう人ですからぐんぐん出世していきまして、海軍のトップを極めた人なんですね。ところが、昭和になりましてすぐに「侍従長は海軍から、侍従武官長は陸軍から」というしきたりがありまして、それで海軍から侍従長になられたんですが、実は左遷も左遷、すごい左遷なんですよね。
正直いうと。鈴木貫太郎さんは、連合艦隊長官もやりましたし、軍令部総長もやった海軍のトップを極めた方で、宮中における席次はすごく高いんです。ところが、侍従長になると席次が一気に下がるんですね。普通の人はそういうことを承知しないんですが、鈴木貫太郎は承知して、侍従長になったと。
さらに、鈴木貫太郎の2番目の奥さんというのが、昭和天皇の乳母なんです。鈴木貫太郎は、侍従長をやっている時に、天皇とは親子ぐらいの差がありまして、昭和天皇は鈴木貫太郎を父親のごとく思い、そして鈴木貫太郎の奥さんも母親のように思って育ったというところがあって、ほんとうまい具合になっていたんですね。
そこに、一中一高東大という出世コースを歩いた大蔵官僚のものすごい秀才である迫水さんという親戚が、がっちりと下から支えます。そしてその上に岡田啓介という重鎮が乗っかりまして、それで日本の国をなんとか戦争を終わらせる方法にもっていこうという全力を尽くすんですね。ですから、親戚筋というのはあまり馬鹿にできないなと。私もそう思いまして、今日は妙なご紹介をしましたけど、そういうことであります。
さっき言い忘れましたが、終戦当時の阿南さんは58歳、鈴木貫太郎78歳、迫水さんは43歳、この歳頃でございます。なぜこんなことを言うかといいますと、この後で、反乱軍の将校たちの話が出てまいりますので、その将校たちの年齢を紹介しようと思いますので、ちょっと覚えておいていただきたいと思います。
山﨑努が演じる鈴木貫太郎という男
監督:
半藤先生、迫水さんは岡田啓介の娘の旦那ですよね?
半藤:
迫水さんの奥さんが、岡田啓介の娘です。前の奥さんですね。早死されるんですけど、岡田圭右の娘婿ということになりますね。
監督:
岡田啓介さんは、この映画の頭でちょっと出てきます。杖をついて東條英機に怒鳴るおじいさんが、それが岡田啓介さんです。それで、迫水さんは堤真一がやっています。
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