映画コラム

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2016年04月07日

「スポットライト」に見る真実への道&ジャーナリストを描いた映画20選

「スポットライト」に見る真実への道&ジャーナリストを描いた映画20選

スポットライト 世紀のスクープ


Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC



世界を揺るがした“結果”への道。


大混戦・大混乱の本年度アカデミー賞において作品賞と脚本賞を受賞した「スポットライト世紀のスクープ」がいよいよ日本公開される。
知っている人が見れば、この映画を見ると「大統領の陰謀」(76年、アラン・J ・パクラ監督)思い起こすだろう。

一方はカトリック教会の長年行われてきた神父による少年への性的虐待行われ、それが組織的(カトリック総本山バチカンも含む)に隠蔽されていたということを暴き。もう一方はアメリカ民主党の本部への盗聴侵入事件に当時の共和党の現職リチャード・ニクソン大統領までもが(間接的に)関与しているという一大政治スキャンダルを暴いた。

結果として当時のカトリック教会教皇ベネディクト16世は退位を迫られ、ニクソン大統領に至っては本当に辞職に追い込まれてしまった。
ところで、この世界的なスキャンダルは如何にして白日の下にさらされたのか?どういう人間が、何をきっかけに調査を始めたのか?どのような妨害、障害があったのか?

世界を大きく揺るがした“結果”に対して、その道程は思いのほか知られていない。

二つのジャーナリズム


ジャーナリズムの定義・分類方法は様々な研究が現在進行形でもあるので、語り始めるとなるとなかなか難しいところだが、一つの分け方として“批評型”と“調査型”の二つがある。

近年、インターネット・SNS等の発信ツールが増えたこともあって、批評型ジャーナリズムの比重が極端に増えている。もちろんジャーナリズムの批判性は権威・権力者への監視・警告を与える“第四の権力”として、どの時代にも求められるものではあるもの、一歩間違えると“どれだけ巧みに相手の批判(悪口)をいうか?”ということに力点が置かれやすい。批評がいつの間にか批判へスライドしてしまい、物事の真偽は徐々に後方に置かれていく。

これに対してジャーナリスト側が主体性と継続性をもって真実に近づこうとする調査型ジャーナリズムは手間もコストもかかり、さらに真実にたどり着けず利益(スクープ)を生まないこともあるため、敬遠される傾向にある。調査対象側としても自身の不利益につながることもあることから様々な妨害工作にあうこともある。

「スポットライト」が描く“内なる障壁”


「大統領の陰謀」でも時の政権にメスを入れるということもあって有形無形の妨害にあう。メインで取材をしたワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン(映画ではロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン)にはまだ“ディープ・スロート”という政府側の情報源がいた(後に当時のFBI副長官のマーク・フェルトだったことが分かる)。それによって、圧力をかけてくる公的な存在の内側に協力者がいたので、圧力からの逃げ方・構え方を持つことができる。

これに対して「スポットライト」ではさらに深く根を張った障壁、ジャーナリストの内側に無意識のうちに根付いていたものも描き出す。

これについては報道の先陣を切ったのはボストン・グローブ紙の本拠地ボストンという土地柄の特異性について多少の予備知識があるとわかりやすい。ボストンはアメリカの中でも最も歴史のある都市の一つであり、政治・経済・文化・治安などが高いレベルで安定し治安、土地への帰属意識が強い保守的な地域である(ティーパーティー運動の元ネタであるボストン茶会事件が起きた土地でもある)。さらにローマカトリックの影響力がアメリカ国内で最も色濃い都市でもある。そういう土地柄から人々の生活・人生に教会は深く根差し、多くの人々の中で教会へのネガティブな発想は無意識にバイアスがかかっている。

散発的に事件が起きたり、ニュースになったりすることはあってもそれを連続した事柄として語ろうという感覚が地元ジャーナリストの側にも元々芽生えないような環境が作られていた。目の前に様々な情報・データが提示されてもそれをネガティブな方向にもっていくという思考にならないのだった。

この事実上のタブーにボストン・グローブ紙のコラム連載チーム“スポットライト”が動いたのも、ユダヤ系でボストンの外からやってき編集局長がやってきたことがきっかけだ。ボストンの人間の意識下に上がることがなかったことがらに違和感を持ち調査を指示した。

そしてチーム“スポットライト”の面々はかつて自紙でも関連するニュースを扱っていながら、そのことを外部から指摘されるまで頭になかったことに愕然とし、責任を痛感する。この“内なる障壁”の存在に気が付いた時の何とも言えない切なさ・哀しさ、“有”力感という言葉はないが、力あったにもかかわらず何もしていなかったことに気が付いた面々の切なさ・哀しさは何ともやりきれない思いになる。

エンドロールやエンドロール後にもお楽しみがあるので最後まで劇場で!!と謳う映画は多いがこの「スポットライト」のエンディングは胸が締め付けられる。本当に最後まで席を立たないでほしい。

【付録】


ジャーナリストの活躍を堪能できる映画達
「大統領の陰謀」(76年、アラン・J・パクラ監督)
「市民ケーン」(41年、オーソン・ウェルズ監督)
「インサイダー」(99年、オリバー・ストーン監督)
「ニュースの天才」(03年、ビリー・レイ監督)
「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(94年、オリバー・ストーン監督)
「グッドナイト&グッドラック」(05年、ジョージ・クルーニー監督)
「クライマーズ・ハイ」(08年、原田眞人監督)
「ゾディアック」(07年、デビット・フィンチャー監督)
「ザ・ペーパー」(95年、ロン・ハワード監督)
「フロスト×ニクソン」(08年、ロン・ハワード監督)
「ヴェロニカ・ゲリン」(04年、ジョエル・シュマッカー監督)
「凶悪」(13年、白石和彌監督)
「俺たちニュースキャスター」(04年、アダム・マッケイ監督)
「キリング・フィールド」(85年、ローランド・ジョフィ監督)
「サルバドル 遥かなる日々」(86年、オリバー・ストーン監督)
「GONZO」(08年、アレックス・ギブニー監督)
「マイ・バック・ページ」(11年、山下敦弘監督)
「64 ロクヨン」(16年、瀬々敬久監督)
「クイズ・ショウ」(95年、ロバート・レッドフォード監督)
「スパイ・ゾルゲ」(03年、篠田正浩監督)

(文:村松健太郎)

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