今必見の短編映画「べー」!20歳の学生監督が邦画界に与える衝撃とは?
京都在住の阪本裕吾監督に、メールでのインタビューをお願いしたところ、以下のお答えを頂いた。
残念ながら関東では今のところ上映の予定が無いのだが、インタビューの中に出て来る各シーンの説明などから、是非自分なりに内容を想像して頂ければ幸いです。それでは、どうぞ。
質問1:本作の製作費と撮影期間、この作品の製作に至った経緯などありましたら、お聞かせ下さい。
A:作品の制作費は、恐らくですがトータルで3万円くらいだったと思います。
撮影期間は脚本を書き上げたのが5月末で、7月末に撮り終わりました。準備を除くと、撮影は2週間くらいだったと思います。
制作に至った経緯は、この映画の千春ちゃん役を演じてくれた辻凪子と言う役者を、殺人鬼役で撮りたいなあと考えていたところから始まりました。「この子、関西弁で爆笑しながら人を殺しそうだなあ」と思ったのがきっかけです。
すべて京都造形芸術大学映画学科の撮影機材や制作コースのスタッフ、俳優コースの役者さんを使ったので、人件費やらは0で、あとは血塗れにしてもいい服ですね。たくさん買いに行ったんですけど、その頃本当にお金がなかったので、仕方がないので私服を沢山血で汚してしまいました。
質問2:坂本監督が一番こだわったカット、一番苦労したカットがありましたら、お聞かせ下さい。
A:こだわったカットは、やっぱり食事の毒殺シーンの長回しと、あとは影山兄弟が一般人を車に拉致して恫喝して蹴落とす長回しですね。
これは絶対絶対カット割りたくない!って思ったんですが、割とスタッフのみんなから「カット割って良くね?」とか「無理じゃね?」とか言われたんですけど、まあやったらやったで割と出来たんで、「うわあ、出来るもんなんだ!」って感動しました。
妊婦の美幸ちゃんをを吊るすカットも、「カット割って、もっと寄りで撮っちゃダメかな?」とスタッフの人に言われたんですけど、思いっきり引きで、足が地面についていないのを見せたいとこだわった末、ああいうカットが生まれました。だから役者さんのお腹にロープを巻いて本当に吊るしているので、とても大変でした。多分「監督死ねよ!」と思われていたと思います。
苦労したのは、毒を盛られて死ぬ役の陸斗が血のゲロをぶちまけるシーンですね。
陸斗を演じてくれた吉井健吾が「毒盛られて血を吐くんやったらほんまに吐こうぜ!」と言い出し、本当に血糊を2リットルくらいとビールや焼酎を大量に飲ませてガンガンに目を回させて本当に気分悪くして吐かせたのを撮ったんです。スタッフの女の子や他のキャストの子からは猛反対されて、100回くらい「口に含ませるだけで良くね?」と止められたんですが無理矢理決行し、ゲロを吐かせました。
吉井君はそれから本当に体調を崩してしまい、2日間ほどまともにご飯が食べられなかったらしいです。
質問3:他の多くの自主映画の様に、過去の映画からの引用や模倣が本作には見られなかった様に思いました。坂本監督が本作を撮る上で参考にした映画、もしくはオマージュを捧げた映画などありましたら、お聞かせ下さい。(好きな監督や映画名なども)
A:本質的な、狂った殺人カップルの映画という意味でオマージュを捧げた映画は特になくて、むしろそういう映画が好きとかいうわけでもなく、例えば「俺たちに明日はない」や「ナチュラル・ボーン・キラーズ」といったカップル犯罪者の映画は一本も見ずに撮ってしまいました。
ですがカットの模倣はあります。橋での千春と祐樹の出会いのシーン、取っ組み合いの喧嘩を引きの固定で撮っているのですが、これは殴った時の効果音も含め完全に「ディストラクション・ベイビーズ」です。
あとはトイレで殴り合って刺し合うのは韓国映画の「新しき世界」みたいにやりたいなあ、と思ったり、食卓シーンから突然バイオレンスに雪崩れ込むのはタランティーノの映画みたいにしたいなあと、感覚的なことですね。
質問4:今後、どの様な作品を撮って行きたいとお考えです か?あるいは、目標とする監督などありましたら、お聞かせ下さい。
A:次撮る映画は2本決まってて、1本は純粋な恋愛映画で、もう1本は純粋な暴力映画です。どちらも今シナリオを練っている最中で、1月、2月に連続で撮ってPFFまでに間に合わせたいなと考えています。
恋愛映画は、ただ2人の男女が出会い、付き合い、別れる、それだけの物語を予定しています。リアルに、ロマンチックに、切ない、1つの恋が生まれて死んでいくまでの儚い物語を撮れたらなあ、と思っています。
目標とする映画監督は、山戸結希さんです。つい最近の話なのですが、山戸監督の映画「あの子が海辺で踊ってる」という作品を見たんですが、その作品を見た途端、胸の中がカァーッと熱くなり、居ても立っても居られなくて自転車で街を爆走したんです。自分の凡庸さをマザマザと見せつけられた絶望感と、自分がとても自由になった開放感が同時に襲ったんです。技術的には拙いけど、熱意や、爆発、何かこう、とてつもない彼女の全てが全身全霊で自分に襲いかかってきました。映画はこんなに自由なんだ、こんなことしても伝わるんだ、そう気付けた瞬間です。
僕はあの人に少しでも近づけるよう、映画を撮り続けたいと思っています。
阪元裕吾監督、ありがとうございました!
今年の日本映画の豊作振りと、新たな若い世代の監督たちの出現・台頭は、映画ファンにとってはとても喜ばしい出来事だった。
今回阪元裕吾監督にインタビューして、その若い世代の監督たちが、既にその次の世代に影響を与え、彼らの目標となっている点が確認出来たのは、自分にとっても素晴らしい発見だったと言える。
皆さんも時間に余裕があれば、是非一度学生映画や自主映画の上映会に足を運んでみてはいかがでしょう?
後に開花する新たな才能の発見、その歴史的瞬間に立ち会えるかもしれませんよ。
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(取材・文:滝口アキラ)
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