映画コラム

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2018年09月02日

『インクレディブル・ファミリー』がもっとおもしろくなる「5つ」のこと!

『インクレディブル・ファミリー』がもっとおもしろくなる「5つ」のこと!



©2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved. 


公開中の『インクレディブル・ファミリー』はエンターテインメントに徹した、老若男女にオススメできる素晴らしい作品でした! 14年前に公開された前作『Mr.インクレディブル』の直後から始まる物語になっていますが、そちらを観ていなくても十分に楽しめるでしょう。

何しろ、本作は3DCGアニメの利点を最大限に利用した、“凄まじい”と言ってもいいアクションシーンがてんこ盛りなのですから。奥行き感や高低差のあるダイナミックな動きの画、ワクワクするアイデアは『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のスパイアクションでも高い評価を得ていたブラッド・バード監督ならでは。何も考えずに観ても、とんでもなくスピーディーなアクションの数々に圧倒され、大満足できることでしょう。

そして、本作は物語が“スーパーヒーローの活躍を通じて家族の関係を描いている”ことを踏まえ、ブラッド・バードの“作家性”を振り返ると、さらにおもしろくなる映画でもありました。以下より、たっぷりと解説してみます。

※以下からは『Mr.インクレディブル』および『インクレディブル・ファミリー』の内容に少し触れています。核心的なネタバレは避けていますが、予備知識なく観たいという方はご注意ください。

1:赤ちゃんのスーパーパワーが示しているものとは?
その“可能性”を生かすことが重要だ!


キャッチコピーに「家事!育児!世界の危機!」とあるように、本作は世界の平和を脅かす悪との戦いだけでなく、並行して家事や育児に対しての奮闘も描かれていることが大きな特徴の1つです。

おもしろいのは、赤ちゃんが目からビームを出したり、モンスター化したり、炎を身にまとったり、空を飛ぶといったスーパーパワーを持っていることとが、現実における赤ちゃんのお世話の大変さを誇張した表現にも見えること。現実の気まぐれでかんしゃく持ちの赤ちゃんの怖さや扱いづらさも、このハチャメチャなスーパーパワーを持つ赤ちゃんと大して変わらないのではないか……という皮肉にも思えてくるのです。(以下の動画でもそのシーンが観られます)



事実、ブラッド・バードは3児の父であり、幼かった頃の息子が「普段は明るいのに、怒ると手が付けられなかった」ことを、赤ちゃんの“モンスター化する”スーパーパワーに反映させていたのだとか。しかも、赤ちゃんが様々なスーパーパワーを持つことは“可能性が無限大であること” も示しており、将来的には大統領のような偉い人間になるかもしれないが、とんでもない狂人にもなるかもしれないという危険性もはらんでいると、ブラッド・バードは語っているのです。

その赤ちゃんのスーパーパワーは、始めは“厄介なもの”として扱われているものの、終盤ではヒーローの一員として“有効に活用される”ようになることも重要です。これもまた現実の育児のメタファーと呼べるもので、赤ちゃんの行動を「こんなことをして!」と嘆いたり「もう何もしないで!」と押さえつけたりするよりも、「よくできたね!」と褒めたり「こうしてみて!」とその行動が(将来的にも)プラスになるよう、育てる側が工夫することも必要なのではないか?という諫言にも思えてくるのです。

ちなみに、家族それぞれのスーパーパワーもまた、この赤ちゃんと同様に以下のような“その人らしさ”を示したものになっています。いわば、本作におけるスーパーパワーは現実ではあり得ないものではあるものの、赤ちゃんからお母さんまで、現実にいる普遍的な家族の特徴をそのまま反映したものでもあるのです。

・お母さんのヘレン→あちこちに手を伸ばさなければいけない→伸び縮みするゴム人間のスーパーパワーを持つ。

・13歳の思春期の女の子のヴァイオレット→精神的に不安定で、人前から消えたくなったり、人との間に壁が欲しくなっている→透明になる能力とバリアを作るスーパーパワーを併せ持つ。

・10歳の生意気な男の子のダッシュ→あちこち走り回っている→超速でダッシュするスーパーパワーを持つ。



ちなみに、前作『Mr.インクレディブル』のソフトに収録されている短編映画『ジャック・ジャック・アタック!』でも、赤ちゃんの数々のスーパーパワーがコミカルに描かれています。合わせて観ると、もっと面白くなりますよ。

2:家族観の変容が描かれていた?
“お父さんあるある”も満載だった!


劇中では、お母さんのほうが社会に出てスーパーヒーローとして活躍し、お父さんのほうが主夫として育児と家事を担当するという、従来のジェンダーロールとは正反対の活躍が描かれたりもします。

しかも、子育てに関しては“緊急事には親しい友人に面倒を見てもらう”や、“子供との相性がとても良いとは思えない人でも、いざ赤ちゃんを預けみると意外と楽しく面倒が見られるかも”といった、血縁のある家族以外の関わりも描かれたりもするのです。

お父さんが子育てに積極的に参加したり、親しい友人も子育てに参加したり、意外な人から子育てで大切なことを教えられたり、新しい家族のあり方が提示されている、というのは、細田守監督の『バケモノの子』にも通じています。こうした“子供を育てるのは血縁のある家族だけではない”ということや、お母さんのほうが(も)社会に出て仕事をこなしていくというのは、現代における家族観の変容も示しているのでしょう。

また、劇中にはお父さんが思春期を迎えた娘に対して過度に干渉してしまったり、息子の算数の宿題を何とか手伝おうとしてもやり方が良くわからず、それでも問題の1つ1つを何とか解決しようと努力するものの、結局は限界ギリギリまで疲れ果ててしまい、子供にイライラをぶつけてしまう、という(主夫に限らない)“お父さんあるある”な失敗が描かれてもいます。

そのように子育てに対して“いっぱいいっぱい”になってしまった時、「遠慮なく知り合いの誰かを頼ってみるのもいいかもよ?」「自分の間違いを認めて謝ってみては?」ということも、本作は教えてくれます。子ども向けの映画に思えて、大人のほうが学ぶところが多い映画とも言えるのかもしれませんね。



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3:ブラッド・バードの作家性とは?
続編を作る意義もあった!


ブラッド・バードが手がけた作品には、一貫して「何かの才能や資質を持った人は、それを絶対に正しく生かすべきだ!」というメッセージが込められており、それこそが“作家性”としてもっとも強く表れています。

例えば、ブラッド・バードが脚本家として参加していた1987年の実写映画『ニューヨーク東8番街の奇跡』では、アパートに暮らしている人たちが立ち退きを強制されていたものの、突如現れた小さくて可愛いUFOの“家族”との出会いによって、彼らそれぞれが自分の生きる道を探して“自己実現”をしていく姿が描かれていました。

監督を務めた1999年のアニメ映画『アイアン・ジャイアント』では、登場する鉄人はもともと“兵器”であったのですが、主人公の少年にスーパーマンのコミックを教えてもらったことをきっかとして“守る者”としての使命に目覚めていきます。そこには「なりたい自分になればいい」というストレートなメッセージもありました。

2007年のアニメ映画『レミーのおいしいレストラン』では、天才的な料理の才能を持ちながらも、ネズミであることからそれを生かすことができないという葛藤が描かれており、“世間に認めてもらうためにはどうすれば良いのか”という問いかけがされ、どのように工夫して実現して行くか……が物語の焦点になっていました。

こうしたブラッド・バードの作品に一貫している作家性は、もちろん前作『Mr.インクレディブル』および本作『インクレディブル・ファミリー』でも発揮されています。前作では世論の圧力によりスーパーヒーロー活動の自粛を余儀無くされてしまい、主人公は保険会社でイヤイヤ働きつつも、こっそりとスーパーヒーローとして活躍しようとしていました。本作では、そのスーパーヒーロー活動を禁じている“間違った”法律そのものを改正させようとすることが物語の発端になっています。まさに「何かの才能や資質を持った人は、それを絶対に正しく生かすべきだ!」になっているんですね。

また、前作『Mr.インクレディブル』のラストでは、“与えられた能力をコントロールして、社会とうまく歩調を合わせないといけない”というモヤモヤが残されている、おそらくはブラッド・バードが本来持っている作家性にそぐわないであろうシーンもありました。つまり、物語上で根本的な問題の解決にはなっていないところがあったのですが、本作『インクレディブル・ファミリー』では、その根本的な問題(ヒーロー活動を禁じる法律)そのものを解決しようとしているのです。

続編において“問題が解決してしまっている”や“登場人物が成長しきってしまっている”ことは作劇上で大きな足かせとなり得ますが、『インクレディブル・ファミリー』では前作で残された問題にこそ焦点を当てているのです。前述した従来のジェンダーロールとは正反対のお父さんとお母さんの活躍も合わせて、続編を作る意義があり、理想的な物語運びにもなっていると言ってもいいでしょう。



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4:ブラッド・バードの経歴に注目!
その作家性には危険性もはらんでいる?


では、なぜブラッド・バードの作品には、この「何かの才能や資質を持った人は、それを絶対に正しく生かすべきだ!」という一貫した作家性があるのでしょうか。それは、彼の経歴を見れば自ずとわかってくることでした。

ブラッド・バードは若干11歳ごろからアニメーション作品を制作し、14歳でウォルト・ディズニー・スタジオに注目され、“アニメ界の神童”とも評されていました。しかし、いざディズニーに入社しても辞めてしまい、大きな功績を残せないまま長い時間を過ごすことになります。ようやく監督としてデビューした『アイアン・ジャイアント』も高い評価を得ていたものの興行的には大失敗してしまい、その人生は苦難と逆境の連続であったと言ってもいいでしょう。

つまり、“自分は優れた才能を持っていたのに、それをうまく生かせなかった”という悔しさがブラッド・バードの人生にはあり、それを作品に落とし込んでいるとことはほぼ間違いないということなのです。

しかしながら、そのブラッド・バードのその作家性は、ある種の危険性をはらんでいるとも言えます。事実、2015年の実写映画『トゥモローランド』では、「夢を持っている人だけが選ばれる」という“選民思想”に思われても仕方がない、観る人によっては不快に感じても仕方がないと思える極端な価値観が示されており、大いに賛否両論を呼んでいたりもしました。つまり、ブラッド・バードは子供の頃からスーパーエリートであったからこそ、全ての人に当てはまる物語作りができていないのでは?と思ってしまうところもあったのです。

また、ブラッド・バードの作品で悪役となる人物には、“資質や能力の間違った使い方をしている”ということがよくあります。『ニューヨーク東8番街の奇跡』に登場する地上げ屋の男もそうでたし、前作『Mr.インクレディブル』ではその道を誤っていた悪役に対しての救いがほとんどなく、辛辣な印象さえもありました。そこに、若干の“いたたまれなさ”を感じてしまう人もいることでしょう。



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5:子育てでもスーパーヒーローになれる?
悪役の価値観を覆す行動があった!


前述したように「才能や資質を持っていないと思っている人の気持ちがわかっていないのでは?」「資質や能力の間違った使い方をしている悪役に対しての救いがなさすぎるのでは?」というモヤモヤが、今までのブラッド・バードが手がけた作品に少なからずあったのですが、本作『インクレディブル・ファミリー』では、それらがある程度は解消できているとも言えます。

その理由の1つが、「子育て(や家事)をちゃんとこなせば、スーパーヒーローに匹敵する功績を残せる」というセリフがあること。育児の苦労を通じて、スーパーヒーローの能力を持たない全ての人(しかも血縁のある家族以外の人でも)に物語が“開かれている”とも言えるのです。

また、本作における悪役は、前作の『Mr.インクレディブル』とは違って(ネタバレになるので明言は避けますが)スーパーヒーローがその命を救おうとするというシーンがあります。悪役であっても、“死”という可能性の全てを奪うようなことを許してはいないのです。

さらに、その悪役は「スーパーヒーローは人を弱くする」「お前らはただただ享受し傍観しているだけだ」といった、スーパーヒーローに期待をしているだけの市井の人を軽蔑する物言いをしていました。しかし、クライマックスでは“ヴォイド”という女性キャラクターが、その悪役の間違った価値観を覆す行動をします。

そのヴォイドは、お母さんヒーローのヘレンに憧れていて、物質を転移させるすごい能力を持っていたものの自信がなさそうであり、悪役の言うところの“傍観者”のような存在にも思えたのですが……そんな彼女であっても、最終的には成長し、クライマックスでは自主的にスーパーヒーローとして、憧れのヘレンのために見事に能力を使うのです。これに感動しないわけがありません。



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まとめ:スーパーヒーローってやっぱり最高だ!


以上のことをまとめれば、今までのブラッド・バードの作品には「才能や素質を持っている人が抑圧されているのはダメ!絶対に生かして夢を叶えるんだ!」という、やや押し付けがましさもなくもないメッセージがあったものの、本作『インクレディブル・ファミリー』ではスーパーヒーローの活躍と家族のあり方を絡めて上手くチューニングができている、良い方向にその作家性が生かされているということです。

また、前述したように本作の悪役は「スーパーヒーローは人を弱くする」「お前らはただただ享受し傍観しているだけだ」などと、まるで映画を観ている観客にも辛辣なメッセージを送っているようでもあったのですが、最終的にはスーパーヒーローの家族の格好良さ、それぞれが最大限に能力を生かす姿を描くことで、「スーパーヒーロー(が活躍する映画)ってやっぱり最高じゃないか!」と、ストレートにわかるようになっています。

同時に、それは“子育て”でも人はスーパーヒーローになれるという全ての人に通るメッセージにも昇華されていました。この価値観を一元化しない、多層的な物語運びはやはり上手い! 長い時間を(それこそ子育ての経験や家族感の変容も)経て、ブラッド・バードの作家性も変化をしていっていると言えるのかもしれませんね。



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おまけ:『タリーと私の秘密の時間』も観てみよう!


『インクレディブル・ファミリー』の他にも、“子育て映画”が現在公開されていることをご存知でしょうか。その映画とは、シャーリーズ・セロンが主演を務めた『タリーと私の秘密の時間』です。



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物語は3人目の子どもが生まれて疲れ切った母親のところに、夜中を担当するベビーシッターの女性が来るというもの。子育てにまつわる様々な困難、普遍的な“夢”の捉え方、父親への関わり方などの多層的な構造を持っており、子供を持つ誰もが身につまされる、リアルで辛辣でありながらも、同時に優しいエールを送っている、卓越したドラマが紡がれていました。

『インクレディブル・ファミリー』と『タリーと私の秘密の時間』は、これから父親になる、または父親になっているすべての人に観て欲しいです。どちらも「お母さんは子育てにものすごく苦労していているんだよ!」ということが、これでもかと伝わるのですから。ぜひ、合わせてご覧になってみてください。

(文:ヒナタカ)

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