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2018-10-26

ジブリ

『もののけ姫』を奥深く読み解く「5つ」のポイント!子供が登場しない理由とは?

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2:アシタカはなぜエボシに笑われるのか?




 Ⓒ 1997 Studio Ghibli・ND 



主人公であるアシタカは“迷いのない”若者です。村を襲おうとするタタリ神に迷うことなく矢を射て、死を免れない運命を悟って村を去り、その後は人間ともののけが争わずに済む道をひたすらに探し続けていました。モロの君に「お前にサンが救えるか」と問われた時のみ、一度は「わからない」と答えるも、すぐに「だが共に生きることはできる」と、やはり“正しい道”について断言をしています。

そのアシタカは「曇りなき眼(まなこ)で物事を見定め、決める」と言い放った時、エボシに大いに笑われていたこともありました。それは、エボシがタタラ場を守るために山のもののけたちを脅かしているという自覚があり、事情が単純ではないことをわかっているからでしょう。彼女にしてみれば、単純な正義心で物事を見定めようとするアシタカなど、滑稽な存在そのものだったのです。(アシタカは、タタラ場に連れ戻した甲六が妻のトキになじられているのを見て「よかった、連れてきてはいけなかったのかと心配した」と“天然”な物言いをしてトキに大笑いされていたこともありましたね)

その争いに否定的だったはずのアシタカは、(襲われる人を助けようとしていたとは言え)序盤に侍たちを矢で惨殺して「鬼だ」と呼ばれ、後に戦地でも同様に人を殺しています。前者は右腕にかけられたタタリ神の呪いが暴走したようでもあり、後者も同様に呪いが刀を持つ右腕に人知を超えた力を与えてしまったようにも見えましたが、それでもアシタカ自身が争いにつながる火種を撒いていないとは言い切れないでしょう。これは、正しく見える彼でも(他の誰かの)憎しみに囚われれば、間違いを犯しかねないという危険性をも示しているのではないでしょうか。

しかしながら、物語は究極的にアシタカの迷いのない行動(特に最後の“シシ神に首を返す”こと)を肯定します。それは最後のジコ坊のセリフでである「いやあ参った参った、バカには勝てん」でもわかるでしょう。ジコ坊は師匠連という組織の命令にしたがってシシ神の首を狙っているだけで、「やんごとなき方の考えはワシにはわからん。わからんほうがいい」と言っていたように“余計なことは考えずに自分の利益だけを追求する”したたかな人物であったようですが、そんな彼でも損得を超えた行動をしたアシタカには“負けた”というのですから。

戦争を真に終わらせることができるのは、いつもアシタカのような人物なのかもしれません。自分の利益など全く眼中になく、憎しみと争いがはびこる世界で、愚直と言っていいほどに“正しい道”を探す……エボシに笑われ、ジコ坊にバカだと言われようとも、アシタカはそれを追い続けた。それを否定できるわけもありません。


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