映画コラム
1992LA暴動に巻き込まれた人々の運命を描く『マイ・サンシャイン』
1992LA暴動に巻き込まれた人々の運命を描く『マイ・サンシャイン』
©2017 CC CINEMA INTERNATIONAL–SCOPE PICTURES–FRANCE 2 CINEMA-AD VITAM-SUFFRAGETTES
今更ながらではありますが、アメリカ映画のすごいところはエンタテインメントの形を借りて、祖国の闇を露にし、世界に訴える力と意思を常に備え持ち続けているところにあると思います。
日頃は華やかに映え渡るアメリカの、その裏に隠された実情を私たちは映画という娯楽を通して伺い知ることができます(これこそが日本映画でなかなか実現できない事象でもあります)……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街348》
『マイ・サンシャイン』もまた今なお根深くアメリカ社会に深刻な影を落とす差別や虐待、それに対する暴動といった事実を描きつつ、観客を啓蒙していく社会派エンタテインメント作品です。
差別と偏見による暴力の連鎖に
翻弄される人々の運命
『マイ・サンシャイン』は1992年に勃発したLA暴動を題材としたものです。
まず1991年、ロサンゼルスの黒人が多く住むサウスセントラルでふたつの大きな事件が起きました。
ひとつは、黒人男性が4人の白人警官たちから暴行を受けたロドニー・キング事件。
もうひとつは、15才の黒人少女が万引き犯と勘違いされて韓国系女店主に射殺されたラターシャ・ハーリンズ射殺事件。
後者の判決は、被告に対して保護観察処分と500ドルの罰金のみで、収監なし。
そして1992年4月、前者の判決は何と全員無罪。
不当な判決に黒人たちの怒りは頂点に達し、ついにLA暴動が勃発するのです。
これに伴い、さまざまな事情で家族と暮らせない子どもたちを育てるミリー(ハル・ベリー)とそのファミリー、そして白人の隣人オビー(ダニエル・クレイグ)のドラマが繰り広げられていきます。
ミリーは母親を逮捕された少年ウィリアム(カーラン・ウォーカー)を新たに引き取り、ファミリーの長男格ジェシー(ラマー・ジョンソン)と次第に距離を縮めていきます。
真面目なジェシーと、素行の粗いウィリアムに、家をなくした少女ニコール(レイチェル・ヒルソン)が絡んでいきます。
果たして彼女はどちらを選ぶのか?
そして暴動が起きたとき、若者たちは?
そしてミリーたち家族の運命は?
©2017 CC CINEMA INTERNATIONAL–SCOPE PICTURES–FRANCE 2 CINEMA-AD VITAM-SUFFRAGETTES
ヒューマニスティックな
社会派エンタテインメント
暴動をめぐる映画といえば、1967年のデトロイト暴動をモチーフとした『デトロイト』(17)が公開されたばかりですが、本作はヘイトをめぐる深刻な社会問題の中に家族や青春群像のモチーフを盛り込みながら、単なる社会派作品と呼ぶよりも、そこに巻き込まれていった人々それぞれの運命をヒューマニスティックに描いたエンタテインメントとしても大いに着目すべきものがあるでしょう。
何よりも目を見張るのは『007/ダイ・アナザー・デイ』(02)でボンドガールを演じたハル・ベリーと、現在ジェームズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグという最強無敵のヒーロー007・シリーズに出演しているキャリアを持つトップスターのふたりが、作品の趣旨に共鳴して出演していることにあります。
しかも、ここでの彼女たちは決してヒーローではなく、一市民にすぎません。つまりは巻き込まれていくだけで、何をどう解決することもできないのです。
ただし、そのギャップこそが劇中の諸問題の深刻さをさらに露にしていくと同時に、見る側はより彼らにシンパシーを抱き、作品世界に入り込みやすくさせる長所足り得てもいます。
一方で3人の若手俳優らによる暴動に伴うことの成り行きは、ここでは明かしませんが、なかなか意外な展開を占めずことだけはお伝えしておきたいところです。
監督は長編デビュー作『裸足の季節』(15)で注目されたデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン。
本作は彼女が2005年のパリ郊外暴動事件で尋問を受け(彼女はパリ在住のトルコ系フランス人で、やはり大なり小なりの差別を受けてきた身のようです)、その翌年にLA暴動について聞かされて、双方の事件がシンクロし、ずっと映画化の企画を温めていたものとのこと。
そしてLAでシナリオ・ハンティングしている中で身寄りのない子供たちを育てているホスト・マザーのミリーと出会い、友情を育みながら本作の脚本を完成していきました。
本作で描かれる事象はすべて現実を基にしているとのことで、そうした一連の悲劇をただ声高なメッセージとして訴えるだけでなく、映画的抒情と両立させているあたりが妙味ではないかと思われます。
日本でも昨今の諸問題などを鑑みると、こういった作品がまったくの他人事とは言い切れない危惧感をもたらしてしまうほど一触即発の状況が徐々に近づいてきている印象も免れません。
今ならまだ間に合うかも。
そういった気持ちで、本作はヘイトと対峙する人々にとって今後の良きテキストにもなりえることでしょう。
(文:増當竜也)
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