日本アカデミー賞、歴代最優秀作品から5本選んで振り返ってみた
2019年3月1日、第42回日本アカデミー賞授賞式が開催されます。
これは日本の映画製作、配給、興行に従事る人々や、実際の制作現場スタッフ、俳優などの“映画人”で主に構成された日本アカデミー賞協会会員の投票により、この1年の間(18年12月16日~19年12月15日)に上映された日本映画の中から数本(数名)の優秀賞を選抜し、その中から1本の最優秀賞を決定するもの。
選考基準としてドキュメンタリーやオムニバス、また興行的に2週間限定公開のものやイベント上映、モーニングorレイトショー公開のみの作品などは除かれますので、映画評論家やマスコミが選ぶ他の映画賞とは一味違ったチョイスがなされるのも大きな特徴です。
今回は第42回の開催を記念して、これまで受賞した最優秀賞の中から数本ピックアップしてみました。
第1回(1977年度)『幸福の黄色いハンカチ』
©1977 松竹株式会社
日本アカデミー賞の第1回授賞式は1978年4月6日に行われ、TV中継もされましたが(当時、私も生で見てました)、さすがに初めてということもあってモニターを通した目でも式の進行のギクシャク感は免れないものがありました(今はかなりスマートになりましたね)。また当初は優秀賞を選抜するのではなく、賞の候補を選んでのノミネート方式でした(第3回まで)。
さて、1977年の日本映画界は従来の2本立てプログラムピクチュアから1本立て大作が促進された年で、中でも『八甲田山』『八つ墓村』『人間の証明』といった超大作が話題を集めた年でしたが、結果として受賞したのは山田洋次監督のヒューマン映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』でした(もっとも、こちらも1本立て公開ではありましたが)。北海道を舞台に、刑務所を出た男が若い男女の車に乗せてもらい、妻のいる夕張へ向かうというロードムービー。
本作は作品賞および監督・脚本・主演男優・助演男優・助演女優の6部門を制覇。最優秀主演男優賞(本作と『八甲田山』の合わせ技)を受賞した高倉健が「胃が痛くなりそうです」と照れ臭そうに、最優秀助演男優賞の武田鉄矢が「大変なことになった!」と興奮しながら壇上でスピーチしていたのが、今も印象に残っています。
山田洋次監督作品としては、この後『息子』(第15回)『学校』(第17回)『たそがれ清兵衛』(第26回)と最優秀作品賞を受賞しています。
第4回(1980年度)『ツィゴイネルワイゼン』
日本アカデミー賞の場合、メジャーな形で公開された作品に票が集まりがちな傾向がありますが、この年
最優秀作品賞を受賞したのは、東京タワーの下にドーム型のシアター“シネマ・プラセット”を設置し、そこで上映された鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』でした。
「死んだ人は生きていて、生きている人は死んでいる」といった惹句で、4人の男女の数奇な行方を耽美に追った大正浪漫ですが、そのクオリティもさながら、1967年に日活を不当な理由で解雇され、1977年『悲愁物語』でようやく映画界にカムバックを果たした鈴木監督へ多くの映画人がエールを贈った結果の受賞と捉えていいかもしれません。
ちなみにこの年は超大作『影武者』を世界に放った黒澤明監督が日本アカデミー賞の候補となることを辞退したことも(当時の彼は日本アカデミー賞を「権威がない」と忌避していました)、逆に日本の映画人を何某か発奮させたというのもあったかもしれません。
(黒澤監督亡き後、その遺稿シナリオを映画化した2000年の『雨あがる』は、第24回に作品・脚本・主演男優・助演女優・音楽・撮影・照明・美術と8部門の最優秀賞が授与されています)
いずれにしてもこの回から日本アカデミー賞は面白くなってきたというのが、第1回からずっと賞の行方を見守ってきたひとりとして大いに実感しているところです。
第12回(1988年度)『敦煌』
映画評論家や映画マスコミが選ぶ映画賞は通好みのものが多く、その分一般受けするメジャー系作品には冷たいといった傾向がうかがえますが、日本アカデミー賞の場合、実質そこで飯を食っている人たちの票が主体となっていることもあって、メジャー作、特に労苦をかさねた超大作への支持が高くなるのも必然でしょう。
中国の敦煌遺跡をモチーフにした井上靖の同名小説を原作に、45億円の巨費を投じて製作された国際スケールの超大作『敦煌』も作品賞をはじめ監督・主演男優・撮影・照明・美術・録音・編集と最優秀賞を受賞。
およそ1年がかりの中国長期ロケ撮影に従事したスタッフへの労苦と、その成果を讃えた結果と捉えてもよろしいかと思います。
ちなみに本作は当初小林正樹監督が長年映画化を夢見ていたものの、芸術性を重視する監督と娯楽性を重視しうる製作首脳陣との間で折り合いがつかず、代わって深作欣二監督が抜擢されましたが、彼はどうも敦煌遺跡よりも、やはり自身の宿願だった『火宅の人』の映画化に気持ちが入っていて、結果として『敦煌』は辞退。その時点で7億円ほど予算がつぎ込まれており、結果として深作と共同で脚本を執筆していた佐藤純彌が代打の代打として監督を務め、芸術性と娯楽性のバランスを保った超大作として完成させたことはもっと評価されていいと思います。
「スタッフに賞がいくことほど嬉しいことはありません」と常日頃語っていた佐藤監督は、今年度(第42回)映画界に対する長年の功績を讃えた会長功労賞を贈賞されましたが、授賞式のほぼ1か月前の2月9日、86歳で永眠されました。
第21回(1997年度)『もののけ姫』
日本アカデミー賞で初めてアニメーション作品が最優秀作品賞を受賞したことでも特筆すべき年でもあります。
宮崎駿監督による大ヒット作、その内容について今更事細かく記す必要もないでしょうし、そのクオリティの高さを讃えるのもやぶさかではないのですが、この受賞によって実写とアニメを同列に並べてよいのかといった議論が日本アカデミー会員の間でも持ち上がることになりました。
これは他の映画賞でもよく取り沙汰されることなのですが、要は「制作形態が異なる実写とアニメを並べて語るのはおかしいのではないか」という意見と、「いや、どちらも同じ“映画”であることに変わりはない」という意見のぶつかりあいです。
特に日本の場合、他国に比べてもアニメーション映画の質は高く、また大ヒットを連打して日本映画界の興行を支えてきたものも多数あるだけに、答えを出すのが難しいところもあります。
そうこうしている間に、続いてやはり宮崎監督の『千と千尋の神隠し』(01)も第25回最優秀作品賞を受賞。やはり日本のアニメのクオリティはめちゃハイレベルなのです。
かくして第30回(2006年度)から最優秀アニメーション映画賞が設置され、実写と分けての授賞がなされることに成りました(ちなみにこの年の受賞は細田守監督『時をかける少女』でした)。
第35回(2011年度)『八日目の蝉』
(C)2011 映画「八日目の蟬」製作委員会
日本アカデミー賞の場合、新進気鋭などの斬新な演出技術が目を見張るような作品よりも、ドラマがしっかりしたオーソドックスな作品に票が集まる傾向があるように思えます。
即ち、作品の土台となる脚本に力が入っているもの。
脚本家出身、成島出監督の『八日目の蝉』もそういった1本でしょう。
愛人男性の赤ん坊を誘拐して我が子として育てようとした女と、やがて生みの親の元に戻され成長した娘との確執を描いた角田光代のヒューマンミステリ小説を巧みに脚色した奥寺佐渡子は最優秀脚本賞を受賞(奥寺さんの受賞スピーチによると、成島監督にはとことんしごかれたとのこと)。
同時に監督・主演女優・助演女優・音楽・撮影・照明・録音と9部門を制覇。
映画の成否を分けるのは脚本であるとは昔からよく言われることではありますが、最近は映像センスにのみ力を入れてドラマをないがしろにしたものも少なくはありません。ただし、確かに「映画は画で見るもの」ではありますが、それゆえに土台となる脚本をかっちりさせておく必要があることを、『八日目の蝉』も含めた日本アカデミー賞受賞作群は教えてくれているような気もします。
[2019年3月1日現在配信中の映画]
さて、私が毎回日本アカデミー賞の授賞式をテレビ地上波で見ながら不満に思うのは、スタッフの授賞風景を映してくれないことです(ここが本場のアカデミー賞に比べてもっとも異なる弱点とも思っています)。
ただし最近は衛星放送の普及で、CS日テレで授賞式のノーカット放送が見られるようになりました。今年も3月にオンエアされますので、受信環境にあるかたはぜひ日本の優秀なスタッフの晴れ姿をご覧になってみてください(現場で泥まみれ誇りまみれになって任務を全うしているみなさん、会場での慣れないタキシード姿でガチガチになっているのはご愛敬です!?)。
(文:増當竜也)
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