『天気の子』、『君の名は。』との共通点と相違点
(C)2019「天気の子」製作委員会
※本記事後半には一部ネタバレを含んでいます。予めご了承ください。
興行収入250億円超のメガヒットを記録したアニメ映画『君の名は。』から3年。新海誠監督の最新作『天気の子』が公開となった。社会現象化した『君の名は。』に続く新海作品だけに期待感が膨らむ一方で、試写会やプレミア上映等が一切行われなかったため待ちに待った一斉公開に駆けつけた人も多いのではないだろうか。
最速上映は逃したものの初日に鑑賞したのだが、実際上映が始まってみるとこれがなかなか、どうしても『君の名は。』と比較しながら鑑賞してしまう。他の方はどうかわからないのだが、やはりそれだけ『君の名は。』が残したものは大きく、ずっと胸の中に“あの物語”が息づいていたということかもしれない。
1:メインキャストに共通点はあるのか?
まずはベールに包まれていた『天気の子』のあらすじから。主人公の高校1年生・帆高(醍醐虎汰朗)は離島にある家を飛び出し、1人東京へと辿り着くも働き場所が見つからず困窮してしまう。彼は航路で偶然出会った男・須賀圭介(小栗旬)を頼り、圭介が取り仕切るプロダクションのスタッフとして採用されることに。プロダクション唯一のスタッフ・夏美(本田翼)とともに、ライターとしての業務や雑務をこなしていく帆高。そんな中で彼は“100%の晴れ女”の陽菜(森七菜)と出会い、彼女の弟・凪を巻き込んで陽菜の能力を活かした“晴れ女業”を始める──という内容だ。
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さて、主人公の帆高という少年だが、離島を飛び出して東京で暮らし始めるあたり『君の名は。』のヒロイン・三葉(上白石萌音)に通じるものがあるのではないだろうか。
三葉は飛騨地方に住む田舎暮らしの女子高生で、東京への憧れを強く抱いていた。とはいえ三葉の場合は田舎暮らしに嫌気が差しつつもあくまで東京は“憧れ”だった。それに比べれば帆高は行動が大胆なようで考えなしに東京へ向かうことから、圭介に「少年」呼ばわりされるのも仕方ないところかもしれない。一方で陽菜のために遮二無二突っ走る性格は、『君の名は。』の主人公・瀧(神木隆之介)が映画後半で見せた奮闘ぶりと重なる部分が多い。
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いっぽうヒロインの陽菜は凪と2人だけの生活で、凪を養うために年齢を偽ってまで働き、晴れ女業で自分の存在意義を自覚していくあたり早熟の感がある。その点は『君の名は。』の前半でどこか大人びた雰囲気を漂わせる瀧と似ているかもしれない。
ただし彼女には晴れ女としての能力を得た反面、能力を使い続けることであまりにも大きな運命を背負うことになる。三葉は隕石衝突により偶発的に命を落とし、その運命を回避するために瀧は時間軸を超越してみせた。では陽菜のために帆高はどのような行動を見せるのか。それが本編後半の物語を一気に加速させることになるのだ。
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『君の名は。』と『天気の子』が重なるという意味では、作品に漂う不穏な気配も似ている。前述のように『君の名は。』では物語の中盤で、三葉が住む糸守町に隕石の破片が落下して多くの住人が犠牲となっていたことが判明する。この出来事が明かされて以降は絶望にも似た不安感が作品を支配した一方で、その不安を打ち消すことであの壮大なクライマックスへとつながり、ラストカットの感動を引き立たせていたことは間違いない。対して『天気の子』では、そもそも雨が降り続ける東京が舞台という時点でそこはかとない不穏な空気が冒頭から滲み出ている。
加えて帆高は“家出”というネガティブな要素を持つ。冒頭から張り詰めていた不穏な気配は、彼が陽菜を救うためとはいえ本物の拳銃を扱ってしまうことでほぼ決定打になったようなものだ。しかしいつ崩れてしまってもおかしくないどこか不安定な世界観は、言うなれば新海ワールドの特色かもしれない。たとえば『秒速5センチメートル』のラストを経験している新海ファンからすれば、どの作品でも“どこか”で“何か”が起きてしまうのではないかと、どこか身構えているのではないだろうか。
とはいえ『君の名は。』との大きな差は、各キャラクターを敢えて深堀りしなかった物語にある。“家出した”というスタート地点以外、肝心の家庭と過程が描かれていない帆高。母を亡くし1人で弟の世話をする陽菜。妻に先立たれた圭介や就活が上手くいかない夏美など、『天気の子』における主要キャラは何かしらを失った“不完全さ”がはっきりしている。かといってその部分が必要以上に掘り下げられることはない。家族がいる三葉や友人に恵まれている瀧に比べれば、今回のメインキャラクターは多くが余白を残した形になっているのだ。その分キャラクターそのもののパーソナルな部分が繊細に描かれており、だからこそ帆高と陽菜や、帆高と圭介といったように点と点の繋がりが色濃くなっているのかもしれない。
『君の名は。』から進化した表現力
ファンタジーでありながら作品にリアリティを与えている新海作品。その大きな要因である“映像美”は、『君の名は。』からさらに磨きがかかっている。本作では雨がひとつの要素になっていて、雨に煙る新宿の街並みから降りしきる雨粒ひと粒に至るまで、きめ細かく表現されたアニメーションには思わずグッと目を惹きつけられる。
雨の新宿といえば『言の葉の庭』の新宿御苑が思い出されるが、今回はさらにディテールにこだわった新宿の風景が描写されているのも特徴だ。『君の名は。』の聖地巡礼ブームが巻き起こったように、本作でも例えば帆高と陽菜が初めて出会う西武新宿駅前のマクドナルドや、陽菜のアパートに向かう田端の線路脇路地など新たな聖地巡礼スポット誕生となるかもしれない。
陽菜のアパートに向かう田端の線路脇路地
Photo by Shuhei Yagishita
また『天気の子』の音楽について、『君の名は。』に引き続き劇中歌および劇伴をRADWIMPSが担当していることも話題だ。本編における音楽の使用法は両作とも通じるものがあるものの、抒情的なメロディが多かった『君の名は。』に比べると『天気の子』では物語の展開に冷静に寄り添った曲調がベースになっている。逆を言えば『君の名は。』では音楽そのものがキャラクターの心情を現し音楽単体でも独立・成立するほどの存在感を放っていたが、今回はメロディというよりも音楽そのものの雰囲気で映像にテーマ性を加味している印象だ。
主題歌のひとつ「愛にできることはまだあるかい」のメインフレーズを使用した劇伴でも、ピアノをメインにして孤独感や不安定さを表現したかと思えば、オーケストラによる演奏で希望に満ちた感情を生み出すことにも成功している。『君の名は。』よりも音楽面での手立てが確実に増えていて、映画音楽に2度目の登板となったRADWIMPSがより進化を見せたと言っても過言ではないと思う。
『君の名は。』と『天気の子』を繋げるリンク?
新海監督といえば『君の名は。』の授業シーンで、『言の葉の庭』の雪野(花澤香菜)を登場させて2作品を世界観的にリンクさせている。
『言の葉の庭』
決して雑な扱いではなく、『言の葉の庭』でのキャラ設定を活かして重要なセリフも担っていたのだ。そんなカードの切り方を持っている新海監督は、驚くべきことに『天気の子』で『君の名は。』から瀧、三葉、三葉の妹の四葉(谷花音)、そして三葉の友人である勅使河原(成田陵)・早耶香(悠木碧)がボイスキャストもそのままに出演を果たしている。
なぜ彼らが敢えて登場することになったのか、これは推測に過ぎないのだが、隕石衝突や天候不順という自然災害が“各映画の出来事”であっても、それは新海監督が描く“地球”、あるいは“日本”という同一の舞台で起きることだという暗示にも受け取れる。いつ何が起きてもおかしくない世界が、マルチバースではなく新海監督の描く同一地平線上で展開されているのではないだろうか。
などとお堅い推測はさておき、これは余談程度だが『天気の子』では圭介のプロダクションが月刊「ムー」の記事執筆を行う場面がある。『君の名は。』をつぶさに観ているファンにはお馴染みのことだが、月刊「ムー」といえば勅使河原の愛読書で、UFOやUMA(未確認生物)に都市伝説、超自然現象まで扱うオカルト誌として人気の雑誌。月刊「ムー」を介して、タイムスリップや隕石衝突を盛り込んだ『君の名は。』と天候操作や祈祷を描く『天気の子』がリンクしているというのも面白い。
(C)2019「天気の子」製作委員会
まとめ
とにかく『天気の子』を観ている上で気になるのは、前述のように観客に与えられた“余白”の部分だ。はっきり言えば本来語られるべき部分の多くが省かれているので、そこにどのような物語が存在するのかは新海監督の発言に注目しながら自身で埋めていくしかない。1度の鑑賞だけでは見えていない部分もあるだろう。それは時間軸を度々入れ替えた『君の名は。』でも同じだったことで、新海監督が描く世界観はそう易々とは正解を見せてくれない。帆高と陽菜を巡る物語だけでなく、結末で迎える“世界の姿”は大きな意味を観客に投げかける。これはもしかすると、「世界の形を決定的に変えてしまった」という言葉の意味を踏まえながら次の新海作品が公開されるまで、帆高と陽菜が導き出した答えとじっくり向き合わなければならないということかもしれない。
(文:葦見川和哉)
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