『天気の子』の深すぎる「10」の盲点

4:須賀はなぜ泣いた?
水浸しになってしまうのに窓を開けた理由とは?



編集プロダクションの社長である須賀は、帆高が警察署から逃げ出したこと、「将来を棒に振ってまで会いたい子がいる」ことを安井刑事から聞かされると──いつの間にか涙を流していました。彼は、なぜ泣いたのでしょうか。

結論から言えば、須賀は「全てを放り投げてでも会いたい人がいる」と、“自分も願っていた”ことに気づかされたのでしょう。

須賀は「死んでしまった妻に会いたい」という気持ちを(寝言では「明日花」と妻の名前を言っていましたが)表には出さなくなっていて、「人柱1人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね」とも言っていて、「人間、歳を取ると、大事なものの順番を入れ替えなくなるんだよ」と自己批評的に分析もしていました。しかし、須賀は帆高と同じ気持ちだったから、本音では大切な人にまた会いたいと思っていたから、自然と涙が出てしまったのではないでしょうか(夏美も帆高と須賀は似ていると言っていました)。

そして、クライマックスでの代々木会館で(初めは帆高に警察に戻ることを促すものの)帆高の「俺はただ、もう一度あの人に──会いたいんだ!」という痛切な言葉に、さらに須賀は気づかされたのではないでしょうか。大切な人に会いたい気持ちは、何にも勝ると──。だから、須賀はあの場所で考えが変わり、高井刑事を押さえつけ、帆高を向かわせたのでしょう。

また、須賀が涙を流してしまう前、地下にある編集プロダクションにある窓の後ろには水槽のように水が溜まっていたのですが、須賀は何を考えるでもなく窓を開けてしまい、案の定部屋には水が流れ込んでしまいます。合理的でない、意味のない行動のようですが……須賀はここで、文字通りに“過去を洗い流したい”からこそ無意識的に窓を開けたのではないでしょうか。

編集プロダクションの事務所の柱には娘の萌花の身長の記録が刻まれていて、事務所の外には萌花の三輪車も置かれていて、冷蔵庫には死んだ妻が書いたメモがまだ貼られていました。須賀が水が入るとわかって窓を開けてしまったのは、そうした過去にまだ縛られている、自分の過去と清算をつけて“大人になるべき”であるという考えが、半ば自暴自棄な形で表れた結果のように思えるのです。

しかし、須賀はその後すぐに娘の萌花から“陽菜が晴れを祈ってくれた夢”を見たことを知らされ、帆高が大切な人に会うために警察署から逃げ出したことも知ります。ここで提示されるのは過去ではなく、現在と未来のこと。少年の“これから”の本当の願いのために涙を流し、そして実際に行動を起こす須賀の姿にも、深い感動を覚えるのです。

ちなみに、新海誠監督はスタッフの意見を聞きながら本作のプロットを何度も書き直しており、須賀はその過程で最も変わっていったキャラクターだったのだそうです。最後の最後で変更が加えられる直前では、須賀には帆高と徹底的に対立する、その存在を乗り越えさせるという、“父親殺し”に近い役割を担わせていたのだとか。しかし、須賀は常識人で、観客の代弁者であり、そして帆高と真に対立するのは社会の常識や最大多数の幸福のほうなのではないか、などと新海誠監督は思い直していったため、須賀は“最後には味方になってくれる存在”へと変わっていったのだとか。この変更も大正解であったと、筆者は肯定したいです。



なお、その須賀の姪であり、自由奔放のようで就職活動に苦戦していたりもしていた夏美は、小説版では彼女がどういう考え方をしていたか、実は類稀な記憶力を持っていたことなどが示されています。映画で描ききれなかった登場人物の内面や性格は、ここで記した以外にもたくさんあるので、ぜひ読んでみることをオススメします。

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(C)2019「天気の子」製作委員会

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