映画コラム

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2021年09月16日

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』考察:25年の歳月を経て蘇る傑作SFアニメの先進性、テーマとは

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』考察:25年の歳月を経て蘇る傑作SFアニメの先進性、テーマとは

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』
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およそ25年の歳月を経て、伝説のサイバーパンク・アニメーションがハイクオリティの映像で蘇る…。

対サイバーテロのために組織された超法規的特殊部隊・公安9課(通称:攻殻機動隊)と、国際的ハッカー“人形使い”との戦いを描いた『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)。ウォシャウスキー姉妹の『マトリックス』(1999年)に影響を与えるなど、押井守の世界的な評価を高めた一作が、9月17日から4Kリマスター版で全国公開される。IMAXならではの高細密な音響、鮮やかな色彩表現がスクリーンで体感できる絶好の機会だ。

4Kリマスター版の公開にあたり、押井監督は

「幸いなことに、この作品は技術の進歩のたびに、新しい形で生まれ変わってきた。今この時代に劇場で見られることを嬉しく思います。お楽しみください」

とコメント。いやー楽しみっすね。筆者も公開初日に駆けつける所存です。…という訳で、今回は改めてこの作品の先進性、テーマについて考察していこう。

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』に影響を与えた「人間機械論」

【予告編】


思えば『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』が公開された1995年は、あらゆる意味で印象的な年だった。1月に阪神・淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が発生。政治に目を向けてみれば、「自社さ連立政権内閣」が発足して、社会党の村山富市が総理大臣に就任。11月にはWindows95が発売され、インターネット元年とも呼ばれた。世紀末に向けて、時代は大きな転換点を迎えていたのである。

ネット元年に「ネット」だの「ハッキング」だの「バーチャル」といったキーワードを散りばめた映画って、すっごい先進的だよね?と思われる方も多いかもしれない。だが実用化はされていなかったものの、概念自体は士郎正宗のオリジナル・コミックが発売された1980年代から存在していた。物語の根幹となる「ゴースト」に至っては、プラトンの時代にまで遡る。

ギリシャの哲学者プラトン先生は、「人間が死ぬということは、身体から魂が分離することなのじゃ」とお考えになった。ソレ即ち、「物質的なカラダと精神的なココロは、完全に独立している」ということ。長らく身体論のスタンダードとされた、「実体二元論」という考え方である。

この理論は、非常に説得力があった。人間のカラダは物理的に分析可能だが、ココロは分析不可能。分析可能なものと分析不可能なものが共存しているってことは、それぞれ独立していて互いに作用しているはず!!というロジックだったからである。

だが、フランスの哲学者デカルト先輩は、「確かに人間のココロを分析することは非常に困難だけど、我々よりも下等な動物の場合だったら、ある程度分析可能なんじゃね?」と考えた。彼らはパターンによって行動を変容させているだけ。サルやイヌやネコは高度な精神を欠いた機械に過ぎない、とする「動物機械論」である。

ところが、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー氏が「いや、人間もまた機械なり!」という「人間機械論」を提唱した。人間の脳もまた、複雑ではあるけれども神経細胞によってパターン処理しているに過ぎない、というのである。

そもそも『GHOST IN THE SHELL』というタイトルは、小説家・哲学者アーサー・ケストラー氏が「人間機械論」を展開した『The Ghost in the Machine(機械の中の幽霊)』(1967年)という評論集から採ったもの。本作は、「人間機械論」を頭に入れて鑑賞すると数段分かりやすくなります。

“自分を自分たらしめているもの”とは?



『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』は、観る者にこう問いかける…自分を自分たらしめているものは一体何なのか、と。「いや、そんなこと突然聞かれても困るわ!」ってくらいに哲学的で深淵な問題だが、「ネットの海から生まれた」と豪語する人形使いが、その問いに対してかなりハッキリと回答しているシーンがあるので、抜粋してみよう。

「それを言うなら、あなたたちのDNAもまた自己保存のためのプログラムにすぎない。生命とは、情報の流れの中で生まれた結節点のようなものだ。主としての生命は、遺伝子と言う記憶システムを用いて、人はただ記憶によって個人たりうる。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きる。​​コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にしたとき、あなた達はもっとその意味を真剣に考えるべきだった」

ははあ、なるほど。ここでポイントとなるのが、「記憶の外部化」というキーワード。ふだん我々も、スマホを駆使して日記や写真をSNSにアップしているが、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』で描かれるのは、「電脳が外部記憶装置に接続することで、あらゆる情報が瞬時に共有できる世界」だ。

こうなると、もはや自分自身が相対化されてしまって、自分が自分である明確な理由が見出せなくなる。SF映画の傑作『ブレードランナー』(1982年)でも、主人公が「自分の記憶は本当に自分のものなのか?」と己のアイデンティティーに疑念を抱くシーンが登場するが、同趣の問いがこの作品では提示されているのだ。

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』に関して、押井監督は「哲学的には大幅に後退している」と明言している。前述した通り、アイデンティティーを「記憶」に紐付けたアイデアは『ブレードランナー』によって実践されているし、そもそも「人間機械論」自体が、300年前に提唱された考え方なのだ、

この映画が真に革新的だったのは、手垢のついたテーマ性ではない。最新の映像技術を用いて、説得力のある作品に仕上げたことだ。

レイアウト・システムによる、緻密な映像設計



コミックナタリーのインタビューで、押井監督は「アニメの作り手というのは大きく2つのタイプに分けることができる」と語っている。1つは、日々の暮らしのディテールを丁寧に抽出して、優れたアニメ表現に還元するタイプ。その代表格が宮崎駿監督で、これは「優れたアニメーターだけに許された特権的な表現」なのだという。

もう1つが、その時代の最新テクノロジーを用いて、緻密な映像を作るタイプ。明らかに押井監督はコレに当てはまる。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』製作当時は、まだCGが浸透していなかった時代。昔ながらのセルアニメの手法ではあるものの、トップクラスのアニメーターを集結させて、圧倒的なリアリティと圧倒的な情報量で観る者を虜にした。

『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)で確立されたレイアウト・システムも、リアリティ向上に貢献する。そもそもレイアウトとは、絵コンテをもとにアニメーターが作画する工程を指していた。だが、押井監督はそれだけでは満足しない。

彼の映画では広角レンズで捉えた映像が頻出するが、それにはキャラクターと背景を同一のパースペクティブで描くことが求められる。そこで、別の専門スタッフが「背景に対してキャラクターをどのように配置させるか」という設計図を作るのだ。一手間増えることで、スタッフには大きな負担が強いられるが、これこそが押井監督が思い描く絵を正確に表現するための制作システムだった。

生身の肉体ではなく、義体で生きるということはどのようなものなのか。自分の記憶すら信じられなくなることとは、どのようなことなのか。押井監督は、細部にまでコントロールされた映像設計によって、それをどこまでも具象化させようとしているのだ。

イデオロギーの終焉、テクノロジーの到来



ダイヤモンド・オンラインのインタビューによれば、社会主義をはじめとするイデオロギーの実験が終焉を迎え、21世紀を間近に控えたとき「次は何が人間と社会を革新するのだろう」と押井監督は考えたのだという。そして当時の彼が出した答えが、テクノロジーだった。

「それはテクノロジーしかないと当時の私は思ったわけ。テクノロジーが肉体の次元でダイレクトに関わることで、人間を変えるんじゃないかと」

押井監督はレイアウト・システムを用いて緻密な映像を作りあげ、その物語に少しでもリアリティを付与しようと腐心する。そう考えると、本作が今回4Kリマスター版としてリバイバル公開されることは、非常に意味深い。ハードの進化によって、映画のリアリティがさらに増すからだ。

実はこの映画、作業時間が実質10カ月くらいしかなかったという(短か!!!)。4Kになることで、押井監督は作画の荒さが目立ってしまうことを懸念していたが、それは杞憂に終わる。むしろ、職人によるきめ細かい仕事が際立ったというのだ。

およそ25年前、圧倒的なリアリティと圧倒的な情報量で観る者を虜にした本作は、さらなる進化を経てスクリーンに蘇る。

(文:竹島ルイ)


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1995 士郎正宗/講談社・バンダイビジュアル・MANGA ENTERTAINMENT

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