『天気の子』の深すぎる「10」の盲点


9:帆高が卒業式で歌うのをやめた理由とは?



3年(2年半)後の高校の卒業式、帆高は他の生徒たちと一緒に「仰げば尊し」を歌い始めるのですが……「おもえばいと疾しこの年月」のフレーズで歌うのをやめてしまっています。ここでは「過ぎ去った日々はとても早く感じた」ということが歌われているのですが……おそらく帆高にとってはこの3年はとても長い日々だった、その歌詞に迎合できないと思ったから、歌えなくなったのでしょう。

帆高が3年間の日々を長く感じた理由は、陽菜を救う代わりに天気(世界)が狂ったままになってしまったことに、途方もない罪悪感を覚えていたことも理由なのかもしれません。そんな帆高にとって、アパートに移り住んだ老婦人の冨美が「東京のあの辺はもともと海だったのよ。だから結局元に戻っただけだわ、なんて思ったりもするのね」と語ったこと、須賀に「お前たちが原因でこうなった?自分たちが世界のかたちを変えちまったぁ?んなわけねえだろ、バーカ。自惚れるのも大概にしろよ」と言われたことは、ある意味では救いでもあったでしょう。

もう1つ、帆高が3年間の日々を長く感じていたのは、“陽菜にずっと会えなかったから”なのかもしれません(誕生日プレゼントの指輪もずっと持っていたようです)。そしてラストシーンでは──帆高は前述した冨美や須賀の言葉を覆すように、「違う!世界は最初から狂っていたわけじゃない、僕たちが変えたんだ!」「あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを、大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を!」と自身たちの行動を再認識します。そして、帆高が「僕たちは大丈夫だ」と希望を持てたのは、後述する強い願いを体現した陽菜に、自分も会いたいと願っていた(そして自分の決断によりその命を救うことができた)陽菜に、3年の時を経てやっと、やっと再会できたことも理由なのでしょう。

その時の陽菜は、高校の制服姿でした。しかも、前述したように帆高は空の上では「陽菜!」と呼び捨てにしていたのですが、ここではまた呼び名が「陽菜さん」に戻っています。それは陽菜が“今度こそ本当に18歳になる”年齢であり、“元の関係に戻ったから”と思ったからこそ、帆高はやはり3年前と同じように「陽菜さん」と呼んだのではないでしょうか。この2人なら、(天気が狂っても)元どおりになった2人なら、確かに大丈夫なんだろうと──希望が持てる、素晴らしい幕切れでした。

10:ラストシーンは解釈が分かれる?

本作のラストシーンで──陽菜はあの場所で、何を願って(祈って)いたのでしょうか。これには、大きく分けて2通りの解釈があるようです。

(1)陽菜は(巫女の力を失っても)晴れになりますように、世界がより良くありますようにと(3年も)願っていた

(2)陽菜は帆高に会いたいと願っていた(そして願いが叶って帆高と会えた)

陽菜が“曇り空に向かって願っていた”ことを考えれば(1)であるように思えますが……空の上で帆高に「自分のために願って、陽菜」と言われたこと、巫女としての役割から解放されたことからは(2)であるかもしれない──とも思えるのです。

事実、小説版での陽菜は、空の上に帆高がやってきたことを“自分の(会いたいという)願いと帆高の(会いたいという)願いが重なった”と考えていました。これを踏まえると、ラストシーンでは(空の上の時と同じように)もう一度、帆高と陽菜の2人の“会いたい”という願いが叶えられたようにも思えるのです。

これ以外にも、『天気の子』で気づいていない盲点はまだまだあるはずです。すでに観たという方も、ぜひリピートしてそれぞれの解釈による、それぞれの盲点を見つけて見てください!

(文:ヒナタカ)

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(C)2019「天気の子」製作委員会

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