馬鹿にされがちな「夢を見ること」を1つの映画から考える
夢を語った時、周りから反対されて夢を諦めた経験はありませんか。
もしかすると、語ることすらできなかったかもしれません。
「無駄なことをするな!」
「なにを遊んでいるんだ!」
夢を諦める瞬間が、人にはあります。
今回は『風をつかまえた少年』を観て感じた、私なりの考えをお伝えしていきます。
勇気を持つ素晴らしさ。
子どもの頃に描く夢。
人生は想像以上に泥臭い。
挫折しそうになった時、勇気が出るように。
あなたの2021年が、有意義な1年になりますように。
『風をつかまえた少年』あらすじ
『風をつかまえた少年』は、アフリカの最貧国の1つマラウイでの実話を元にした作品です。
2001年。貧しい家庭で生まれた少年「ウィリアム」は、中学校に通っていましたが学費が払えず退学に。どうしても勉強を諦めきれないウィリアムは、密かに図書館へ通い続けます。
しかし勉強どころか、貧しい国での生活は困難の連続。洪水、飢饉、食事は1日1食。誰も助けてくれず、僅かな食料すら盗まれます。
「お前たちが食べろ」
父は自分の分のご飯を家族に分け与えます。
「あなたたちが飢えたら、私の腕を食べさせる」
これは母の言葉です。そして愛犬は餓死してしまいます。
雨が降らない地域では、穀物は満足に育ちません。ウィリアムは食べることが困難な現状に、危機感を抱いていました。そこで彼は学校での勉強を活かし風車を作り、水を供給する手段を考えます。
「無駄だからやめろ!」
父に理解されず壊される風車。
「ぼくの計画は夢じゃない」
まっすぐな眼差しで想いを抱く少年。諦めない気持ちが生んだひたむきな物語です。
心が震える瞬間
「こんなオモチャ、捨ててしまえ!」ウィリアムは計画を父に話しても、相手にしてもらえません。それもそのはず、父は家族を生かすことに必死で余裕がなかったのです。ウィリアムはそれを痛いほど理解しています。その上で自分の計画を諦めませんでした。しかし、斬新な発想をするウィリアムの意見に耳を傾ける人は少なかったのです。
ウィリアムのような新しい挑戦を、時に人は嫌います。無意識に新しいことを恐れるのです。現状から変化することに怯えるのです。映画の中のマラウイでは雨乞いを信じており、風車には興味を示しません。そしてウィリアムの可能性も信じてもらえません。
人の個性を尊重する考え方はとても素敵だと私は思います。なぜなら、新しいことに挑戦している人は輝いているから。
可能性が溢れる未来は潰したくない。好きなことを見つけたら、どんなに険しい道であっても歩いていきたいものです。
「どうせ失敗するから……」
生きていると失敗することを恐れてしまうこともあります。しかし、簡単に諦めたくもないもの。
成功に縛られなくてもいい。成功の反対は失敗ではなく、「挑戦しないこと」ではないでしょうか。
失敗も成功の一部。夢を追いかける眼差しは輝いているはずです。
周りの環境や、受け入れられない状況。時として、批判や反対の声と闘わなければいけない場面があるかもしれません。この生き方が息苦しく感じる瞬間もあります。
しかし、誰一人として、同じ人間はいません。人間はもともとみんな違います。生き方が違えば、考え方が違うのは当然なはず。
だから無理して世間の普通に合わせる必要はないのです。そもそも普通とは何でしょう。未だに世界はコロナ禍で、当たり前のことが当たり前ではなくなっています。「新しい生活様式」が広がり、マスクが手放せない生活。今までの常識が覆ってきています。こうなると普通の概念すら疑いたくなります。
自分の人生は自分しか生きることができません。ウィリアムも、困難な状況でもひたむきな眼差しで夢を追いました。せっかくならば、挑戦にこだわってみたいものです。
「みんながこうだから、こうあるべき」
この考えは個性を失うきっかけになり得ます。
個性を失う「虚しさの感覚」に気づけると、夢を見ることが美しいと感じます。
仮に夢が叶わなくても、絶望する必要はありません。必死に生きた時間は、今後の未来に活きてきます。この先のことは、時間が経てば教えてくれます。
何かを変える意味や、考える意義を見出せば、人生が有意義な時間になります。
さいごに
つらつらと語ってきましたが、夢を描いて抱いている人はとても輝いていると思います。そういう方が周りにいたら背中を押したいものです。希望に満ち溢れて目が輝いている人の魂を奪うことはできません。
この映画はそれを教えてくれます。
また、それを紹介した私の言葉が、誰かの支えになれば幸せなことです。
夢を持てずに戸惑っている方へ。
自分の弱みを知っているけど、自分の強みに気づいていない、そんな方も多くいらっしゃると思います。しかし、急に自分を変える必要はありません。「この行動の意味は」「この人はなぜこうしているのか」尊敬できる人の行動を見ながら、少しずつ、少しずつ考える練習をすると良いです。
意識すると、きっと見えなかったものが見えてきます。
いずれ「自分だったらこうする」「こうしてみたい」という感情が芽生えてきます。その小さな芽が確かな夢の息吹となります。
夢を見ることは、木漏れ日のように儚くて尊い希望です。生きることが永遠じゃないのなら、起きている時間も夢を見てみませんか。
夕焼け空に導かれる。
数字や計算では、未来の可能性はわからない。
夢が自分を戒めたとしても、やりたいことがあるだけで幸せなはず。
確かに映画みたいなハッピーエンドにならないかも。
それでも自分の本当の声を見つけたい。
孤独よりも夢を描く。
(文:ゆくん)
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