『どん底作家の人生に幸あれ!』レビュー:英国文豪のユニークな人生讃歌!
増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」
チャールズ・デイケンズといえばイギリスの偉大なる文豪としてあまりにも著名な存在で、その映画化も数多くなされています。
彼が自伝的小説として1850年に発表した『デイヴィッド・コパーフィールド』もそのひとつで、これまで映画化多数。
しかし、『スターリンの葬送狂騒曲』で知られる異才アーマンド・イアヌッチ監督がこの小説を映画化したら?
その答えが本作『どん底作家の人生に幸あれ!』なのでした!
『デイヴィッド・コパーフィールド』が
21世紀の今、蘇る!
『どん底作家の人生に幸あれ!』は、ヴィクトリア朝時代のイギリスを舞台に始まります。
優しい母と世話好きの家政婦ベコティ(デイジー・メイ・クーパー)に育てられたデイヴィッドは、幼い頃から周囲の変人たちのことを文章に書き留めては空想の世界で遊ぶ子どもでした。
しかし、母の再婚によって、それまでの生活は一変。
新しい父は威圧的なDV男で、彼が連れてきた娘=義姉も冷たい人間でした。
やがて義父に反抗したデイヴィッドは家から追い出され、ロンドンの缶詰工場で働かされます……。
月日が流れ、極貧生活ながらもたくましい青年に成長したデイヴィッド(デヴ・パテル)は、最愛の母の訃報を受け取り、悲しみに打ちひしがれながらも自分の人生を取り戻すべく工場を脱出。
命からがら唯一の肉親である伯母ベッツィ(ティルダ・スウィントン)の家に辿り着きます。
気性の激しいベッツィではありましたが、心根は優しく、また彼女の同居人ミスター・ディック(ヒュー・ローリー)も風変りながら好ましい人間で、デイヴィッドは彼女ら緒家族同然の関係になっていきます。
そしてベッツィの計らいでデイヴィッドはカンタベリーの名門校に入学し、そこで持ち前の“作り話”を披露して一躍学内の人気者になっていくのですが、それとともに自分の出自を隠すようになっていきます。
またそんな彼に、なぜか学校の世話係ユライア(ベン・ウィショー)が爬虫類のようにヌメッとつきまとうようになっていき……。
などなど、この後も卒業して社会人になってからのデイヴィッドの恋物語や就職エピソードなど、数奇な運命が次々と綴られていき、それをアーマンド・イヌアッチ監督は独自のユーモアでシニカルながらも愉快に描出していくのでした!
チャールズ・ディケンズの
ユーモアを巧みに抽出
もともとディケンズのファンであったというアーマンド・イヌアッチ監督は、一見立身出世物語風の原作の中にコミカルな要素を見出し、そこを強調していくことで21世紀の現代にも通用する映画が作れると睨んで本作の製作に取り掛かりました。
これまで原作の笑いの要素はストーリーと直接関係なかったりもするので、映画化の際は省かれることしばしでしたが、イヌアッチ監督はむしろその部分を残すよう腐心しています。
登場人物の数も多ければ、その個性もさまざまな者ばかりなので、キャスティングにも工夫が凝らされ、またここでユニークなのは通常の白人だけでなくアフリカ系や東洋系など多彩な人種をごくごく普通にキャラ配置させていること。
このことによって、実際のヴィクトリア朝の時代とは一味違った本作独自の世界観が確立されているとともに、21世紀の今の映画足り得てもいるのです。
一見ほのぼのとしつつも、実は困難だらけのジェットコースター的な主人公の人生。
味方もいれば敵もいて、シリアスかと思うと、その辛辣さから新たなユーモアが醸し出されているという、イヌアッチ監督ならではの名演出!
ビクトリア朝を再現した美術など、映像の風格や深みも素晴らしく、これもまた映画ならではの格調高さを保持させています。
正直、見る前は『デイヴィッド・コパーフィールド』を今さら映画化してもなあ……みたいな気分がないわけではなかったのですが、いざ見始めて仰天!
さすがは『スターリンの葬送狂騒曲』の監督としかいいようのない、まるで魔法のような奇想天外さとシニカルな笑いが巧みにミックスされた「それこそが、実は人生というものなのさ」といったチャールズ・ディケンズの声が画面の奥から聞こえてきそうなくらいの快作なのでした!
(文:増當竜也)
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