映画コラム
『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』レビュー:隣り町と戦争し続ける無個性な人々から見える秀逸な風刺の寓話
『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』レビュー:隣り町と戦争し続ける無個性な人々から見える秀逸な風刺の寓話
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
1本の川を挟んで、朝9時から夕方5時まで規則正しく戦争をしているふたつの町。その片方の町の人々の日常を淡々と描いた、何とも形容しがたい奇妙な寓話の映画です。
登場人物の誰一人として感情を露にすることなく、ただただ淡々と判を押したように無機質に動き、抑揚もなくしゃべり続けるさまはポーカーフェイスの域すら優に超えて、まるで町の人々すべてがどこぞの侵略者に魂を奪われてしまっているかのようでもあり、もはや生真面目ともほのぼのともつかない不気味なもの。
しかし、その不気味な無個性さが不可思議な社会風刺のユーモアを生み、本作独自のテイストを醸し出していくのです。
大筋としては、毎朝背広を着て出勤(?)する真面目な兵隊・露木(前原滉)が、人事異動で音楽隊へ配属されることになったものの、一体何をやればいいのか、そもそもその音楽隊はどこにあるのか? から始めなくてはいけないありさま。
しかし、トランペットの練習を始めた彼は、川の向こう側から音楽が聞こえてくるのに気づきます。
そう、隣りの町にも人が住み、そして人としての営みがあることを、音楽が教えてくれているのです。
しかし……。
さすがに人々が無機質な言動や同じ台詞を反復しまくるさまに終始していくのをずっと見ていると、イライラしてくる瞬間があるのも偽りのない事実ではありますが、そのイライラもまた作る側にとっては願ったりではあるのでしょう。
そしてこんな映画にも、起承転結としての結末が訪れます。もちろんそれを記すのはネタバレになるので避けるとしても、このラストを見るために、無機質もイライラもすべてひっくるめてのそれまでの描写の連なりがあったことにも気づかされることでしょう。
既に海外の映画祭で受賞を重ねてきた池田暁監督の初の劇場公開作。
なかなかにすごい才人が登場してきたものと、見ている間は呆気にとられつつ、鑑賞後はうむうむとしばらく唸り続けてしまう、そんな『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』は第21回東京フィルメックスで日本人監督作品として初の審査員特別賞を受賞しています。
(文:増當竜也)
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(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト(VIPO、カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド)