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弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.04|『2001年宇宙の旅』|「人間のミスしかありえません」

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「今まで観た映画の中でベスト10を挙げてください」といわれることがありますが、よかった映画を10本だけ選ぶというのはなかなか難しいのです。

でも、「ベスト1は?」と聞かれれば、僕は迷わずに『2001年宇宙の旅』と答えます。スタンリー・キューブリックの作品は大好きで、そのどれもがベスト10に入るくらいなのですが、その中でもこの作品は特に素晴らしいのです。

まず、映画のテーマが非常に壮大です。人類を創った、あるいは宇宙を創った創造主というところにまでテーマが及ぶというものすごいスケールの大きな作品で、最後は人類に変わる「新人類」が登場するというところまでを描いています。

ラストに登場する胎児のようなもの、あれが新人類ですね。象徴的に、精子のような格好をしている宇宙船ディスカバリー号が、女性の体内を思わせる光の中に入っていく。そして、受胎した瞬間に血がバーッと出るイメージの映像。そして、よく人間が描く「宇宙人の姿はかくあるであろう」という感じの新人類が、地球をじーっと眺めている......。

この壮大なテーマにおいて、このスケールを超える映画はいまだかつてありません。

映画というものは当然作り物ですが、そこにはリアリズムが必要です。あまりにもリアリズムがないと、観客がしらけてしまうのです。だから僕はリアリズムに徹した黒澤明のような監督を好むのですが、キューブリックという人もリアリズムを実に大切にしている監督ですね。『2001年宇宙の旅』では、宇宙空間の描き方がすごく巧い。

宇宙は真空状態なので、音は絶対に伝わらないのです。『スター・ウォーズ』(1977年)のように「キューン、バーン、ドカーン」なんて音はしようがなくて、どんな爆発が起こったとしてもシーンとしているのです。『宇宙戦艦ヤマト』の“波動砲”なんて有り得ない。空気がないのだから、波動が伝わるわけがないのですね。

その点もキューブリックはキッチリと描いています。宇宙飛行士が宇宙船の外にポーンと出た瞬間、まったくの無音状態になる。そして宇宙服の中からの自分の心臓の音だけが 「ドクン、ドクン」と響く。また、宇宙空間にはなんの抵抗もないので、ケーブルを切られて弾かれてしまった宇宙飛行士が、ずーっと向こうまで果てしなく行ってしまう......。そのどれもが、「宇宙ではこうなんだろうなあ」というリアリズムを感じさせてくれました。

ただ、何度も繰り返し観たもので、一つだけ粗を発見してしまいました。はじめのほうで登場するステーション行きの宇宙船の中。船内も無重力になっているもので、眠ってしまった人の手から、ボールペンがフワ~ッと浮いたりしている。その中で、飲みものを飲んでいる人がいるのですが、ストローでチューッと吸ったものが、口を離したら下に落ちてしまっているのです。「重力あるやないか!」みたいな、ね。

コンピュータが意思を持って反乱するというのも、映画としては新しかったですね。「コンピュータと人間の戦い」というテーマは、手塚先生の『火の鳥』でマザーコンピュータに人間が支配されるという話もあって、当時のSF作家が考える一つのパターンだったのでしょう。ウィル・スミス主演の『アイ,ロボット』(2004年)もそんなテーマを扱っていました。ですが、それをCGのなかった時代に圧倒的なリアリティを持って映像化させたことがこの映画のすごさです。

『2001年宇宙の旅』の主役ともいえるコンピュータの「HAL」という名称は、世界的なコンピュータ企業「IBM」の、アルファベット並びの一つ手前の文字をとってつけられたもの。この辺の遊び心がいいですね。

ディスカバリーに搭載されたHAL9000は、会話も自己判断もできるスーパーコンピュータです。HALは自分の能力に絶対的な自信を持っている。そこで、人間との間にこんな会話が生まれます。

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ヒューストンから「HALがミスをした可能性がある」との報告が入る

交信を終えて 

HAL:本気で心配してませんよね? 

博士:してないさ 

HAL:本当に? 

博士:しかし質問がある。

      双生の9000コンピューターがなぜ違う答えを出した? 

HAL:原因は明らかです人間のミスしかありえません

      過去の例が示すようにミスを犯すのは人間です 

フランク:9000型コンピュータがミスを犯した事故はないか? 

HAL:一度もありません 9000型は完全無欠です

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人は、どうしても機械を過信してしまいます。人間の言ったことは信じられなくても、相手がコンピュータだとすぐに信じてしまう。ですが、そのコンピュータを作ったのは、他ならぬ人間。コンピュータだって人間同様、間違いを犯すのは明白なのですが、人はそれを忘れてしまい、盲目的に機械を信じてしまうのですね。

もっと身近な例をあげれば、テレビのニュースがあります。原稿を書いているのは人間なのに、テレビという機械を一度通ってしまうと、それをすべて信じてしまう。でも実際、隣のチャンネルのニュースを見てみると、同じ事件でもまったく違う捉え方をしている場合もある。これは、新聞、雑誌などの活字媒体でも同じことです。

僕はできるだけ、多くのチャンネル、多くの新聞、多くのメディアから情報を得るようにしています。そうしないと、得た情報が偏ったものになってしまうからです。

そしてもう一つ、人は言い切られることに弱いのですね。取り上げた会話中のHALのように「ミスを犯すのは人間です。9000型は完全無欠です」なんて言い切られてしまうと、「そうかもなあ」なんて納得してしまうのです。

この会話から教訓を得るとすると、人を説得したいのであれば、機械を通した資料をできるだけたくさん用意して、自分の信念を言い切る。反対の受け手側としては、機械を妄信しない、一部からだけの見方には偏らない、言い切られても安易に信用しないということになるのでしょう。

『2001年宇宙の旅』の冒頭は、人類の曙から始まります(このシーンはハワイのマウイ島で撮影したのですが、僕も現地に行きました。ハレヤカラという休火山の頂上の噴火口付近は、異空間のような情景が広がっていました)。

人類の祖先たちが勢力争いをしている。あるとき、知恵がついた部族が動物の骨を持って相手をポーンと殴る。それは、類人猿が初めて武器を持った瞬間なのです。その武器はやがて、刀になり、鉄砲になり、原爆になり、という科学の粋を集めたものへと発展を遂げていく。

映画ではその間を全部はしょって、闘争に勝利した類人猿のボスが「ウォー」と勝ちどきをあげながら手に持った骨を空高く投げ上げる。その骨がキューンとズームアップして、いきなりパッと科学の粋の象徴である宇宙ステーションの映像に変わる。

この構成の巧さは圧巻で、キューブリックの美的センスと表現力に改めて感心しました。『シャイニング』同様、この作品もアーサー・C. クラークの原作を遥かに凌いでいると思います。



(類人猿たちは、謎の石碑「モノリス」を発見する。冒頭の「人類の夜明け」は約25分間、まったく台詞が用いられていない。)

また、キューブリックという人は音楽のセンスが素晴らしい。最初はリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』でおごそかに始まって、宇宙ステーションのシーンになった瞬間に今度はヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』が流れる。エンドタイトルにも流れますが、この選曲にもしびれました。

キューブリックは、クラシック音楽の使い方が実に巧く、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)では、ショスタコビッチの『ジャズ組曲』の中の『ワルツ2』を冒頭で使っていましたね。

この映画のハイライトは、衝撃的で哲学的ともいえる圧倒的なラストシーンです。「ディスカバリー号は、一体、どこに行くんだ?」「どこに連れて行かれるんだ?」「この光の洪水はなんだ?」......。

あれはやはり、ヘルメットに光がバーッと写りこみながらボウマン船長(ケア・デュリア)がスターゲイトをくぐり抜け、スター・チャイルドとして転生するという、新人類の誕生を表現しているのだと思います。

公開当時はさほど話題にはならなくて、やや難解だと言われていました。ちょうど同年に『猿の惑星』(1968年)をやっていて、「『2001年』は面白くないから、『猿の惑星』を観たほうがいいよ」と言う人が多かったのです。かくいう僕も、リアルタイムでは『猿の惑星』を観に行ってしまいました。

『猿の惑星』もわかりやすくて面白かったのですが、しばらく時間が経って『2001年宇宙の旅』を観たときは、「ああ、しまった、これだ!」という感じがしましたね。

僕は自分でも、読み切りでSFものを描いています。デビュー当時には『THE SPACE』というスペース・ファンタジーを描きましたし、『ハロー張りネズミ』にも宇宙生命体を登場させたことがあります。



(「ハロー張りネズミ」に登場した宇宙生命体。この作品では、宇宙人は一つのエネルギー体であり姿がなく、上空の光そのものが宇宙生命体である。)

そういう作品にも、やはりリアリズムは必要ですから、SFの本を読みあさったり、アインシュタインの相対性理論を学んだりして、SFオタクしか知らないような知識を懸命に勉強したものです。

しかし、僕が考えたような話はとっくの昔からいろいろなSFにあったらしく、「あの話はあれのパクリだ」とか、「あれとそっくり」とかと文句を言われてしまいました。実際、そんな作品は一度も読んだことはなかったのですが、「あれを読んで作ったのだ」と、読者から誤解されてしまったのです。多少ショックを受けましたが、「有名な作品に似ているのであれば、俺も結構大したもんだ」と、プラス思考に思い直しましたね。

『2001年宇宙の旅』は、そういったリアル感と哲学的な要素も取り入れながら、非常にスリリングな作品に仕上がっている。宇宙戦争とか不気味な宇宙人といった恐怖ではなく、心理的な恐怖を描いたサスペンス作品でもある。そこがエンターテイメントとしても素晴らしいのです。

この映画には難解な部分もありますが、何回も観ているうちに意味がわかってきて、「これはすごい映画だ!」ときっとなります。難しいという人にも、めげずに観ていただきたいと思いますね。

2001年という年は、実際にもう過ぎてしまいました。アメリカとソ連が宇宙開発を急にやめてしまったこともあって、映画で描かれているほど宇宙技術は発展していませんでしたね。多分、そこまでする必要性が今の地球にはないのでしょう。

すでに1969年には、アメリカのアポロ11号が月まで行っているわけですから、人類が本当に必要に迫られれば、宇宙はもっと身近な存在になるのだと思います。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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