人生を学べる名画座

SPECIAL

2021年06月14日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.09|『未知との遭遇』|「これが現実かどうか知りたかった」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.09|『未知との遭遇』|「これが現実かどうか知りたかった」



僕は、宇宙人は存在すると思っています。言ってみれば我々も宇宙人ですし、これだけ広い宇宙の中で、存在しないというほうが不自然だと思うのです。

宇宙の起源として有力なジョージ・ガモフという科学者のビッグバン理論によれば、かつて宇宙はギューッと凝縮していた一つの塊であったといわれています。その塊が爆発して膨張を続けているのだとすれば、宇宙の中に地球と同じ条件の星もたくさんあるはずですからね。

ただ、どこかに存在している宇宙人が、UFOに乗って地球まで飛んで来れるかといえば、大きな疑問が生じます。そういった星が、地球からそんなに近い距離にあるとは思えないからです。太陽系から最も近い恒星は、プロキシマ・ケンタウリといわれていますが、そこまでの距離でも4.2光年。光速で移動しても4年以上かかるわけです。

どこかに存在する宇宙人は、地球人には想像もつかないようなすごい動力を持っている、もしくはSFでよく使われる「ワープ」が可能であれば地球までやって来ることが可能かも知れませんが、よく「UFOだ!」といわれて写真に映っているような小さい機体ではまず無理だと思います。

あんな小さい動力で地球まで来られるわけがありません。直径5メートル程度の小さい形のものが、単体で飛んで来るということはまず無理だと思います。

そして、もしそれが来たとしたら、遠い星からやって来るわけですからヘトヘトになっているはず。そうであれば、しかるべきところに着陸して人類との接触を図ってくるでしょう。決まった地域にだけチョロチョロ人を騙すように出現するというのは、「そんなわけねーだろ!」と思いますね。北海道の空知郡にしか出現しないようなものは「なんのためにわざわざ空知に来るんだ!?」と思ってしまいます。

要するに、宇宙人は存在する。

そして、せっかく来たんだから、地球人と接触するはずだ。ということになる。

その意味でも、この『未知との遭遇』は、数あるSF作品の中にあっても、なかなか現実味のある作品だと思います。

この作品の原題は、ハイネック博士という人が定義したUFOとの接触の分類の一つで、直訳すると「第三種接近遭遇」です。博士の分類によると第一種接近遭遇は、きわめて近い距離からの目撃。第二種接近遭遇は、目撃と同時に物理的証拠の発見。そして第三種接近遭遇は、UFOをコントロールしている生命体を目撃し、彼らとの肉体的な接触さえ行なわれる状態、ということになっています。

冒頭シーンは、暴風が吹きすさぶメキシコの砂漠地帯。砂漠の中に、第二次世界大戦当時に行方不明となっていた数機の飛行機が忽然と姿を現すのです。調べてみると、外観は新品同様でエンジンも立派にかかる、燃料も入っている、コックピットには、パイロットが飾ったのであろう家族の写真がそのままの状態で残っている。ただ、パイロットだけがいない。遺体も遺骨も、その痕跡さえもない。

なぜだ?

こういったサスペンス的な要素を織り交ぜながら、人類が初めて体験するUFOとの接近遭遇へと話がどんどん展開していくのです。

この辺りの演出は、「さすがスピルバーグ!」と感心してしまいます。僕が好きな映画監督を挙げるとすると、スタンリー・キューブリック、デビッド・リーン、黒澤明......となりますが、その次あたりにこのスティーブン・スピルバーグが入りますね。彼の作品は芸術作品とはいえないかもしれませんが、エンターテイメントをこれほどわかっている人はいないと思います。もしかすると、黒澤以上にわかっているかもしれません。

スピルバーグ監督は、1947年生まれで僕と同い年。同い年ということは子供の頃から同じような作品に触れて育ってきたわけで、彼の作品を観ていると随所にそういうことを感じます。

「未知との遭遇』の中にも、主人公のロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)がディズニー好きであったり、部屋には『スタートレック』のエンタープライズ号が飾ってあったり。そして、クロード・コラームという研究者の役をフランソワ・トリュフォーに演じさせている点が実に面白い。

トリュフォーといえば、ヌーベルバーグの旗手といわれ、『大人は判ってくれない』(1959年)ではアカデミー賞脚本賞、カンヌ映画祭では最優秀監督賞を獲った名匠です。僕もそうでしたが、スピルバーグもトリュフォーに憧れ、尊敬していたのだと思います。そんなトリュフォーが、この映画の中では俳優として実に重要な役を演じているのです。

「未知との遭遇』の素晴らしさは、なんといってもラストシーンに現れる巨大なマザーシップに尽きるでしょう。今からおよそ30年前のCGがなかった時代ということを考えると、あの映像はまさに驚異的。僕は映画館で、感動して動けなくなりました。

圧倒的な映像とサウンドでマザーシップが着陸し、その中から冒頭シーンに登場した第二次世界大戦当時の飛行機に乗っていたパイロットたちが若々しく出てくる。

これは、アインシュタインの相対性理論、光速で飛行している物体の中の時間の経過は、地球時間と違う。光速に接近した場合、例えば地 球上の10年が、宇宙時間では1日くらいになる、という説を基にしているのです。


(多くの観客が驚愕、興奮したマザーシップの降臨シーン。妻子持ちのニアリーは、いったい何処へ…。)

この映画から取り上げるシーンは、巨大なマザーシップを前にしたニアリーとコラームの会話です

──────────────────────────────

マザーシップの中から、行方不明となっていた人々に続いてメリンダの息子・バリーの姿が現れる。

駆け寄るメリンダ、バリーを抱きしめる。 その姿を見つめているニアリー。 

ニアリーに近づくコラーム 

コラーム:「ニアリー君、君の目的は?」

マザーシップを見るニアリー 

ニアリー:「これが現実かどうか知りたかった」

何度か頷くコラーム

──────────────────────────────

映画の序盤、電気技師だったニアリーは、突然の停電のために夜中に呼び出され、その途中で第一種接近遭遇を体験します。それからというもの、ニアリーは目撃したUFOの姿と自分でも理解できない「山」のイメージが頭から離れなくなってしまい、普通の生活ができなくなってしまう。

そんなニアリーを、奥さんも子供もとても心配する。「このままでは家庭が崩壊する」と、奥さんは何度も説得するのですが、ニアリーはそれをわかっていながらもイメージを消し去ることができない。

このイメージはなんなのか?どうして見たこともない「山」のイメージが、自分の頭の中に浮かぶのか? 彼はそれを追究したいのです。

ニアリーは部屋の真ん中に、頭の中にある「山」のイメージに従って模型を作る。もう、これだけでも十分に家庭崩壊の要素になっているのですが、あるきっかけで模型が自分のイメージに近づいたことで、ニアリーはついに狂ったような行動を起こす。

家の外にあった土を掘り集め、窓から家の中に投げ入れる。引っこ抜いた雑草、レンガ、隣家で飼っているアヒルを囲っていた柵までを、どんどん窓の中に投げ入れてしまう。まだ幼い娘だけはそれを面白がっているのですが、息子は完全に呆れている。近所にも大ひんしゅくだし、奥さんはついにキレてしまって、子供を連れて家を出て行ってしまう。

そして彼は、数々の苦難を乗り越えて子供を失くしたメリンダとともに、マザーシップが着陸する「山」へと向かうのです。

ニアリーと行動を共にするメリンダの目的は、行方不明となった息子を取り戻すことです。一方、ニアリーの目的はなんなのか? 妻を捨て、子供を捨て、命の危険もいとわずに、最終的にはマザーシップに乗って宇宙へと旅立ってしまう彼の目的はなんなのか?

一言でいえば、ニアリーはとんでもない奴です。家庭を捨てて、宇宙へ行っちゃうわけですからね。しかも、悩んだ末にというわけでもない。ごく自然に、スーッと宇宙船へと乗り込んでしまう。

彼の行動の目的、それが取り上げたシーンの中の台詞「これが現実かどうか知りたかった」というわけですね。

この気持ち、僕にもわかるような気がします。

家庭を顧みずに取った彼の行動は、ある種仕事人間に近いですよね。家族や妻の愛情よりも、自分の興味があることに突き進んでいく......。

こういったことは、意外にアメリカ映画ではよく描かれているのです。家族の絆が大切といって朝出かけるときにキスをしながらも、離婚率が50パーセント以上の国ですからね。(※2004年時)

アメリカは基本的に個人主義ですから、日本のように家族のために自分を犠牲にするというメンタリティはあまりないような気がします。

典型的なものとして、刑事ものの映画がありますね。主人公の刑事は、誕生日やクリスマス、結婚記念日などを犠牲にしてまで犯人を追う。それが、ある種の美学のようなところがあるのです。

『スパイダーマン2』(2004年)にも、誤解がやっと解けた主人公が恋人と熱く抱き合ってキスをしているところへ、「ピーポーピーポー」とサイレンが聞こえてくるというシーンがありました。恋人が「いいわよ、行ってらっしゃい。それがあなたの使命だから」と言うと、主人公は「悪いね」とサーッと行ってしまう。

考えてみれば、これもひどい話です。サイレンしか聞こえてないのだから、現場に行ってみたら単なるスピード違反だったかもしれない。スパイダーマンがわざわざ行く価値があるのかさえもわからないのですからね。

言ってみれば、ニアリーもスパイダーマンと同じ。家庭や妻は二の次で「俺のやりたいことはこれだ!」と突き進む。仕事はあまりせずに家庭にべったりというのは、案外アメリカでは描かない。1950~60年代には、『パパ大好き』や『うちのパパは世界一』のようなTVシリーズもありましたが、基本的にアメリカは「開拓者」ですよね。

「僕にもそういうところはあります。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、もし妻に「私のために、仕事を辞めてください」と言われたら、きっぱりその申し出を断ると思います。

結局は、人の犠牲になるより自分の思うように生きるべきなのだ、という結論に達しますね。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!