弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.12|『ガープの世界』|「生きていくってすてきな冒険よ」
『ガープの世界』は、ジョン・アーヴィングの大ベストセラーを原作に作られたものですが、この小説は、映画化するのは無理だろうといわれていました。
原作に出てくるエピソード、ディテールが多すぎて、とても2時間ほどでは収めきれない、といわれていたのです。それを、監督のジョージ・ロイ・ヒルが、ものの見事に映画化を成功させました。
『ガープの世界』の登場人物は、誰も彼も一風変わっています。
まず、主人公・ガープ(ロビン・ウィリアムス)の母親ジェニー (グレン・クローズ)。彼女は、「子供は欲しいけど男はいらない」と思っていて、看護師をしていた戦時中、死にかかっていた兵士の上にまたがって射精させ、ガープを妊娠する。
意識の中で、ずっと父親を求めながら育っていくガープ。幼い頃から妙にませて色仕掛けで迫ってくる少女。いつもガープの邪魔をするメガネをかけた意地悪な女の子。乱暴な運転で町を暴走する男。性転換した元プロフットボーラー(ジョン・リスゴー)。レイプに抗議して舌を噛み切ってしまう女性たち......。
そんな特徴のありすぎるキャラクターを、各俳優が素晴らしく演じています。
僕は、この映画でロビン・ウィリアムスを初めて知りました。
彼はコメディアンとして名を上げ、この前に『ポパイ』の実写版(1980年)に出演していたようですが、この作品が出世作といってもいいでしょう。この後、『いまを生きる』(1989年)や『レナードの朝』(1990年)『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)などで、名優ぶりを発揮しています。
お母さん役のグレン・クローズ、奥さん役のメアリー・ベス・ハートもいい味を出していましたが、特によかったのはジョン・リスゴーですね。彼もこの映画で初めて知りました。性転換して女装をした姿のなんともゴツいこと。彼はジェニーのアシスタント兼ボディーガードといった感じなのですが、大の子供好きでとても優しい。そんな役どころがピッタリはまって、この作品でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。
「ガープの世界』は、ストーリーもそうとう変わっています。
ガープは学生時代に小説家になろうと決意し、卒業して家を出ようとするのですが、母親のジェニーはそれを許さないで一緒にニューヨークへとついてきてしまう。そしてジェニーは、都会の娼婦との出会いを通じて自伝的な文章を書きはじめ、それが大ベストセラーになってしまう。
その本は「女性の地位を向上させよう」といった内容だったため、ジェニーは一躍「時の人」になってしまうのです。
今回選んだワンシーンは、ガープが10~12歳の頃にジェニーの父親が亡くなり、葬儀を終えた母子二人が自宅のテラスで交わす会話です。ガープはもともと父親がいませんから、おじいちゃんが亡くなったことにショックを受けています。
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〜テラスから見える海を見ながら 〜〜〜
ガープ :ママのパパもいなくなった
ジェニー:人は皆 いつか死ぬのよ
ママの両親も お前のパパも死んだわ
いつか 私もお前も死ぬのよ
死の前にしっかり人生を生きるのよ
生きていくって すてきな冒険よ
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「ガープの世界」にはこのシーン以外にも、「人生は冒険だ」という台詞が何回か出てきます。この言葉、名台詞ですね。
僕は、人間というのは、この世に存在しているだけで幸せだと思っています。何億もの精子の中のたった一匹が僕たちのもとなのですから、それだけでもラッキーですよね。
そう考えると、ある程度頭が悪かろうが顔が悪かろうが、歩いたり、飲んだり、食べたりできるということだけで十分幸せなのです。だから、人生が多少うまくいかなかったとしても、それを嘆いてはいけない。ずっとうまくなんていくわけはない。なぜなら、人生は冒険だからです。
この世の中には、いろんな環境の人がいます。貧乏な家に生まれる人もいれば、大金持ちの家に生まれる人もいる。父親も母親もいないような環境で育つ人もいる。何不自由なく大人になっていく人もいるでしょう。でも、どんな人生にも冒険はある。どんな人生にも山もあれば谷もあるのです。楽しい冒険もあれば、危険な冒険もある。いいときもあれば、悪いこともあるのが人生なのです。
うまくいっているときはいいのですが、人生がうまくいかないとき、なにをやっても裏目に出てしまうようなときにでも、この世の中に存在していることだけで幸せなんだと思えれば、「生きていくって、すてきな冒険なんだ」と思える。
その冒険はどんなものなのかは誰にもわからないのですから、とにかく、与えられた生命をまっとうしてみるということでしょうね。
突然三億円の宝くじが当たって、人生が変わるかもしれないし、突然自分の才能が開花して、世間に認められるかもしれない。あるいは、突然ガンを宣告されるかもしれないし、交通事故に遭ってしまうかもしれない。1年後には、自分たちはこの世にいないかもしれないのです。
僕らは、そんな「冒険」をしているのですね。みんな、人生の冒険の中を漂っている。どんなに穏やかな人生を送っているように見える人でも、やっぱりそれは冒険なのです。
『ガープの世界』はそんなことを、登場人物の数奇な人生を描くことで伝えようとしているのではないでしょうか。
一見穏やかにアメリカの一家族を描いているように見えますが、ベストセラー作家となったお母さんは、選挙応援をしている最中に撃たれる。愛する妻は浮気をする。ガープが追突して、一人の子供は死んでしまい、もう一人の子供は片目を失う。最終的には自分も撃たれる。これは、ものすごい世界ですよね。それをサラサラと描いているところに、この映画の衝撃性があるのです。
冒頭とエンドタイトルで、僕の大好きなビートルズの『When I'm sixty-four』という曲が流れます。赤ちゃんが空に舞う映像のバックで「僕が64歳になったら」という詩が流れる。この映画のテーマを実に巧く表してしますよね。
『ガープの世界』には、「人は生まれ、いつか死んでいく。それが永遠に繰り返される」というテーマがあると思います。それを感じさせるのは、ガープが母親に言われた言葉を、自分の子供にも伝えるというシーンです。
学生の頃、講義を選択する際に「そんな講義はつまらないからやめなさい」と母親に言われたガープは、十数年後には自分の子供にもそれをする。海に入ろうとしたときに言われていた「引き潮に気をつけなさい」という注意を自分の子供にもする。
そんなテーマを象徴しているのが、冒頭とラストに出てくる赤ちゃんの映像とビートルズの曲なのだと思います。
ジョージ・ロイ・ヒル監督の演出的に面白かったのは、ガープの描いた父親の絵が、突然アニメーションで動き出すシーンです。父親はパイロットだったことを聞いたガープは、空を飛ぶことに憧れを持っているのですが、その空想がアニメによって現実化される。絵もかわいらしかったし、とても夢のあるワンシーンでした。
それから、時間の経過もうまく表していましたね。
ガープは空想の世界に生きる人なので、彼の頭の中で想像する断面が、ポンポンと出てくる。部屋のブラインドを開けたら、昔の自分の姿が見える。閉めてもう一度開けたら今度は違う場面が見える。その辺の手法も「さすがだなあ」と感心しました。
映画の中盤で、結婚を決めたガープが新居を下見に行きます。その家になんと、急下降してきた飛行機が激突するのですが、それを見たガープは「この家を買います。同じ家に飛行機が落ちてくる確率はほとんどゼロだから」と言います。この冗談のようなシーン、墜落した飛行機のパイロットを演じているのはジョージ・ロイ・ヒル本人なのです。彼の作品の中に『華麗なるヒコーキ野郎』(1975年)という傑作があるので、それにひっかけた洒落だと思います。
それから、ガープのレスリングのレフリーを演じているのは、原作のジョン・アーヴィング、その人です。
この作品には、伏線もたくさん張られていました。
住宅地を暴走する運転手に「この辺は子供が多いんだ。交通事故になったらどうする!」と怒鳴っていたガープが、自ら起こした交通事故で子供を失ってしまう。子供の頃からガープの邪魔をしていた女の子が、最終的にはガープを撃つ。「空を飛びたい」とずっと憧れていたガープが、撃たれて病院に運ばれるときに、ヘリコプターで空を飛ぶ......。
父親を持たずに子供を産んだジェニーが、女性解放運動家としてまつり上げられてしまうのも、ある種の伏線といえるでしょう。
ずっと父親に憧れていたガープは、ジェニーが殺されてしまう直前、「父親は必要じゃなかったよ」と言いますが、ヘリコプターの騒音に消されてジェニーの耳には届かない。これも印象に強く残りました。
ところで、原作はジョン・アーヴィングの自伝的な小説ということですが、どこまでが自伝的なのでしょう? まさかこれほどまでに、波乱にとんではいなかったでしょうが。
弘兼憲史 プロフィール
弘兼憲史 (ひろかね けんし)1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。
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