【映画VS原作】『キネマの神様』映画評論と映画制作、2つの異なる物語
2:娘視点と父親視点の物語
また、両作を比べると、小説版が娘・歩視点の物語、映画版が父親・ゴウ視点の物語ということが、よく分かるのではないだろうか。
というのも、原作者・原田マハは本作を自身の父を題材に執筆したことを公表している。
そのため、小説の物語のほとんどはフィクションでありながらも、ギャンブル依存症で無類の映画好きという父親の設定はほぼほぼ事実だという。
それゆえ、父を思う娘・歩の心情描写には、自身の気持ちも重ね合わせていることだろう。
(また、中心となって、物語を進めていくのも歩である。)
一方、映画版の主役がゴウになっていることは誰の目にも明らかだ。
時折、挟まれるナレーションは歩が担当しているものの、中盤の回想シーンを含め、過去パート・現在パートを合わせた出演シーンはゴウが一番と言える。
また、山田洋次監督の実体験を反映する形で、物語も1950年代~60年代における黄金期の映画製作現場での秘話に変更されている。
(ここでは、監督が当時見聞きした情報も大幅に取り入れられているとのことだ。)
脚本執筆時には、丸一日かけて、原田マハから父との思い出を聞き取ったという山田洋次監督。
前作『男はつらいよ お帰り 寅さん』に続き、朝原雄三と共に脚本を執筆した物語は、彼にしか書くことが出来ないゴウ視点の内容となっているのだ。
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