『モロッコ、彼女たちの朝』レビュー:未婚の妊婦とシングルマザーの交流から示唆される女性たちの「今日」と「明日」
『モロッコ、彼女たちの朝』レビュー:未婚の妊婦とシングルマザーの交流から示唆される女性たちの「今日」と「明日」
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
地中海に面するモロッコの都市カサブランカを臨月のおなかで彷徨うサミア(ニスリン・エラディ)は、夫を亡くして女手ひとつでパン屋を営み愛娘ワルダ(ドゥア・ベルハウダ)を育てるアブラ(ルブナ・アザブル)の家の中に招き入れられ、しばらく同居することになります。
イスラーム社会では未婚の母はタブーとされていますが、サミアが妊娠した事情も、一方でアブラが他人に心を開かない事情も、映画はさほど深く追求することはありません。
しかし、両者のぎこちない交流は、少しずつ互いの頑なな心を和らげていきます。
特にアブラは、それまで鉄面皮のようだったのが、少しずつ化粧をし、オシャレしていくあたりを、映画は静謐ながらも逃すことなく描出していきます。
本作はマリアム・トゥザニ監督が、過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出を基に制作した作品で、2019年のカンヌ国際映画祭で注目を集め、アメリカのアカデミー賞国際長編映画部門にモロッコ代表としてノミネート。これはモロッコ映画界の女性監督として初の、まさに偉業ともいえるものでした。
本作が広く世界に受け入れられた要因には、未婚の妊婦とシングルマザーという、今なお家父長制が根強いモロッコの中では“普通”の境遇ではない女性たちの現状を、単に社会批判的な問題として訴えていくのではなく、あくまでも厳しい現実の中で「今日」を健気に生きながら「明日」へ繋いでいこうとする「人間」同士の交流と確執として繊細に描いていることが挙げられるでしょう。
イスラーム圏内独自の衣装や小道具、美術の幾何学的文様を、あたかもフェルメールやカラヴァッジョといった西洋画家の絵画タッチで映し得た映像美も大いに功を奏しています。
決して今すぐに結論が出るような題材ではありませんが、そもそもサミアとアブラを結びつけるきっかけともなる幼いワルダの愛らしさも、ひとつの大きな救いになっているとともに未来の希望を委ねる存在として屹立しています。
劇中に登場するモロッコの伝統なパンや焼き菓子などを作る何気ない描写なども、実に映画の裕福度を高めてくれていて、とにかく今この映画のことを記しているだけで心が優しくも切なく洗われていくかのような気持ちです。
古今東西、当然ながら日本も、社会と女性の厳しい相関を描いた作品は増え続けていくのみではありますが、その中でも本作は、特に国境を越えて老若男女の観客に何某かの感動と意識を示唆してくれる真のエンタテインメント秀作として、強くお勧めしておきます。
(文:増當竜也)
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