『もののけ姫』が公開された1997年、こんな<ヤバい>年だった


1997年の『もののけ姫』と2021年の『もののけ姫』

1997年当時の出来事やファッション、映画、ドラマ、音楽、漫画などを駆け足で説明して来たが、「あれ入ってねぇ」「これ入れないなんてお前本当に1997年生きてたの」といった指摘が入るのは当然だろう。なにせアニメを入れていない。これは正直に告白するが、1997年のアニメリストを調査したところ、ほとんど観ていなかった。ざっと並べ立てて「こんな感じだったんですねぇ」と書くことはできるが、うっすい幕の内弁当になるだけなので避けている。ちなみに本コラムに書いたことは全て「昔を懐かしがろう」という趣旨上、筆者が着て、観て、聴いて、読んだ経験があるものだけで構成した。


(C)1997 Studio Ghibli・ND

今「趣旨上」と書いたが、実は当原稿には「懐かしがりましょ」の目的以外にも『もののけ姫』周辺の物事にフォーカスすることで、また違った形で『もののけ姫』を浮かび上がらせられるのでは」という狙いがあったのだが、1997年の1年間に絞っても雑多過ぎるし、何なら『もののけ姫』は1994年くらいから制作が開始されたと記憶している。1994年と1997年では人々の感覚は大きく変容した。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった1995年をまたいでいるからである。なので、単年だけでは狙いの達成は無理筋というものだろう。ただ、公開年に焦点を当ててみるだけでも、少なくとも何も知らないよりは、何らかの気付きや発見があるものだ。

さて、1997年に「幸せな結末」をリリースした大滝詠一は、同年2月に放送されたラジオ「我が不滅のリバプール」に寄せられた「ビートルズって、ぜんぜんロングヘアーじゃないと思うんですけど、どうして当時のイギリス人はショックを受けたんですか(意訳)」という質問に対して、このように答えている。

「短いって言うけど、何でも今基準にして考えちゃあいけません。どちらかといえば、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけないということですよ」

これは何らかの出来事や創作物を観たり聴いたり、考えたりする時には重要な視点で、現在の常識を過去の作品や自分とは異なる文化、人間に対して適用する危険性を説いている。

と書くと物々しいが「こういった見方・考え方もある」と覚えておけば、公開から24年間経ち、何度も観た『もののけ姫』に対して違った見方ができるかも知れないし、発見があるかもしれない。

また24年もの間積もりに積もった考察や解説、都市伝説を評価し、面白がり、味わう手立てにもなるはずだ。

様々な言説溢れるラストシーンひとつとっても、1997年の宮崎駿はこう言っている。

「あの段階ではとにかく映画を終わらせなきゃいけないから、何とかして終わらせようと考えていただけなんですよ」

筆者の現在の気持ちと全く同じである。

(文:加藤広大)

【関連記事】『もののけ姫』を奥深く読み解く「5つ」のポイント!

U-NEXT

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

(C)1997 Studio Ghibli・ND

RANKING

SPONSORD

PICK UP!