『ウエスト・サイド・ストーリー』、さまざまな社会問題にも向き合うスピルバーグの意欲作


1961年版では成し得なかった
さまざまな社会問題の描出



さて、その一方で本作『ウエスト・サイド・ストーリー』は1961年版では成し得なかった数々の事象に挑戦しています。

それは原作舞台の中に秘められていたさまざまな社会問題を大きくクロースアップさせることでした。

もともと原作舞台はポーランド系グループ「ジェッツ(ジェット団)」VSプエルトリコ系グループ「シャークス(シャーク団)」のアメリカ人移民同士の対立をベースにしていますが、これはアメリカ国内(そして世界中で)今なお続く人種間の偏見や差別を背景にしたものでもありました。

ただし1961年版の映画は、当時の規制やハリウッド・スター・システムの弊害などによって、その点がぼかされてしまい(キャスティングもナタリー・ウッドにプエルトリコ系ヒロインのマリアを演じさせたのは、スター性はともかく役柄としては少し無理があったように思われます)、まさに『ロミオとジュリエット』さながらの対立する二大勢力の犠牲となった悲恋劇として簡略化されている節もありました。

しかし今回は、特にシャークスにプエルトリコ系のキャストをきちんと揃えたことで、人種間の対立といったモチーフが濃厚に浮き彫りになっています。



中でもマリアに扮したレイチェル・ゼグラーの存在感は素晴らしいものがあり、トニー役アンセル・エルゴートとのたった数日の激しい恋に燃える、幼いまでの若さと激しさが見事に醸し出されていました。

また今回新旧の映画版を見比べてはっと気づかされたのが、ジェッツへの入団を希望している男装の少女の存在で、1961年版を昔見たときは「男の子の格好をしたがる女の子」といった印象しか抱かなかったのですが、今見直すとこれが当時にしてLGBTQを示唆していたことが理解できます。

そして今回の『ウエスト・サイド・ストーリー』で、スピルバーグはその点をさりげなく強調しながら演出しているのも明白。



さらに驚いたのが、1961年版でアニタを演じたリタ・モレノ(アカデミー賞助演女優賞を受賞)が今回製作総指揮を務めるとともに、ドラッグストアの店長ヴァレンティナ役で出演していること。

舞台および1961年版での店長は男性のドクでしたが、これを女性に変えたことでクライマックスのドラッグストア内での暴行シーンにおける男性たちの女性蔑視の目線が、衝撃的なまで映えわたっていきます。

どちらかといえば豪華絢爛ミュージカルとしての印象の『ウエスト・サイド物語』ではありますが、実は今なお改善されることのない深刻な社会的諸問題が原作の中に組み込まれていたことをスピルバーグは巧みに察知し、その部分をエンタテインメントの形で見事に描出し、まさに“現代”を反映させ得た今の映画に仕立て上げているのでした。



もっとも、そうしたメッセージ性だけを拳も高々に突き上げるのではなく、たとえばニューヨーク・ロケ(1961年版は冒頭以外ほとんどロサンゼルスで撮影)を実現させてのリアリティであるとか、街中でのミュージカル・シーンの背景には常に一般市民がいて、不良グループに困惑させられている様子もあからさまにて、彼らが街の鼻つまみ者であるという事実も露にしています。

その上での諸所のダンスシーンのとてつもない切れの良さは、そのまま不良たちの若々しくも危ない切れの良さとも直結しつつ、画的にも壮麗な、まさに大画面で見るべき“映画”として必見の傑作として大いにオススメしたいところなのでした。

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