映画コラム

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2023年02月17日

『別れる決心』考察:パク・チャヌクが引いた「こちら側」との境界線〜チャヌクを100%支持する〜

『別れる決心』考察:パク・チャヌクが引いた「こちら側」との境界線〜チャヌクを100%支持する〜

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「新作」が待望されている映画作家は数多くいる。そのなかでもパク・チャヌクは特別な存在だろう。なんせ前作が『お嬢さん』である。日帝統治時代の韓国を舞台に、エロ・グロ・ナンセンスを彫刻でもするかのように画面に刻みつけていったあの衝撃から6年経った。

土屋ガロン(以下、狩撫麻礼と表記)・嶺岸信明のタッグによる傑作漫画「オールド・ボーイ」から20年と言い換えても良い。日本における「恨み」や「怨念」を、見事に韓国感覚で換骨奪胎してみせた傑作は、狩撫に「嶺岸くん、つくづくワシらは良い作品を描いたのです。全8巻の単行本を熟読したパク監督たちの心境が了解できました」とFAXに書かせた。誰が何と言おうと、タランティーノが何を言おうと(激賞してたが)狩撫麻礼にそう言わせた時点で大成功である。



両作とも凄まじい傑作だったので「パク・チャヌクの新作」と聞き、さらに各国映画祭の主要性にノミネートされまくりの状況が目に入れば、期待するしかない。「期待は観察を曇らせる」としても、止められるわけがない。我々は待った。最後の1年は熱烈に待った。この記事が掲載される頃にはもう公開されているだろう。

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例によって、1文字もネタバレできない

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前作『お嬢さん』と同じく『別れる決心』は1文字もネタバレできない。それでも、イントロ程度の部分について少しだけ書き出しておく。

ある日、男性が山頂から転落死する事件が起こる。担当刑事のヘジュン(パク・ヘイル)は被害者の妻ソレ(タン・ウェイ)と出会う。取り調べが進むにつれて、2人の距離は縮まり、お互いに惹かれ合っていく。しかしソレにはある秘密があり……と、これ以上は書けない。なぜなら公式サイトでもこの程度しか触れられていないからだ。

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そのため周囲をぐるぐると回るしかないのだが、共同脚本は『親切なクムジャさん』から長年タッグを組んでいるチョン・ソギョンで、『お嬢さん』と同じ。撮影はチョン・ジョンフンではなく、『密偵』や『天命の城』のキム・ジヨンが起用されている。

「チョン・ジョンフンじゃないのか」と思ってしまった方は安心してほしい。映像表現はとにかく素晴らしく、1度目は「パク・チャヌクだからとんでもねぇどんでん返しか屋台崩しがあるはずだ」とストーリーと字幕を注視していたが、2回目の鑑賞では「ストーリーとかどうでもいいくらい画がとんでもねぇ」ことに気付き、思わず溜息が出てしまった。

一つひとつのショットだけでなく色彩もとんでもねぇので、配信なんて待たずに、ぜひ映画館で鑑賞してほしい。

ネット検索するな!『別れる決心』は言葉を巡る話である

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『別れる決心』は徹頭徹尾「言葉を巡る」話である。
本国韓国では、脚本集が売れに売れ、劇中セリフがネットで流行っていたそうなので、未見の方は絶対に検索しないでほしい。私も検索していないが、ガチのガチでネタバレしているのは容易に想像できる。

話を戻して、ソレは韓国語が拙く、単語や表現を頻繁に間違える。時折中国語でスマホに向かってまくし立て、翻訳アプリを介して意思を伝えることもある。転落死した男は事故なのか他殺なのか、他殺だとすれば犯人は誰なのかなど、謎に迫っていく過程も巧妙な仕掛けが施されているが、ふとしたやりとりの言葉遣いなども、驚くべきほど緻密に組み立てられている。

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だがこれが、構造的な弱点を生む。韓国語が解らない人は誰かが翻訳した字幕を読むしかないのだ。あまりに当たり前のことをタイプしてしまったので自分でもどうかと思うが、そうなんだからしょうがないじゃないかと私の中のえなりかずきが吠える。

緻密に組み立てられていればいるほど伝言ゲームは難しくなる。言い間違えと同じように、一文字の違いでストーリーそのものが変わってしまう可能性すらある。別に字幕のクオリティが低いとか言っている訳ではない。ストーリーの都合上、翻訳はかなりのプレッシャーだったはずだ。

構造的な弱点と書いたが、正確には「韓国語を理解できればもっと味わい深いのでは」と悔しくなってしまう。来世ではぜひ、記憶をもったままソウルあたりに爆誕し、言葉が解るようになって本作を見直したい。

パク・チャヌクの加齢は、正しいのか

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本作にはもうひとつ、気になるポイントがある。パク・チャヌクの確実な加齢である。
『別れる決心』のチャヌクはもう、完全に孤高といった感じで、コロナや戦争をはじめとして韓国が構造的に抱えている問題も、世界で議論されているような話題も、つまり世情に対して我関せずのスタイルを隠そうともしていないように見受けられた。

またパク・チャヌク一連の作品や韓国映画に顕著な、復讐や怨念や執着によって駆動する人間らしさが薄まっているようにも感じる。比較する作品が天丼過ぎて申し訳ないが『オールド・ボーイ』にも『お嬢さん』にも、2Dなのにスクリーンが3Dになるような立体感や実体感があったし、ショットの数々には実質的な重みすらあった。が、本作にはない。

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誤解を承知で言えば、達観して世俗を離れた老人が見た夢のような作品で、チャヌクは「こちら側」ではない「あちら側」との境界線を引き、一人ぼっちで映画を作っているような印象を受けた。要はちょっとだけ「悲しくて寂しい」のだ。

映画作家としてこの境界線が良いのか悪いのか、私には査定できないが、失敗作ではないことは断言できる。むしろ良い映画だし、特にラストにかけてのシークエンスは生涯忘れられないだろう。まるで極上の日本酒を飲んだ時のように、食道をするするっと流れて行き、胃の中に染み渡り、血中に走るアルコールは、今でも濃度を下げていない。

とはいえ、誰しも会って話ができない期間を経験した後、パク・チャヌクの手によって「話し合う」映画が世に放たれた。そう考えると、彼も割と世情は気にしているのかもしれない。前言は撤回しないけれども。

パク・チャヌクによる「こちら側」と「チャヌク側」の境界線

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狩撫麻礼とたなか亜希夫によって制作された「瞑想王ボーダー」という漫画がある。狩撫麻礼とかわぐちかいじによる「ハード&ルーズ」という漫画がある。どちらも1話で完結する話が多く、様々なエピソードが登場する。チャヌクが読んでいるのかどうかは知らないが「オールド・ボーイ」は絶対に読んでいるだろう。

いずれの作品も、ファンの間では「狩撫節」と呼ばれる台詞回しがある。ごく個人的な感想にはなるが『別れる決心』は狩撫麻礼作品の1エピソードとして登場しても違和感がない。鑑賞後、本作について色々と考えていた結果、伝わりにくいのは重々承知で「狩撫麻礼作品の1エピソード」という表現が最もしっくりきている。

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「瞑想王ボーダー」に登場する蜂須賀は「あちら側」と「こちら側」に境界線を引き、その境界を「ボーダー」と名付けた。『別れる決心』はパク・チャヌク流のボーダーであろう。そのうち感想や批評も出揃うだろう。賛否が50対50なら最高だ。ロッテントマト98%フレッシュよりも遥かに健全である。その健全さを、よりによって私達から観測した「あちら側」のパク・チャヌクが取り戻したのならば、これほど痛快なことはない。

悲しくて寂しく、すっかり加齢してしまったパク・チャヌクの『別れる決心』を全面的に支持する。

(文:加藤広大)

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